トホホ編37/昔の最新科学も今じゃ俗信迷信
突然にこんな質問を向けられて、すんなり答えることができますか?
~「俗信/迷信」って、いったいどんなことですか?~
仮にアナタにはそれが出来たとしても、自慢ではありませんが、筆者などは的確に
説明することは出来かねます。
そこで、早速カンニングに及ぶのですが、そこには繊細な説明文がありました。
こんな具合です。
~(迷信とは)俗信のうち、社会生活に実害を及ぼし、道徳に反するようなものを
常識的にいう~
ところが、これでは筆者にとっては言語明瞭・意味不明瞭です。
第一に、意味を探っている言葉「迷信」と、その説明に登場する言葉「俗信」とは、
いったい何がどう違うの?
ここから確かめる必要があります。
すると、これくらいの説明です。
迷信→人々に信じられていることのうちで、合理的な根拠を欠いているもの。
一般的には社会生活をいとなむのに実害があり、道徳に反するような知識や
俗信などのこと。
ええぃ、ではでは、ここにも登場している「俗信」とはなんのこっちゃ?
俗信→(迷信とは異なり)社会において広く流布され伝承されてきた、ものごとの
捉え方や考え方、また考えられた内容をいい、なぜ、そのような把握や考えが
妥当かということについては、「昔からそう言われている」というような
歴史的な継承性や、社会的な流布性の事実を根拠にする~
こうした説明も、残念ながら筆者にとってはまだまだ言語明瞭・意味不明瞭のままです。
そこで、今度はそれぞれの具体例を探してみることにしたのです。
すると、「迷信」の場合には、こんな一例が挙げられていました。
~黒猫が横切ると悪いことがある~
そういえば、年配者がこの寿葉をよく使っていたことを思い出しました。
~黒猫が横切ると悪いことがある~は迷信
ついでのことですから、どうしてこんな「迷信」が生まれたのかについても
寄り道してみました。 すると、
~日本では古くから黒猫は福猫として幸運の象徴であり、魔除け厄除けの意味を
持った大切な存在で、江戸時代には、死の病であった肺結核を治す力が黒猫には
あると信じられていたほど~
だったら、黒猫が目の前を通るのは喜ばしい出来事ではないか。
と思いきや、その続きにこんな解説が。
~幸運そのものの黒猫が自分の前を横切り、幸運に素通りされてしまった、と
考えられるようになったとの説がある~
あっちゃー、良くは判っていないようです。 さらに、
~黒猫は魔女を連想させる縁起が悪いものとして欧州の思想が流入した影響とも
言われている~
かなりのコジツケにも感じられますが、それでもそうした理屈を大勢の人が黙認?
したことで、「迷信」の一つとして確立したということなのでしょう。
逆に言うなら、仮に大勢の人がハナから「筋の通らないばかばかしいお話」だと
受け止めたなら、「迷信」というところまでは出世しなかったに違いありません。
では、もう一方の「俗信」の方はて、例えばどんなことなの?
「食べ合わせ」なんかも、その例に当てはまるとのことです。
えぇ、「ウナギと梅干し」とか、あるいは「天ぷらとスイカ」などがそうで、
それらをセットで食べることは、身体に良くないとする、その「食べ合わせ」です。
ただ、これに科学的な光を当ててみると、どうやら「良くない」とされる根拠を
見い出せない場合も少なくないようです・
ですから、「俗信」とはこのくらいに定義になっています。
~(迷信とは異なり)社会において広く流布され伝承されてきた、ものごとの
捉え方や考え方、また考えられた内容をいう。
なぜ、そのような把握や考えが妥当かということについては、
「昔からそう言われている」というような歴史的な継承性や、社会的な流布性の
事実を根拠にする~
う~ん、かなりしち面倒な説明なので、他所をあたってみると、
~自然現象などに対する観察・経験・解釈から起こり蓄積された知識。
予兆・禁忌・呪術・卜占(ぼくせん)・憑(つ)き物・妖怪など~
しかし、これも負けず劣らず、しち面倒な説明です。
ともあれ、「迷信/俗信」の違いについて、かなり割り切った言い方が許されるなら、
ともに科学的見解とはされていないながら、どうやら一般的には、
~社会生活を営むのに実害があるものを「迷信」、それが認められないものは「俗信」~
としているようです。
陰陽師・安倍晴明 / 文明開化で陰陽寮も廃止
そのあたりを、性懲りもなく往ったり来たりしているうちに、ふいとこんな疑問が
頭をよぎりました。
~そういうことなら、昔あった「陰陽道」とは、さていったい科学なのか、
それとも「俗信」なのか、はたまた「迷信」にすぎないものだったのか?~
しかし、いきなり「陰陽道」の登場では目は白黒、お話は右往左往の状況に陥ります。
そこで、ちょいと補足。
~陰陽道とは、中国古代の陰陽五行説に基づいて形成された俗信~
なんのことはない。
この説明でははっきり「俗信」と言い切っているじゃあありませんか。
溜め息が出てきそうですが、しかしその前に、その「陰陽五行説」とやらも、
ちょっと知っておく必要がありそうです。 すると、
~陰陽説と五行説が合わさったもので、古代中国の世界観で天文現象と人事との
相関関係を説く~
だったら次には、その陰陽説と五行説のそれぞれについてです。
~陰陽説は天地・昼夜・寒暑・男女などの二元の変化によって宇宙の万象を
説明しようとするもの。
一方の五行説は万物を支配する元素として木火土金水の五つを考え、その盛衰に
よって宇宙万物の変転を説く~
うわぁ、これでは茶の木畑へ迷い込んでしまった感が拭えない。
しかし、心を落ち着けて、その続きを眺めてみると、その「陰陽道」をつかさどった
役所「陰陽寮」があったとされています。
「あった」という過去形の表現になるのは、こんな背景のせいです。
~「陰陽寮」は、飛鳥時代(7世紀後半)に天武天皇により設置され、明治時代に
入ると、時の陰陽頭・土御門晴雄(1817-1869年)が薨じたのを機として
翌1870年に廃止された~
「陰陽道」の役所「陰陽寮」は、現代の表現に倣えば「陰陽省」ということに
なりそうですが、それが明治時代まで続いていたとするなら、先の説明のように、
これをひとくちに「俗信」と切り捨ててしまって、いいものかどうか?
そのように捉え直してみると、この「陰陽道」とは、現代人の感覚からすれば、
確かに「俗信」ということになるのかもしれませんが、当時の人々にとっては
「先端科学」だったということになりそうです。
えぇ、昔の「陰陽寮」とは、現代ならさしずめ「文部科学省」もどきのものだった
のでしょう。
ちなみに、その「陰陽寮」とは、こんな説明になっています。
~律令制で「中務省」(かなつかさしょう)に属し、陰陽博士・暦博士・漏刻博士などが
配属された~
ついでですから、それぞれの博士も追ってみると、結構に広範囲な仕事ぶりです。
陰陽博士→ 陰陽道の教授
暦博士→ 暦を作り、また暦生の教育をつかさどった
漏刻博士→ 時刻を管理した
ともあれ、そうした「陰陽道」絡みで最も有名な人物と言えば、やはり
安倍晴明(?-1005年)に落ち着くのかもしれません。
その生年不明で、没年は1005年のこととされていますから、「源氏物語」の
作者・紫式部(973?-1031年?)とか、「望月の欠けたることも無し」の詩で有名な、
そのスポンサー・藤原道長(生年不明?-1028年)らと、ほぼ同時期の人物です。
ただ、陰陽道をセットにして語られる場合、現代人の多くは、その晴明を官吏という
よりは、むしろ「陰陽道」の達人あるいは名人、言葉を換えるなら、
呪術師・幻術使いもどきの存在として受け止めることの方が多い印象になりますが。
さて、歴史を辿れば、当時は先端科学であった、その「陰陽道」も、明治維新の
「文明開化」に遭遇したことで、一気に俗信・迷信の扱いになってしまったということに
なりそうです。
~「陰陽寮」は、明治3年(1970年)に廃止された~
この経緯が、陰陽道に対する明治の文明開化人たちの評価だったことになるのでしょう。
そこで、陰陽師の大スター・安倍晴明はツイートに及びます。
~ボクが極めた最新科学「陰陽道」が、現代ではケチな俗信・迷信の類だってか!
ホント、現代日本人にはロマンがないのぅ!~
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