ヤジ馬の日本史

日本の常識は世界の非常識?この国が体験してきたユニークな歴史《日本史》の不思議をヤジ馬しよう!

陰謀編37/新権力が持つ厄介な性癖

ある種の原則、あるいはい通過儀礼と言っていいのかもしれませんが、歴史には
~新権力者は必ず旧権力者を悪く言う~
こうした性癖が厳として存在しています。 


いささかみみっちい感じがしないでもありませんが、そうすることによって、つまり
「悪者を成敗した・失脚させた」という理屈由付けをすることで、自らの正当性が主張
できるのですから、これはある意味当然なことなのかもしれません。


言い換えれば、新権力は歴史の真相に関わる一部分に、作為的な加工や隠蔽をしたり
することで、このような主張をするわけです。
~これまでトコトン悪しき政治を続けた旧権力者に代わって行うボクたち(新権力者)
 の政治こそは、実はメッチャ清く正しいものなのですヨ~


ひとつ例を挙げるなら、ずっと古い時代になりますが、第48代・称徳天皇(718-770年)
などはそのパターンの、ある意味典型的な犠牲者と言えるかもしれません。 
なぜなら、こんな通説がまかり通っているからです。
~僧・道鏡を相手にセックスに溺れ明け暮れ、遂には自らの後継天皇にすることまで
 謀った、すこぶる淫乱でとことん愚かな女帝~


早い話が、いわゆる「天武系」最後の天皇がこの称徳女帝であり、次の第49代・
光仁天皇(708-782年)から「天智系」天皇が復活しています。
つまり、皇統を取り返した天智系は、天武系最後の天皇である称徳女帝を目一杯貶める
ことで、自らの血統が皇位に復帰することの正当性を主張したということです。


「万世一系」という建前通りのカタチで天皇家が続いているということなら、この場合、
言った方も言われた方も「親戚同士」になるわけです。
そうした立場にありながら、相手を「性狂い」と断罪しているわけですから、ハンパな
言い方ではありません。


天皇家というごくごく狭い範囲においての、しかも百年足らずの間の権力移動でさえも、
このくらいの「悪口」になるのです。
だったら、もう少し広い範囲で、しかももう少し長い年月を隔てた権力移動の場合には、
もっと激しい「悪口」が発せられても不思議ではありません。
実際、史実はそうした実例を数多示しています。


  僧・道鏡と称徳女帝


その一つとして、今回は江戸幕府明治政府の場合を覗いてみることにしました。
念のために、関連データを確認しておくと、
江戸幕府(1603-1867年)/初代将軍・徳川家康により開府
    
大政奉還(1867年)/ 第15代・徳川慶喜により奉還
明治政府(1868-1912年)/明治天皇により「五箇条の御誓文」発布


要するに、旧政権・江戸幕府を倒して新政権・明治政府が誕生したということですから、
倒した側からすれば、「江戸幕府(悪者)VS(正義)明治政府」という構図になる
必要があります。
それを上手く構築し十分な説得力を持たせないと、明治政府の存在自体に疑問符を
打たれかねないからです。


ですから、その影響もあってか、筆者が学校授業で学んだ歴史に従えば、イヤでも
こんな印象になります。
~「江戸時代」とは、封建制・士農工商・鎖国・飢饉などに毒された、
 とんと「薄暗い社会」だった~

でも、これって本当に「正しい」印象なのでしょうか?


結論から言えば「必ずしも正しくない」と言えそうです。
なぜなら、歴史には、先にも挙げたような厄介な性癖があるからです。
~政権が変わると「新政権」は必ず「旧政権」の欠点を指摘・強調し、そのことで
 自らの正当性を主張する~


要するに、こういうセリフを吐くことです。
~前政権のあまりの不正義・お粗末ぶりを見るに見かねたボクたちが、それを潰し
 退治することで良い世の中に作り替えましたヨ~

このことは、日本に限らず世界共通の原理になっていて、言わば政権交代おける一種の
「お約束事/儀式」みたいなモノなのです。


ですから、この「江戸時代」から「明治時代」への移行も、そのセオリー?をキッチリ
遵守していると見ていいのでしょう。
突き詰めれば、新しい西洋文明・文化を取り入れることを国是とするためには、
その前の江戸時代を「悪く言う」または、少なくとも「低い評価」にしておく必要が
あったということです。


そうなると、必然的に「暗いイメージ」は強調されるべきだし、「国民は不幸だった」
ことにならないとお話しが続きません。
そこで、明治政府はこうした「自己美化」作業に精を出しました。


  「鎖国の古臭い江戸時代」(悪) VS (正)「西洋と向き合うニュー明治時代」。
「士農工商の古臭い江戸幕府」(悪) VS (正)「四民平等のニュー明治政府」。


では、本当に「明治」は「江戸」より優れていたのかという問題になりますが、
実は必ずしもそうとも言えない状況があったように感じられます?


   

 徳川慶喜(江戸時代)/(明治時代) 日清戦争


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ひとつの実例として、たとえば「平和」を挙げることができそうです。
なぜなら
日清戦争(1894-1895年)・日露戦争(1904-1905年)に踏み込んで
多くの戦死者を出した「明治」に対して、「江戸」の265年間は大きな対外戦争もなく、
またそれによる多大な犠牲者を出すこともなく、退屈なくらいに平和であり続けました。


また、権力と財力のひとり占めも可能した近代国家「明治」に対して、特権的立場に
ある武士には必ずと言っていいほど貧乏が付きまとう、つまり権力と財力を分別して
いた「江戸」のシステムがそれほどに劣ったモノだったとも思えません。


さらに突っ込むならば、学校授業によれば「生かさず殺さず」で、重い年貢に苦しむ
「農民は米を食べられなかった」とされていますが、これなどは明らかに誇張・作為が
あります。 なぜなら、こんな計算が成り立つからです。


~全体で米を三千万石生産する社会に三千万人の人間がが暮らしていたのなら、 
 米は、ほぼほぼ全体にどうにか行き渡っていた~


少し突っ込めば、人間一人の米の消費量は、1石/年ほどとされること。
その上に、すこぶる評判の悪い鎖国政策によって「米の海外輸出」は行われていなかった
はずですから、国内で生産された米は海外へ持ち出しされることもありません。
すると、その全量が国内で消費されたことになるはずです。


さて、その時の人口構成も見てみましょう。
資料により若干の違いはあるものの、全体の85%ほどを農民(農)が占め、残りの
15%ほどを武士・町人・公家・神官・僧侶などが占めていたようです。
また、米の消費量を平均すれば、ざっと一人につき1石/年とされています。


すると、「農民は米を食べられなかった」という状況を作り出すにはどうなるのか?
えぇ、人口の85%を占める農民にまで米が回さないためには総人口の15%の人たち、
つまり3、000万人のうちの450万人ほどの武士・町人・公家・神官・僧侶などが
3、000万石の米を食べ切って、ようやくノルマの達成ということになります。


しかし、考えてもみてください。
仮にその15%の人々が揃いも揃って相撲取り並みの大食漢・巨食漢だったとしましょう。
そうであってさえ、彼らが平均的な消費量の6~7倍ほどの米を毎日きちんと食べ切って
いたとは到底思えません。 
では、食べ切れなかった余剰米はどうなったのでしょうか?


この時代は「鎖国」政策下にあって、基本的には「貿易禁止」の体制下にあったの
ですから、そんな状況下で、わざわざ「米輸出」を大規模に実行していた人物・
商店・組織があったとも思えません。


つまり、「農民は米を食べられなかった」というのは、旧政権・江戸幕府の対する、
新政権・明治政府の根拠のない言いがかりであり、さらに言うなら、肚に一物ある
中傷ということになりそうです。


では逆に、「江戸時代」が「明治時代」に比べて、飛び切りに素晴らしい社会だったかと
言えば、実はそんなこともなかったはずです。
(旧)江戸幕府が経営した「江戸時代」に、飢饉で死んでいった人もいたのは
事実だからです。
しかしそれを言うなら(新)明治政府が経営した「明治時代」にだって、少なからず
いました。


ですから、分かり切った当たり前のことですが、所詮人間が作る社会に
「理想郷」(ユートピア)なんぞはありゃせんゾということに落ち着くのでしょう。


歴史の鉄板法則である「旧政権に対する新政権側の悪口・非難」があった上に、
さらにあの時期には「西洋に対する憧れ」が強くあったせいもあって、その反動として
「江戸時代」をよりお粗末・劣悪な社会であったと強調しただけのことになりそうです。


しかし、そうした事実を冷静に見直すこともないままに、思いがけなく長い期間に
わたって、そうした影響を受け続けました。
いささか過激な言葉を使うなら、明治元年から今日まで日本人は、以下の歴史感で
洗脳されていたのかもしれません。


~鎖国政策を採った江戸幕府が作り出したのは士農工商の劣悪社会であり、
 文明開化の明治政府がもたらしたのが、四民平等の優良社会である~


そのことがあまりに長い間にわたって続いたがために、明治から150年以上経った
現在でも、日本人に中の「西洋に対する憧れ」は、間違いなく生き続けています。


たとえば、東洋(漢方)医学は「科学的」ではないとして排除し、一斉に西洋医学に
走ったという事実もそれに当たるのでしょう。
また身近な例なら、キンキラキンの金髪に染める美意識も、また足の短いオジサン族の
Gパン姿も、さらには特段の信仰心もないのに教会で結婚式を挙げるなども、
そうした「西洋憧れ症候群」の典型的な光景ということになるのかもしれません。


~新権力者は必ず旧権力者を悪く言う~という歴史事実に目を向けるなら、
もうぼちぼち、邪悪な江戸幕府VS善良な明治政府、という単純な歴史善悪観から
卒業すべき時期なのかもしれませんねぇ。


とボヤキながら、足の短いオジサン族の一人である筆者はGパンを買いに
今からユニクロへ走るところなのですねぇ、これが。


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