トホホ編39/建前だった?三界に家無し
「現代日本人」が「昔の女性の生活ぶり」を知る方法は、結局のところ書物・絵画
などの史料や、映画やTVドラマなどの作り物を通じてであり、これは仮想体験とは
言えても、決して実体験ではありません。
ですから、知った気分になっているだけだとも言えそうです。
その上に、江戸時代やそれに続く明治時代なぞは、多くの日本女性にとって、ある意味、
受難の時期だったとも理解されています。
その理由の一つには、江戸幕府が公式学問として儒教の一派である「朱子学」を採用した
ことが挙げられるのかもしれません。
朱子(1130-1200年)の創始による「朱子学」は、実は孔子(前552?-前479年)が
唱えた元祖?儒教に対して、それとはちょっとばかり異なっていると認識され、
「新儒教」との位置付けになっています。
それは、元祖・儒教?に比べたら、いささか過激に思える一面を備えていたことが
理由です。
たとえば、「士農工商」という言葉や概念もそうしたことの一つかもしれません。
元来これは四民、すなわち国民全体を表す言葉であり概念でした。
ところが、時を経ると次第に変質をみせ、孔子の頃には、そこに身分的意識も芽生えた
ようで、~農工商になるよりは士の方が良いかもダ~ほどの受け止めになっていた
ようです。
ちなみに、その最初に挙げられている「士」とは、元々は士大夫つまり官吏(公務員)
を指し、要するに指導者の立場にある人間を意味しています。
ところが、さらに時代が下って朱子の「朱子学」ともなると、その理解がバッチリ
過激なものになります。
~士(官吏)こそが尊いのであって、農・工はそれより劣る存在、さらに商を生業に
するなんて者はまさしくクズ人間に他ならない~
つまり、無知蒙昧な「農・工・商」たちを、知識を備えたインテリ「士」が指導する
のが、国のあるべき姿とする思想です。
こんな話を、もし21世紀の現代に聞かされようものなら、商売店の御主人なんかは
アタマの血管がブチ切れてしまうところです。
さらに「朱子学」はこんな哲学?も備えていました。
頑固な「男尊女卑」意識です。
~男性を尊重し女性を軽視すること。 また、そのような社会慣習~
そして、そうした意識を端的に表したとされる言葉が、~女は三界に家無し~
その意味合いは、
~女は、幼少のときは「親」に従い、嫁に行っては「夫」に従い、老いては「子」に
従わなければならないものであるから、この広い世界でどこにも安住できるところが
ない~
現代男性の中には、ついつい連れ合い(妻)の姿を思い浮かべて、
「ゲッ! よくもまあ、こんな大胆で恐ろしい発想を持てたものだ」と身震いする向きも
少なくないかもしれませんが、では、その「三界」とは?
上の解説にある「親/夫/子」のことを指すと思い勝ちですが、実はそういう下世話な
意味合いではないようです。 なぜなら、こんな解説になっているからです。
~「三界」とは、仏教で欲界・色界・無色界、すなわち、全世界のこと~
ゲッ、仏教の言葉だってか。
そういうことなら、道草ついでにその「三界」の示すところも知っておきたいところ
です。
そんなの別段知りたくもないゾ、とおっしゃる方も中にはおられましょうが、しかし
まあ、袖擦り合うも他生の縁とも言いますから、ここは浮世の義理と思ってどうぞ
お付き合いください。 では、行きますよ。
無色界/物質的なものから完全に離れた衆生が住む世界。
欲望も物質的条件も超越し、精神的条件のみを有する生物が住む境域。
色界/淫欲と食欲の2つの欲を離れた衆生が住む世界。
欲界/欲望(カーマ)にとらわれた淫欲と食欲がある衆生が住む世界。
仏教の三界(上から/無色界・色界・欲界)
どうやら、アナタや筆者のような人間が住める世界は「欲界」だけだと言いたいようです。
えぇ、共に「淫欲と食欲が(バッチリ)ある衆生」の一味であることは間違いありません
からねぇ。
それはともかく、実は有名な女流作家・与謝野晶子(1878-1942年)にも、
この「女は三界に家無し」という文言に触れた作品があります。
雑誌「婦人の鑑」(明治11/1911年)の「女子の独立自営」と題した文章で、
ちょっくら覗いてみると、こんな按配になっています。
~でその時代に危険のない生活を送ろうとする人人は、
理も非もいわずに旧い習慣と旧い概念とに盲従し、
徳川将軍は千秋万歳日本の政権を握っているもの、
武士は何時でも主人のために腹を切るもの、
儒学は永久に聖堂の朱子学を標準とすべきもの、
宗教は仏教以外に信ずべからざる事、
百姓町民は万世にわたって武人の下風に立ち、
生かすとも殺すとも御役人の自由に任すべきもの、
女は三界に家なく親と良人と我子とに屈従すべきもの、
こういう考でいるより外はなかったのです~
随分と辛らつな江戸時代批判になっていますが、要するに、江戸時代とは女性には
辛抱たまらんほどに窮屈な時代だったと証言しているわけです。
では、明治時代やこの江戸時代より以前から、日本の女性は「女は三界に家無し」風の
生き様を強いられていたのでしょうか? 実はそうでもないようなのです。
たとえば、江戸時代の直前にあたる戦国時代。
この当時に来日した西洋人であるキリスト教宣教師の見聞・記録・証言の中には
当時の「日本女性」について触れた部分もあり、そこにはこんな印象・感想が記録
されているのです。
~日本女性は性的な面、離婚などではハンディを負うこともないし、また親へ断ること
なく旅行に出かけるなど、これらの自由さは(自分の国の女性に比べたら)
信じられないほどである~
もちろん、これは宣教師自身の、しかもキリスト教というプリズムを通しての「印象」
ですから、そのまま鵜呑みにはできないのかも知れません。
しかし、こうしたキリスト教宣教師たちが、このような印象を抱いたことは間違いなさ
そうです。
~この日本の女性たちって、自由奔放の度合いが行き過ぎじゃないのか!~
現代日本人の多くは、その時代が明治時代や江戸時代よりも古い分だけ、女性の立場は
さらに強く「家」に縛られていて、「自由」とは程遠かったに違いないと思い勝ちです。
ところがギッチョン! その時代のリアルタイムの目撃者?である宣教師たちは、
「それは違うよ!」と明確に否定しているわけです。
そうした観点から資料を見直してみると、その「傍証」になりそうな事柄も少なからず
見いだせそうな印象です。
たとえば、「金銭貸し借り」の証文なども、その一つかもしれません。
なぜなら、「貸手側」に少なからず女性の名前が見られるからです。
つまり、自分の裁量で「金の貸し借り」という活動をしていた女性たちは、決して少なく
なかったということです。
男性から独立した財布を持っていたと言っていいのかもしれません。
ですから、室町幕府第八代将軍・足利義政の正室・日野富子が、「応仁の乱」
(1467-1477年)のただ中にありながら、軍資金を必要とする者には敵・味方を問わず
その「貸し付け」しまくっていたことは事実ですが、しかしそれは富子に限った
特異な行動というわけでもなかったのです。
ただ、他の一般女性に比べたら、扱うその融資額がケタ外れに莫大だったために、
やたら目立っただけのことで、特段に「我利我利亡者の守銭奴」あるいは「稀代の悪女」
ということでもなかったことになりそうです。
与謝野晶子 / 日野富子
こうした歴史事実からすると、「朱子学」によって男尊女卑の思想が広がっていった
江戸時代の女性ですら、与謝野晶子が言うように、
~女は三界に家なく親と良人と我子とに屈従すべきもの~
とするガチガチの社会に黙って生きていたようには受け止められません。
「男尊女卑」思想は、確かに将軍お膝元の武家階層にはそれなりに浸透していった
のかもしれません。
でも、それは全国一律・国民一律という姿にはならず、地方の武家、あるいは
農・工・商の階層、殊に江戸に住むいわゆる「江戸庶民」には、とんと浸透しようの
ない切実な事情があったと、筆者は思うのです。
それは何か? ずばり、江戸の町における人口構成です。
具体的な数値は時期によっても異なるようですが、その男女比率について、これだけは
変わらなかったようです。
~(男性に比べ)女性の数は圧倒的に少なかった~
こうした状況では相当な強者男でも「女は三界に家無し」なんて言えるものでは
ありません、
つまり「女性蔑視」どころか、とにかく貴重な存在であらせられるのですから、
イヤでも「女性崇拝」の気分になってしまうということですねぇ。
そういうことなら「女は三界に家無し」は、社会全体の共通常識(認識)にまでは
ならず、格式ある一部武家における建前的「スローガン」に留まっていたようにも
思えるのです。
えぇ、「交通ルールを守ろう!」なんてスローガンが登場するのは、その交通ルールが
守られていないからという理屈と同様で、「家無し」というスローガンが生まれたなら
きっと、~女も三界に家有り~の実状があったのだろう、きっとなら。
そう踏んでいるのがヘソ曲がりの筆者です。
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