落胆編14/精進不可欠の渡世人稼業
大昔の話になりますが、東映時代劇映画「関の弥太っぺ」とか、あるいは、
異色のTV時代劇「木枯らし紋次郎」などが大きな人気を博したことがありました。
いわゆる「渡世人」と呼ばれた方々です。
しかし、現代人のほとんどは、この言葉くらいは聞いたことがあるにせよ、
「渡世人」といわれる人々の日常の生態?ともなると実はあまりよく知りません。
そこで、興味津々とばかりにこの「渡世人」についての説明をちょいと探して
みたのです。 すると、このくらいの説明です。
~「商売往来」に載っていない稼業によって世渡りする無職渡世の人~
そんなら、その「商売往来」ってなんだ、という運びになります。
それもしっかり説明されています。
~「商売往来」とは、商売に必要な知識・教養、商人への教訓、商売に関係する
事柄などを記した初等教育用の教科書的書物~
なるほど、そうすると「渡世人」とは「正規な職業」の外にあるってことか。
さらに、続いては、
~各地の博打打ちのもとを渡り歩き、博打を打ったり小遣い銭を貰い受けたりした
博打打ち(博徒/旅烏)をいう~
最近はあまり見聞きしない言葉だ。
そこで、そこに登場した言葉の意味合いも確認してみると、
博徒→博打の寺銭により生活をたて、親分・子分・三下奴(やっこ)などからなる
組織をつくり、それぞれ縄張り(寺銭を徴収する勢力範囲)をもって
博打を業とした者。
旅烏(たびがらす)→(ねぐらをもたない烏の意から)定住しないで
旅から旅へと渡り歩く人のことで、「旅人」(たびにん)とも。
また、よその土地から来た人(よそ者)を卑しめていう言葉。
こうした「旅烏(たびがらす)」とか「旅人(たびにん)」という言葉を耳にすると、
現代人の中には気楽な立場で「余暇旅行」を楽しむ姿をイメージする人も少なくないと
思われます。 ところがドッコイ、それは大間違いなのです。
なぜなら、少なからず「命がけの逃避行」もあったとされているからです。
しかしまあ、そこまで過酷な環境でなかったとしても、それが人間の旅である以上、
食事代や宿泊費など最低限の「生活費」、つまり金銭が必要となります。
ええ、どこかの川柳にあったように~人生は金ではないが金はいる~ということです。
渡世人/旅烏
はて、そうなると、~彼らはいったいどういう方法で生計を立てていたのか?~
こんな疑問が湧き起こってくるのは必至です。
そこで思い出すのが、昔々の時代劇によく登場していた言葉「一宿一飯」です。
この「一宿一飯」とは、その土地の親分サンに挨拶を通すことで、文字通りに
「一泊」と「一食」が無料提供されるシステム?のことを言っています。
ただし、「どなたもお気軽に」という類のものではなく、このシステムを利用するには、
総統に厳しいルールがありました。
まずは最初に親分サン宅の玄関で「仁義」を切らなくてはなりません。
これが無いことには、話は始まらないのです。
でも、その「仁義を切る」ってなんのこと?
現代風に言うなら「自己紹介/名刺交換」もどきの行為にあたるのでしょうが、
当時は文字を読めない人も少なくないわけで、それで「口上」スタイルになった
のでしょう。
ええ、例の「お控えなすって、お控えなすって・・・」のあれです。
話のついでですから、その口上にもちょっと触れておきます。
とは言っても、さすがに正式な作法までは承知しませんが、概ねのところ、
こんな挨拶になったようです。
~お控えなさんせ、お控えなさんせ。 早速お控えあって、ありがとうござんす。
手前、生国と申しまするは、〇〇の国、××村に住居を構えております。
渡世上についての親分と申しまするは、同じ〇〇の国、△△村に住居を
構えておりまする。
名前発しまするは失礼にござんす、本名は□□にござんす。
いずれの土地へあがりましても、知人友人の厄介、粗相になりがちの
手前にござんす。
行く末万端、ご昵懇にて、よろしくお引き立てのほど願っておきます~
まずは、この「自己紹介/名刺交換」を行うにあたっては、所作・口上を含めて、
まったくノーミスで、しかもとことんスマートにやり切ることが必要でした。
所作に「うっかりミス」があったり、あるいは口上を「噛む」などは言語道断で、
その時点でたちまち失格。
というより、「渡世人を騙るニセ者」と見なされて、結果ボコボコにされるか、
運が悪ければ叩き殺されてしまうことだってあったようです。
う~ん、メッチャ厳しいルールです。
仁義を切る(渡世人) / (ビジネスマン)名刺交換
では、「ボコボコはイヤ」な上に「滑舌の悪い」渡世人はいったいどうしたらいいの?
そんなもん、「一宿一飯」を諦めて過酷な「野宿」を選択するしか方法はないでしょう。
しかし、「野宿」ともなれば夏は暑くて蚊も多い、また冬の屋外は寒すぎて
安眠できるものではありませんから、なにがなんでも「一宿一飯」にありつきたい
ところです。
ただし、そうなるためには、その「仁義を切る」という作法を一発ノーミスでクリア
しなければならないということです。
そして、首尾よくやり遂げてその日は無料の「一宿一飯」に与かることができたと
しても、それだけで渡世旅は続けられるものではありません。
社会生活であるからには、やはり幾らかの現金も必要だからです。
ええ、やっぱり~人生は金ではないが金はいる~のです。
しかし、正業に就いていない者が現金を得る方法って?
「博打」に加わってしっかり儲ける?
ですが、これで儲かるのは基本的に胴元で、必ず打ち手の懐が潤うというものでも
ありません。
しかし実は、こうした「現金」も、やはり「一宿一飯」の折に入手できたようです。
こんな仕組みになっていました。
つつが無く仁義を切ることができて、晴れて「一宿一飯」のお許しが頂けた際には、
渡世人はそのご挨拶代わりとして親分サン側に「手拭い」を預けました。
そして、そこを発つ時に親分サンは、預かっていたその「手拭い」に、幾ばくかの
「現金」(草鞋銭/わらじせん)を添えて返したのです。
元来は、文字通りに「わらじを買うための金銭」ですが、それが転じて、ここでは
「その(わらじを買う)程度のわずかな旅費」の意味合いになっています。
つまり、世話した渡世人に対して、親分サンが「路銀(旅費)」をカンパしたと
いう形です。
しかし、これも渡世人稼業の厳しい一面ということになりそうですが、その草鞋銭の
多寡は、決して各人一律ではありませんでした。
それは渡世人本人に対する親分サン側の評価という位置づけになっていますから、
仮に「想定外の額」であったとしても、渡世人側がそれに注文をつけることは
できません。
いや、ひょっとしたら注文を付けることができたかもしれませんが、そんなことを
しようものなら、また「ボコボコ」にされるがオチ。
おそらくは、そういうことだったはずです。
要するに、こうしたときに受け取る「添金」が、実質的に渡世人ほぼ唯一の
「現金収入」だったということです。
ですから、「リッチな渡世人」などは存在しなかったものと想像されます。
宿泊者(渡世人)の側ではなく、それを受け入れる親分サン(ホテル側?)の方が
「旅費」を賄うという、現代とは真逆のシステムでしたが、このことをうっかり
「うらやましいなぁ」などと思ってはいけません。
なぜなら、この「一宿一飯ホテル」?は、半端でなく厳しいルールがセットになって
いたからです。
飛び切り流暢なシャベリを必要とする先の「仁義」もその通りですが、どんなに
空腹を抱えていても、夕飯のおかわりは二膳で打ち止め。
しかも好き嫌い、アレルギーの有無?に関わらず、膳に出されたものについては
「完食」が絶対の条件。
さらに、食器の後始末はセルフサービス、寝布団もどんなに寒かろうと一枚こっきり。
また、家人に対する礼儀・作法・所作にも飛び切り厳格なものがあっただけでなく、
頼まれごとを断るなどはもってのほかとされていました。
そして、ついウッカリの落ち度なぞがあったりしようものなら、また容赦なしの
「ボコボコ」が待っているということです。
さて、時代劇ではこんな場面が描かれることがあります。
~たまたまそこに世話になっていた折に、その親分サンに「出入り」(争いごと)が
あり、その時の渡世人が命懸けの助っ人(手助け/助勢)を務める~
運悪く武力抗争になった場合など、本来は無関係な立場である渡世人でも、
一兵士として戦闘に加わらなくてはならないのです
要するに、渡世人側には「一宿一飯の恩義」をお返しする義務が、常に伴っていた
ということです。
こうした義務を、ひょっこり「体調が悪い/気分がすぐれない」などの理由を付けて、
逃れようとするなら、これまた渡世人の「ニセ者」と見做されて「ボコボコ」の目です。
こうした、お話に触れても~まだアナタは「渡世人」になりたいか?~
強いてお勧めしようとは、ワタシも思いません。
なぜなら、「渡世人」の世界は、やっぱり「関の弥太っぺ」や「木枯らし紋次郎」で
楽しむくらいの方が、何かと無難に思えるからです。
なにせトコトンの空腹時に「二膳で打ち止め」というのも、またメッチャ寒い夜を
「せんべい布団」一枚っきりで過ごさなきゃならんというのも、飽食・空調に
慣れ切った現代日本人にとっては、「ボコボコ」にされると同じくらい苦しいこと
ですものねぇ。
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