メタボ系との噂が囁かれている(らしい)筆者の発言としては、まことにおこがましい ものがありますが、現代日本人がすっかり失念していることの一つに、 「食べる物がなんにも無いッ!」という環境を挙げてもいいように思います。 いささか品薄傾向に陥ることはあるにせよ、それでもスーパーの食料品の棚が スッカラカンの空っぽの状況になることはまずありません。 つまり必要とする食料品はそれなりにきちんと供給され…
たまたま数人が集まった折のこと、その中の一人からこんな質問が。 ~ウィキペディア(Wikipedia)を日本語で言うと、どうなるんきゃあ?~ オジンギャグ好きな一人が咄嗟にこう返しました。 ~もんなもん、シンプルに「浮きペデ屋」でええんでにゃあの~ 双方が尾張言葉だったのはモチのロンです。 すると、スマホ操作から離れた一人から「ネットの説明はこうなっている」との指摘です。 ~ハワイ語のwiki…
真夏日当日のことでしたが、何気にTVを見ていたら、筆者には聞き慣れないこんな 言葉が耳に入ってきました。 「クールシェアスポット」・・・ 筆者がピンと来ていないことを察知したものか、TV側も補足説明のオマケです。 そのオマケを整理し直すと、 ~夏の暑さを忘れられるような、身近で涼しく(クール)過ごせる空間・場所 (スポット)をみんなで共用(シェア)すること~ ほどの意味合いになるようで、具体…
たとえば、何かしらの面倒に巻き込まれそうになったときなど、日本ではこんな 言葉が使われることも珍しくありません。 ~三十六計逃げるに如かず~ 自分の形勢が不利になりそうなときは、あれやこれやの思案を巡らすよりは、 そうした局面からさっさと逃げてしまうのが得策であるといったいみです。 では、その「三十六計」ってなんですか? こう突っ込まれて、すらすらとその講釈ができる人もそうそう多くはないように …
戦国三英傑の一人である徳川家康(1543-1616年)を描いた一枚の絵。 杓子定規風には『徳川家康三方ヶ原戦役画像』、また愛称風には『顰(しかみ)像』 とも呼ばれている、まあ割合に良く知られたといってもよさそうな肖像画が、 実は筆者の生息地・名古屋の「徳川美術館」に所蔵されています。 ちなみに、その「三方ヶ原戦役」(三方ヶ原の戦い)とは、このような合戦でした。 ~元亀3(1572)年12月、遠江…
ひょっこりのお誘いがあって、国史跡「斎宮跡」の見学旅行に参加してきました。 参加者数は20人チョイ弱で、行き先は筆者の生息地・愛知県のお隣である三重県、 さらに詳しくなら、多気郡明和町になるとのことです。 それはいいとしても、何ですか? そもそも、その「斎宮跡」って? 準備不足のままの参加でしたから、そこらへんは後日なってHPなどから再確認する ハメになりました。 するとこんな案内です。(抜粋)…
筆者はとんと知らなかったことですが、英語には「3R's」(スリーアールズ)という 用語・概念があるそうです。 でもなんですかぁその「3R's」って? ひょっとして、近年大きな関心を集めている「3R」、つまり、 /recycle(リサイクル)再資源化/reuse(リユース)再利用/reduce(リデュース) 削減する/のことを言っているのですか? ところがどっこい、調べてみるとこんな説明です。 …
日本史には「江戸時代の三代改革」とされる出来事があります。 ~幕藩体制の動揺という事態に対応して、18世紀以降に質素・倹約を基本にして 財政再建・農村維持・商業資本掌握などに取り組んだ幕政の改革~ 大雑把ならこのくらいの説明になりそうです。 しかし折角ですから今回多少の補足をまじえながら、その「江戸時代の三代改革」を 並べてみることにしたのですが、するとざっとこんな感じになりました。 〇享保の…
多分ちょっとしたシャレのつもりだったのでしょうが、顔見知りのオジサンが こんなセリフを吐きました。 ~拙者の趣味は御朱印、そして生い立ちは内を隠そう、ご落胤なのだ~ 御朱印と御落胤ってかぁ。 発音が少し似ているというだけのその対比には、とてもじゃないがセンスが 感じられなくて、あぁつまらん。 しかしまあ、そういうことなら、あれこれツコミを入れないのが大人の態度という ものでしょうから、筆者もそ…
日頃は何気に使っている言葉にも、いざその意味合いを定義せよ説明せよとなると、 ちょっと答えに詰まってしまうことも少なからずあります。 自分なりにはその概念はしっかり把握しているつもりなのに、言葉としては巧く 表せないということです。 筆者の場合なら、たとえば「高級ブランド」などの「ブランド」がそうでした。 それなりのイメージは掴んでいるつもりなのに、説明しようとすると的確な言い回しが 見つからな…
筆者が生息する地域には「熱田神宮」があります。 ええ、このように説明されることが多い由緒ある神社です。 ~三種の神器の1つである草薙剣(天叢雲剣)を祀る神社として知られる~ そして、その歴史について言えば、実はつい10年ほど前の2013年に、なんと節目に 当たる「創祀千九百年大祭」を行っています。 ですから、計算上では邪馬台国女王・卑弥呼(170頃-248年)の時代よりさらに 百年以上も古い時代…
実質的に天下の雄となった織田信長(1534-1582年)が家臣・明智光秀(1528-1582年) による謀反「本能寺の変」(1582年)であっけなく倒れたことで、その後の情勢は 信長の家臣であった羽柴秀吉(豊臣/1537-1598年)と、信長とは同盟者の立場に あった徳川家康(1543-1616年)が対立する構図になりました。 そして、この両者が直接に激突したのが「小牧・長久手の戦い」(1583…
何物についても「日本三大◯◯」という表現はあるようで、例えば先日はなどは 「日本三大灯籠」なんてものにぶつかって、かなりマニアックな「三大」が あるものだと、ある意味感心したものです。 お話のついでに、その「三大灯籠」についてもちょっと触れておくと、それは こんな案内になっていました。 〇南禅寺(京都府京都市) 高さ6.0M /奉納1628年/佐久間灯籠 〇熱田神宮(愛知県名古屋市) 高さ8…
数年前のことですが、生前に譲位された天皇が「上皇」となられた際にメディアは こんな案内をしました。 ~天皇が生前退位するのは約200年ぶりのこと~ そうかもしれんなぁ。 現上皇の先代である第124代・昭和天皇(1901-1989年)も、またその先代の 第123代・大正天皇(1879-1926年)も、第122代・明治天皇(1852-1912年)も、 さらには幕末期の第121代・孝明天皇(1831…
「和」を説き、さらには「仏教」を保護したという事跡を承知しているせいか、 少なからずの人が、「聖徳太子」(574-622年)の人柄には、平和で穏やかという イメージを持っています。 しかし反面で、政治家としての太子が厳しい「軍事的決断」を迫られる場面に遭遇した ことも、当然のことながら事実です。 そうした場面の一つに、いわゆる「新羅(しらぎ)征討」という出来事を挙げることが できそうです。 ちな…
この国では長い間、天皇が至高の存在とされてきました。 現代日本人の意識はともかくとして、民族の歴史的な信仰心という点ではそのように 表現しても構わないのでしょう。 なぜなら、その信仰心は~天皇とは天から降臨された天照大神の御子孫である~と しているからです しかも、この国の始まりに際して、その天照大神ご自身が孫の瓊瓊杵尊 (ににぎのみこと)に明瞭にこのように申されているのです。 ~いいこと、豊か…
戦国群雄の世を最終的に把握した徳川家康(1543-1616年)には高齢になってから 儲けた三人の男子がありました。 長幼の順にこうなります。 〇九男・義直(1601-1650年)/尾張名古屋藩の初代藩主。 〇十男・頼宣(1602-1671年)/紀伊和歌山藩の初代藩主。 〇十一男・頼房(1603-1661年)/ 常陸水戸藩の初代藩主。 各々の誕生の折に家康がどれほどの高齢だったかと言えば、九男…
世界的にはほとんどが「丸い形」をしている金貨ですが、大判・小判と呼ばれる 日本の金貨はなぜか「楕円形」をしています。 もっとも正確に「真・楕円形」なのか言えば、実はそうでもありません。 これは精密な計測をしなくても一目瞭然で判断できるところです。 では表現を変えて、長方形の両短辺に円弧をくっつけた形かと言えば、これも 必ずしも正しい説明とは言えません。 長辺の方もちょっとばかり微妙な曲線を描いて…
昨今の日本の漁業環境には大きな変化が見られるそうで、その原因のひとつに 考えられているのが“海の温暖化”のことです。 たとえば過去30年を比較した場合、なんでも海水温が2~4℃ほども高い海域がグンと 増えて、しかもこうした傾向がここ5年ほど続いているとされています。 そのため、近年では漁獲量の激変が見られるようになり、たとえば北海道ではサンマや スルメイカなどが従来の1~2割程度まで落ち込む一方…
戦国の世では、いざ戦さともなれば普段は農作業に従事している農民たちが 「徴収兵士」として駆り出されました。 「専業兵士」という存在がまだない時代ということもあって、これは領国を維持・ 保全するためには止むを得ない方法でした。 しかしその場合には、いささかの不都合もありました。 それは一年365日いつでも戦に臨めるわけではないということです。 領国の基幹産業である農業に従事することと、また領国の安…