実質的に天下の雄となった織田信長(1534-1582年)が家臣・明智光秀(1528-1582年) による謀反「本能寺の変」(1582年)であっけなく倒れたことで、その後の情勢は 信長の家臣であった羽柴秀吉(豊臣/1537-1598年)と、信長とは同盟者の立場に あった徳川家康(1543-1616年... 続きをみる
2024年4月のブログ記事
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何物についても「日本三大◯◯」という表現はあるようで、例えば先日はなどは 「日本三大灯籠」なんてものにぶつかって、かなりマニアックな「三大」が あるものだと、ある意味感心したものです。 お話のついでに、その「三大灯籠」についてもちょっと触れておくと、それは こんな案内になっていました。 〇南禅... 続きをみる
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数年前のことですが、生前に譲位された天皇が「上皇」となられた際にメディアは こんな案内をしました。 ~天皇が生前退位するのは約200年ぶりのこと~ そうかもしれんなぁ。 現上皇の先代である第124代・昭和天皇(1901-1989年)も、またその先代の 第123代・大正天皇(1879-1926年)... 続きをみる
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「和」を説き、さらには「仏教」を保護したという事跡を承知しているせいか、 少なからずの人が、「聖徳太子」(574-622年)の人柄には、平和で穏やかという イメージを持っています。 しかし反面で、政治家としての太子が厳しい「軍事的決断」を迫られる場面に遭遇した ことも、当然のことながら事実です。 ... 続きをみる
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この国では長い間、天皇が至高の存在とされてきました。 現代日本人の意識はともかくとして、民族の歴史的な信仰心という点ではそのように 表現しても構わないのでしょう。 なぜなら、その信仰心は~天皇とは天から降臨された天照大神の御子孫である~と しているからです しかも、この国の始まりに際して、その天照... 続きをみる
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戦国群雄の世を最終的に把握した徳川家康(1543-1616年)には高齢になってから 儲けた三人の男子がありました。 長幼の順にこうなります。 〇九男・義直(1601-1650年)/尾張名古屋藩の初代藩主。 〇十男・頼宣(1602-1671年)/紀伊和歌山藩の初代藩主。 〇十一男・頼房(1603... 続きをみる