忘れ物編36/外来語をカタカナで書く
ネットを彷徨していて、ひょっこりこんな文章に遭遇しました。
~漢字が伝来する以前の日本には固有の文字がありませんでした。
そのため人々は神話や伝承などを暗記して口頭で語り継いでいました~
へえ、それが通説になっているのか。
ところが筆者はそのようには考えず、こう受け止めているのです。
~漢字が伝来する以前の日本にも固有の文字はありました。
ただし、それは漢字のように「筆記方式」ではなかったかもしれません~
何を言っているのか?
たとえば、その色彩や数量なども含めて「紐の結び方」によって特定の意味を表す
ような「非筆記式」の文字のことです。
実は、滅亡したインカ帝国(1200頃?~1533年)も、こうした文字を使っていたと
されています。
こうした方法でも記憶や記録を保存することはできるはずで、その意味では立派な
「文字」だと言えるでしょう。
ただし、これは漢字のように「書く」という行為で示す「筆記方式」ではなく、
「書く」抜きの、いわば「非筆記方式」であることに留意する必要がありそうですが。
インカ帝国/結び目で記録する「文字」
では、筆記式の文字である漢字が日本に伝来したのはいつのことか?
~4世紀後半の弥生時代だと考えられています~ なるほどねぇ。
さてそうすると、女王・卑弥呼(生年不明-247年)の時代には、まだ漢字は伝わって
いなかったことになるなあ。
しかしダ、
~5世紀の稲荷山古墳出土の鉄剣や江田船山古墳出土の太刀などに、いずれも
漢字の使用が見られ、人名の部分は漢字の音だけを使って表記されている~
つまり、伝わったすぐ後にはもう実用?していたことになりそうです。
そして、漢字は次第に日本独自の使い方をされるようになっていき、それは
以下の三通りに分類されるとのことです。
1・本来の用法(中国での意味と同じ)で使う(例:山=サン)
2・日本独自に訓読して使う(例:山=ヤマ)
3・字音だけを借りて音を表記するのに使う(例:也麻=ヤマ、波奈=ハナ)
つまり、海外直輸入の漢字に対して、この頃にはすでに自分たち独自の工夫を
加えて使いやすくしていたということです。
その「日本独自の使い方」は、こんな不便?にも向けられました。
~漢字は字数も画数も多いため、その一字一画をきっちりオリジナルの通りに
書き表そうとすれば大層な手間がかかってしまう~
こうした点の受け止め方は、昔の人も現代人もまあ似たところだったでしょう。
~もっと簡略な書き方があれば、メッチャ有難い~
~文字を書く作業をもうちょっとラクにできないものかしら~
そこで文字の書き方に工夫を凝らし、そうしてできたのが平仮名と片仮名でした。
それぞれはこんな説明になっています。
~「平仮名」とは、日本語を表音的に表記するために漢字の字体が極度に草体化
された文字で、9世紀中ごろにできた~
そして、
~「片仮名」とは、日本語を表音的に表記するために漢字の字画の一部だけを
採った文字で、10世紀半ばごろには片仮名だけで和歌を記すことも行われた~
この説明にある「漢字の字画の一部だけ」とは、たとえば伊の字のイの部分、
呂の字のロの部分などがそれに該当します。
こうして揃えた漢字・平仮名・片仮名の三種類の日本文字を駆使することで、文字に
関する不便の大部分は解消できていたのです・・・確かに江戸時代までは。
ところが、~泰平の眠りを覚ます蒸気船たった四杯で夜も眠れず~
開国すると同時に異国との接触機会が急激に拡大することになり、当然その分だけ
使う語彙も増えていきます。
しかも、新しく入ってきた異国の語彙については、同様の意味合いを持つ適切な
日本語がないことも多々ありました。
そこで、四苦八苦しながらのことでしたが、当初は新しく「和製漢語」を創作する
ことで対応するようにしました。
たとえば「art/美術」、「culture/文化」、「civilization/文明」、「society/社会」、
「science/科学」、「space/空間」、「time/時間」、「love/恋愛」などなどは、
全部がその「和製漢語」に当てはまる言葉です。
日米和親条約 / 鹿鳴館外交
さらには、日本語をアルファベットで書き表す方法も必要となりました。
国内にどっと増えた異国人たちが「日本語」を覚え、そして使うためです。
そこで新たに生み出されたのが「ローマ字」でした。
~ローマ字とは、仮名をラテン文字に転写する際の規則全般(ローマ字表記法)、
またはラテン文字で表記された日本語(ローマ字綴りの日本語)を表す~
「和製漢語」と「ローマ字」。
いわゆる「文明開化」からしばらくの日本及び日本人は、日本語と外国語の懸け橋
ともいうべき、ともかくこの二本柱に頼りながら、新しい情報や概念などを吸収
することに努めたのです。
殊に、こうして創作された「和製漢語」の出来栄えが秀逸だったことは、後の時代に
なって漢語の本家である中国が数多く逆輸入したことでも分かります。
ところが、文明開化から長い時間を経た昨今では、そうした手法にも行き詰まり感が
出始めている印象です。
えぇ、「これは筆者に限った現象なのかもしれませんが」と前もってお断りして
おきますが、ぼんやりTVニュースを眺めているだけでも、出るわ出るわ筆者が
知らない言葉の数々。
たとえば、最近なら「インフルエンサー/influencer」なぞはまさにその通りで、
筆者なぞは瞬間的に「インフルエンザに罹った人」をイメージしていました。
ところが、それでは話の前後が噛み合わない印象もあって、そこで面倒臭いのを
押し殺して少し追ってみると、
~世間に与える影響力が大きい行動をビジネスとして行う人物のこと~
つまり、流行性感冒を意味する「インフルエンザ/influenza」とは全く縁もゆかりも
ない言葉だったのです
そうしてみると、今までは超得意としてきた「和製漢語」に変換する手法も、昨今では
ある種の限界を迎えて、その発音をそのまま「片仮名表記」にしていることに
なるのかもしれません。
そして筆者は、その「カタカナ表記」も、ある意味で限界を迎えているように感じます。
たとえば、アナタはこんな現象をどのように捉えていますか?
両者ともにアカデミー賞主演賞を獲得している女優ですが、ケイト・ウィンスレット
(2008年「愛を読む人」)とケイト・ブランシェット(2013年「ブルージャスミン」)。
この二人のファースト・ネームは同じだと思っていませんでしたか。
カタカナ書きだと双方共に「ケイト」ですから、筆者なぞは長い間同じ名前だと
思い込んでいました。
ところがギッチョン、こんな表記になっているのです。
ケイト・ウィンスレット(Kate Winslet)とケイト・ブランシェット(Cate Blanchett)
えぇ、異なる綴りのKateと Cateを同じカタカナ表記「ケイト」にしているのです。
さらに挙げるなら「ジーン・シモンズ」もその通りで、アルファベット書きなら
「Jean Simmons,」(女優)と「Gene Simmons」(男性ミュージシャン)で、
まったく異なる名前ですが、「カタカナ表記」になると同じ「ジーン」になって
しまうのです。
人の名前だけではありません。
たとえば「RIGHT/右」も「LIGHT/明かり」も、カタカナ書きにすれば、
両方ともに「ライト」になりますし、「NIGHT/夜」も「KNIGHT/騎士」も
両方とも「ナイト」と書くことになります。
これに類する例は、それこそ枚挙に暇がないほどです。
つまり、和製漢語の創作やその改良にメッチャ熱心だった先人たちも、
アルファベット言葉を「カタカナ書き」にする場合のこうした不備・不便については、
割合無頓着・能天気だったことになるのかもしれません。
そこで、その点にしっかり気付いた筆者は気の置けない仲間の前でこう力説したのです。
~「漢字」を受け入れた時代の先人たちや、「和製漢語」の創作に尽力した文明開化の
時代の先人たちの御苦労に思いをいたせばダ、現代のようにアルファベット表記と
カタカナ表記の間に、このような不整合を生じさせているのは、現代日本人の
怠慢であり、言葉を換えるなら「忘れ物」であると言わざるを得ないッ!~
ところがこのいかにも重い意見も軽く一蹴されちゃったんですねぇ。
~Kateと Cate、またJeanとGeneの場合にせよ、はたまたRIGHTとLIGHT、
さらにはNIGHTとKNIGHTの場合もその通りだが、そもそもなんでイチイチ
「カタカナ表記」に直さにゃならんのだ?
そんなもん、新しい言葉や概念は、英語だろうがフランス語だろうが、はたまた
ドイツ語だろうが原語のままで受け入れ、そしてそれを素直に原語で読み書き聞き
すればいいだけのことだがや~
要するに、こう言いたいようです。
~いちいち「カタカナ」に翻訳して、理解しようなんてメッチャ時代遅れの所業だがや~
そう言われてしまえば、なるほどその通りかもしれんなぁ。
しかし、筆者の腹の中では、
~それがオレにはできないから言っているのだ。時代遅れでなにかと悪かったなあ!~
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