ヤジ馬の日本史

日本の常識は世界の非常識?この国が体験してきたユニークな歴史《日本史》の不思議をヤジ馬しよう!

タブー編21/神器をあれこれ詮索する

いわゆる「天孫降臨」は、一般的にはこのくらいに説明されるようです。
~皇室の御先祖が高天原から天降り、この国を豊かにそして平和に治められていく
 様子を語り伝えるもの~
そしてこの際に天照大神から弟の瓊瓊杵尊(ニニギノミコト/以下ニニギ)
授けられたとされるのが「三種神器」です。


その「三種神器」とは鏡・玉・剣の三種を指し、それぞれは以下のような名称で呼ばれ、
さらには、このようなモノであるとされています。
      〇「八咫鏡」(やたのかがみ)→どうやら丸い形の鏡らしい。
 〇「八尺瓊勾玉」(やさかにのまがたま)→どうやら大きな玉、あるいは長い緒に
                     繋いだ勾玉(曲玉)もどきのモノらしい。
「天叢雲剣」(あめのむらくものつるぎ)→文字通りに剣で、別名「草薙剣」
                    (くさなぎのつるぎ)とも。


その実物実体は現に存在しているはずなのに、具体的な説明の段になると、
「されている」とか、はたまた「らしい」とかの表現になってしまうのはいささか
奇妙な感じです。 しかし、その点は仕方のないことかもしれません。
なぜなら~誰一人として、神器の実物を見た者はいない~と、「されている」し、
また、そう「らしい」からです。


という背景もあって、実は三種神器については「よく分かっていないこと」も多い
ようで、たとえばこんなこともそのひとつに挙げてもよさそうです。
~それぞれはいったい何を意味(象徴)しているのか?~


   天照大神と瓊瓊杵尊


この事にもいろいろな詮索があるようですが、その中のひとつを取り上げてみると、
こんな理解になっていました。
~鏡=知/玉=仁/剣=勇、この「三徳」を象徴している~
なるほど「剣」は、確かに天皇の強さ・武力を象徴したものかもしれません。
世界中どこでも「王」は強く勇敢でなくてはいけないからです。


また、この「天叢雲剣」には「戦い」にまつわるエピソードが多いという事実もあります。
~須佐之男命(スサノオ)が怪物・八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治したところ、
 その尾からこの剣が出てきた~

ですから、そもそもの「発見」のキッカケ、そのこと自体が「戦い」となっているのです。


しかも後の時代になると、
~日本武尊(ヤマトタケル)が賊衆に襲われた時、この剣で葦を薙ぎ倒し、
 火を放って難を逃れた~
 これも「戦い」です。
ちなみに、静岡県の焼津(やいづ)や草薙(くさなぎ)の地名はこのお話からきている
ようです。


ですから、「剣=雄」は確かに近い印象になりますが、しかしながら、
他の「鏡=知」や「玉=仁」という解釈になると、筆者的にはどうもいまいちピンと
こないのです。


たとえば、次の「八咫鏡」の場合だとこんなお話になっています。
~「天孫降臨」の際に、ニニギはアマテラスから「これを私自身と思いなさい」との
 言葉を添えて授かった~(宝鏡奉斎の神勅)
ということは、この鏡は天照大神の分身という意味合いになりますから、一般的には
太陽神の象徴と理解されるようです。


確かに、丸くてしかも光を反射して放つ「鏡」が太陽を連想させるのは事実で、
「ミニ太陽」と言っていいのかもしれません。 
しかし、本当にそれだけのことでしょうか?
「光を反射する」ことに注目するなら、むしろ「鏡は邪悪なものを跳ね返す力を備えて
 いる」という理解になり、また日本神話「天の岩戸」のエピソードにあるように
「弱まった力を取り戻す鏡」なのではないのでしょうか?


つまり、鏡は霊界や怨霊(あの世)に向けたパワーを象徴しているとの見方も
できそうです。
現代人にとってコワイものとして「地震・雷・火事・親爺」という言葉もありますが、
当時の人が一番恐怖したのは、この「怨霊」だったと筆者は思うのです。


なにしろ、「あの世」から「この世」に向けて災いをなすのですから、
「この世」における人智・人力ではいかんともしがたい。
そこで、わが身を守るために、この「対霊界・怨霊用」もどきのツールを最も重視した。
このように捉えてもそれほど無謀な解釈だとも思えません。
つまり、筆者の印象では、~「八咫鏡」は「怨霊退治のパワー」の象徴~なのでは
ないか。


さて、最後になりましたが、今度は「八尺瓊勾玉」です。
これには、こんな見方もあります。
~「鏡=日(陽)」を、「玉=月(陰)」を表しているのではないか~
しかし、筆者的にはこれもいささか迫力不足の印象になります。


もっともっとパワフルなものを象徴しているのではないか。
という着想からその名称に注目してみました。
「八尺」の「八」は、おそらくは「八百万神」とか、あるいは「江戸八百八町」のように
実数を言ったものではなく、平たく言えば、「メッチャ多い」あるいは「やたらデカイ」
という意味合いの、ひとつの表現方法なのでしょう。


すると、当然こんな疑問も浮上します。
~では、何に比べて「やたらデカイ」のですか?~
その答えは、当然こうなりそうです。
~そんなもん、「わが国で一番(日本一?)デカイ」という意味に決まっている~


なぜなら、どこの国でもそうですが、一番デカイものを「所有」できるのは「王」だけ
だからです。
もし、「王」よりデカイものを持つ者がいたら王のメンツは丸つぶれとなり、当然
そちらがホンマモンの「王」ということになるはずです。


誰も見たことがないとされている以上、「八尺瓊勾玉」の実体はあくまでも不明ですが、
こうした見方に立てば、それがなんであるにせよ明らかに「王の正当性」を象徴して
いると考えるべきでしょう。


早い話が、我が一族こそ「天壌無窮の神勅」を授かった家系ですよ。
このことを「証明するツール」ということです。
もし、それにイチャモンをつけてくる輩がいたとしたら、こう言えばいいのです。
~アンタのところの「宝玉」と、ウチの「宝玉」、いったいどちらがデカイと
 思っているのサ?~
相手はショボンとうなだれ、当然イチャモンは取り下げられることになるでしょう。


   

   三種神器 / 守秘義務


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少しばかりややこしい解釈になったので、それらをイメージしやすい言葉に変えて
おきましょう。 すると、このくらいになりそうです
「宝鏡」は、あの世の悪霊・怨霊にも負けない「霊力」の象徴。
「宝玉」は、王の地位にあることの「正当性」の象徴。
「宝剣」は、その王の「強さ」(実力・勇気・軍事力)の象徴。


筆者的にはこれでメデタシメデタシということになるのですが、実はちょいとした
引っ掛かりも感じてはいるのです。
えぇ、~「三種神器」の実物は、今まで誰も見た(目撃した)ことがない~
されている点です。


こうした世界に、世間の一般常識を持ち出すのはミスマッチということになるのかも
しれませんが、でも考えてみてもください。
「三種神器」とは、いわばこの国の「権利書」のようなものですから、それはそれは
大切に保管・保存されなくてはなりません。


ということは、普通に考えればそれら「三種神器」は、常に点検あるいはメンテナンスを
しなくてはならないはずです。
「誰もみたことがない」ほど厳重に秘蔵され続けてきたとするなら、ひょっとして
知らないうちにカビが生えていたり、あるいは錆が発生していたりする劣化を招いて
いることだって絶対にないとは言い切れません。


逆の言い方をするなら、カビだらけや錆びついたなどの劣化や瑕疵に気が付かないまま、
~神器を後生大事に仕舞い込んで、恭しく頭を垂れること~は、あまり賢い方法とは
思えません。


すると、当然こんな質問が飛んでくることになります。
~だったら、そのへんのことを、どう解釈をしているのサ?~
えぇ、筆者はこのように受け止めているのサ。


~「三種神器」は、その時期やサイクルは不明ながら、定期的に確認され、きちんと
 メンテナンスもされている~

その理由は~誰もまったく見たことがない~のでは、上で述べたようにあまりにも
不合理だからです。 そうすると、次の疑問に移っていきます。


~実際に確認・メンテナンスをした人物がいたとしたら、その人物はなぜそのことを
 明らかにしないのか?~

しかし、そんなことは決まっているじゃありませんか。 職務上の「守秘義務」ですよ。 


こんな説明になっています。
守秘義務とは、一定の職業や職務に従事する者や従事していた者、
 または契約の当事者に対して課せられる、職務上知った秘密を守るべきことや、
 個人情報を開示しないといった義務のこと~


そして、これを破れば応分の罰則を受けることになるのですから、こんなセリフを
吐く人間はいるはずもないのです。
~えぇ、ワタシは「三種神器」を点検・整備する仕事に就いていましたよ~


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