大雑把編10/人の名前はイマも昔も難しい
女子水泳選手の「今井月」選手が、名前テロップ入りのTVコマーシャルに登場して
いましたが、名に当たる「月」の部分のルビは、なんと「るな」。
スポーツ音痴の筆者は、名の「月」はてっきり、そのまま「ツキ」と読むものと
ばかり思い込んでいたので、ちょっとビックリ。
~ルナ/るな/Luna→(ラテン語で)「月」のこと。 ローマ神話の月の女神~
ゲッ、では漢字をラテン語で読んでいるということなのか?
しかし、そんなことはアリなのかぁ・・・当然の疑問です。
ところが、社会の判定は「それはアリ」ということになるのだそうです。
なぜなら、現行の戸籍法は以下の定めになっていることが、その理由です。
~(戸籍法第50条)子の名には、常用平易な文字を用いなければならない。
常用平易な文字の範囲は、法務省令でこれを定める~
そして、具体的には戸籍法施行規則第60条でその範囲を定めているとのことですが、
ただ個々の字の「読み」と「名前の長さ」についてはなんら規則・制限がない
のだそうです。
ですから、名前に使う分に限っては「月」を「ルナ」と読もうが、「おつきさま」と
読もうが、はたまた「うさぎのもちつき」と読もうが、それは反則行為ではない
ことになるわけです。
ですから、画家・ピカソの本名「パブロ(・・・数多のミドルネーム・・・)ピカソ」
のように、あるいは落語「寿限無」に登場する
「寿限無 寿限無 (・・・途中長々中略・・・)長久命の長助」のように、
超々長い名前であっても、それは決して「法律違反」ではないということのようです。
月/ルナ(LUNA)
こうした背景があるせいか、昨今では、意図された通りに読み解くことが困難に
感じられる、いわゆる「キラキラネーム」も数多く登場しています。
そして、さらに凝った名前になると、もうほとんどクイズ感覚で、とんとお手上げ
というのが実情です。
その証拠も示しておきましょう。
つい最近のことですが、ネットに「・・・読めないキラキラネームランキング」と
銘打ったページを見つけました。
ランキングが設定できるということは、それらがメッチャ多くあることの何よりの
証拠です。
折角ですから、その中をちょっと覗いてみると、上位にはこんな名前が紹介されて
いました。
「男/あだむ」「心姫/はあと他」「紅葉/めいぷる他」「桃花/ぴんく他」
ここまでくると、さすがに「こんなもん読めてたまるかッ!」と居直りたい気分にも
なります。
しかし、そんな悪態をつきながらも、筆者はふとこんなことにも気が付いたのです。
~人の名前が難しいのは、なにもイマに始まったことではないなぁ~
要するに、筆者にはこれまで歴史上の人物名を正しく読み取れないことが再々あった
からこその気付きであり感慨です。
たとえば、神代に登場する神々の名前なぞがその代表例。
〇伊弉諾尊、伊耶那岐命(いざなぎ)-創造神、国生みの神(夫)
〇伊弉冉尊、伊耶那美命(いざなみ)-創造神、国生みの神(妻)
この夫婦神の名なぞはハナから読めませんし、また書けもできません。
ですから、筆者がどうしてもこの夫婦神の名に触れなければならないときは
「イザナギ/イザナミ」という具合にカタカナ表記にしています。
これなら、安心して「読めるし書ける」からです。
また、神話「天孫降臨」に登場する「瓊瓊杵命/邇邇芸命」(ニニギノミコト)も、
その「ニニギ」が娶った「木花之佐久夜毘売」(このはなのさくやびめ)だって
その例外ではなく、筆者にとっては「読み書き不如意」です。
神話の宿命とも言うべき現象なのかもしれません。
しかし、お話が神代の神話から人代の歴史へ移ったら、こうした問題が解消するのか
といえば、実はそうでもないのです。
たとえば、「藤原明子」(829-900年)がその一例。
太政大臣・藤原良房の娘として生まれ、第55代・文徳天皇の女御となり
56代清和天皇を生んだ、と説明される女性です。
この名前を筆者は、当初はまったく疑うこともなく、いたくシンプルに
「ふじわら/あきこ」と読んでいました。
それ以外の読み方には思い及びませんでしたからねぇ。
ところが知って驚けッ! まず姓の部分は「ふじわら の」と読み、名にいたっては
「めいし/あきこ/あきらけいこ」 が正しいとされているではありませんか。
正しい読み方が複数ある名前なんてこと自体がなにやら胡散臭くて、いささか腑に
落ちない気分でしたが、それにしたって「明子=あきらけいこ」だなんて、
これではまるで「平安のタカラジェンヌ」の芸名もどきで、紛うことなき
「平安のキラキラネーム」です。
さらに披露するなら「源融」。 この方の名前もどっぷりと誤解していました。
「源空」(げんくう)という仏僧がおられたことを既に承知していたので、
この「源融」の名前に初めて接したとき、てっきりそちら系の「げんゆう」仏僧だと
思い込んでしまったのです。
ところが、しばらく後に真相を知ってみると、
~源 融(みなもと の とおる/822-895年)は、平安時代初期から前期にかけての貴族。
嵯峨天皇の第十二皇子。
紫式部『源氏物語』の主人公光源氏の実在モデルの有力候補といわれる~
こうした説明によって「仏僧」がてんで筋違いのイメージだと知った次第です。
ちなみに、その誤解のきっかけとなった「源空」にも触れておくと、
~平安末期から鎌倉初期の僧で、浄土宗の開祖。
房号(得度後の僧名)は「法然」(1133~1212年)であり、
諱号(死後の贈り名)は「源空」~
二つの名で登場されると、筆者の知識レベルでは実際アタフタに落ち込んでしまいます。
足利尊氏(兄) / (弟)足利直義
さてお話はグイと飛んで、足利尊氏(1305-1358年)。
~はじめ高氏で、第96代・後醍醐天皇の諱・尊治の一字を賜わって尊氏と称した。
「元弘の変」(1331-1333年)で六波羅を攻め落として
「建武の新政」(1333-1336年)に貢献するが、のち背いて征夷大将軍となり、
室町幕府(1338年)を興した~
さらに、こんな説明が続いています。
~のち、南北両朝に分かれて国内が治まらず、直義、直冬らと(尊氏の)争いが続いた~
ここに登場する足利直義(1307-1352年)とは尊氏の同母弟ですが、一方の
足利直冬はこう説明されています。
~室町幕府将軍・足利尊氏の落胤。
尊氏に実子として認知されず、尊氏の同母弟・直義の養子となる~
それはいいとしても、問題はここにある名前「直義/直冬」です。
筆者は、当たり前のようにこれを「なおよし/なおふゆ」と読んでいたのですねぇ。
ところが正しくは「ただよし/ただふゆ」だそうで、ここでも心底あっちゃーの
思いを味わったものです。
このようにして、平安時代や室町時代にも、筆者にとっての「難しい名前の人物」が
いたのであれば、当然、江戸時代にもいたはずです。
〇荷田春満(かだの あずままろ/1669-1736年)
〇賀茂真淵(かもの まぶち/1697-1769年)
〇本居宣長(もとおり のりなが/1730-1801年)
〇平田篤胤(ひらた あつたね/1776-1843年)
その江戸時代の「国学の四大人(しうし)」として名前を挙げられている方々です。
全員が超インテリであるせいか、揃いも揃って読みにくい名前の持ち主なのですが、
その中でも筆者は特に「荷田春満」が苦手で、現在でもついつい「にだ はるみつ」と
読んでしまうほどです。
だいたいが「四大人」を「しうし」と読ませるなんてこと自体が、フェイン気味で
好きになれないのに、「春満=あずままろ」だなんて正直勘弁して欲しい気分です。
それはさておき、薩摩藩主・島津重豪(1745-1833年)の名も、「しげ✕✕」となって、
なかなかにその「✕✕」の部分を、正しい発音できまずにいました。
~11代将軍・徳川家斉の正室(御台所)である広大院の父。 将軍の岳父として
高輪下馬将軍と称されるほど権勢を振るう一方で、学問・ヨーロッパ文化に
強い関心を寄せ、蘭癖大名・学者大名としても名を馳せた。
(そして)重豪の向学心は、曽孫の斉彬(なりあきら/1809-1858年)に
受け継がれた~
横道に逸れますが、ちなみにその「蘭癖」とは、
~(江戸時代)蘭学に傾注したり、オランダ式(或は西洋式)の習俗を憧憬・模倣
したりするような人を指した呼び名~
このような説明になっていますから、今風に言うなら「オランダかぶれ」「先進かぶれ」
といったところでしょうか。
それはともかく、その島津「重豪」の読み方について、「しげごう」か、あるいは
「しげたけ」くらいしか思いつかなかったのですが、正解はなんと「しげひで」との
こと。
悔し紛れに言うわけではありませんが、これをすんなり「しげひで」と読める人の
気が知れん!
幕末の勘定奉行・外国奉行だった「川路聖謨」(1801-1868年)も(かわじ としあきら)
の名前も、初見の折は読み方がとんと分からなくて立ち往生でした。
筆者の生息エリア内にかつて存在していた「✕✕護謨」(✕✕ゴム)という会社名に、
ついつい引きずられたのかもしれませんが、最初はまあ「せいむ/しょうむ」
くらいに読むものかなと思っていました。
ところが「ゴム」とは全く縁もゆかりもなくて、これを「としあきら」と読むのが
正しいと知った次第で・・・えぇ、ですから、筆者にとっては
「人の名前はイマも昔も難しい」ということに落ち着くわけなんですねぇ、これが。
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