ヤジ馬の日本史

日本の常識は世界の非常識?この国が体験してきたユニークな歴史《日本史》の不思議をヤジ馬しよう!

冗談?編24/歴史用語で遊ぶ不埒者

日本で一番古い歴史書は「古事記」(こじき)だと、学校の授業で初めて教わった
とき、筆者はその語感りから「乞食」(こじき)を連想してしまったものです。
今思えば、まことに不謹慎な所業でした。


もっとも、この「乞食」という言葉自体もあまり歓迎されるものではなかったようで、
後には、「差別用語/放送禁止用語」もどきの扱いを受けるようになっています。
例を挙げるなら、たとえば児童文学の名作の一つであるマーク・トウェイン
『王子と乞食』(The Prince and The Pauper)なども、近年の日本語訳では
「こじき」との平仮名表記にしたり、あるいは「乞食」という文言を抜いた
『王子と少年』などと表す傾向にあるとのことです。


ちなみに、この「乞食」って、辞書ではどんな説明になっているのでしょうか?
面倒臭いことですが、改めて調べてみると、
~食物や金銭を人から恵んでもらって生活すること。 また、その人~
確かに、あまり芳しいイメージは湧きません。


ただもう少し深追いしてみると、こんな説明を見つけました。
~本来は仏教用語であり、その場合は「乞食」と書いて「こつじき」と読む~
ええっ、元々は仏教用語だなんて、それは初耳だなぁ。


ではその「仏教用語」における「乞食/こつじき」とやらの意味合いは?
~僧侶が自分の身体を維持するために人に乞うこと。 
 行乞(ぎょうこつ)、また托鉢(たくはつ)のこと~

要するに、差別用語どころか、仏教僧の敬虔な修行を指していたわけです。
言葉は時代と共に変化していくということが素直に分かる事例の一つかもしれません。


それはさておき、さて、上のような「古事記/乞食」風のダジャレの類は、ひとつの
言葉遊びとしても、まあそれなりに面白いことでもありそうです。
そこで今回は、そうした歴史用語のダジャレ類を集めてみた次第です。
えぇ、ですから、今回タイトルの「歴史用語で遊ぶ不埒者」って、実は筆者のこと
なののですねぇ、これが。


   古事記


そうは言っても、その「遊び方」自体がイマイチ分かりにくいでしょうから、
まずは簡単にサンプルをご披露しておきましょう。
たとえば、平安時代の女性歌人として有名な
清少納言(966頃-1025年頃)の手による、
平安文学の代表作の一つ
『枕草子』(まくらそうし)の書名をちょっとアレンジして、
「真っ暗掃除」(まっくらのそうじ)


当時の照明環境は、現代ほどには恵まれていなかったはずですから、何事につけ
「いとおかし」(とても趣がある)だけでは暮れてもいかず、ひょっとしたら、
「真っ暗な中での掃除」もしなきゃならんことだってあったかもしれないことを
いった言葉です。


ただし、これは「古事記/乞食」と同類の単なる語呂合わせに過ぎず、歴史的な
意味合いにおいては、その双方に何らの関連性が無いことには留意が必要です。
幾分のツッコミが飛びそうな気がしないでもありませんが、このくらいの無責任さを
持たないことには、なかなか一人前の不埒者にはなれないのです。
ただ、錆びついた己のヘッドを刺激するのには、こうした言葉遊びは、そこそこに
お手軽で有効な方法だとも考えることろです。


ということで、次第に強引な展開になっていきますが、そこは御容赦くださいよ。
さて、その『枕草子』と並んで日本三大随筆の一つとされるのが
『徒然草』(つれづれぐさ)。
学校授業では、この作者の名を確か「吉田兼好」(1283-1352年)だと学んだ
記憶でした。


ところが、今回改めてその「吉田兼好」の名を検索し直してみると、そこに登場する
のは、「卜部兼好」(うらべのかねよし/うらべのけんこう)という名乗りで、
「吉田」がないのです。 なんでそうなっちゃうの? 


その疑問にはこんな説明がありました。
~(卜部兼好は)旧来、吉田神社の神官の家系である吉田流卜部氏の系譜に
 連なると考えられてきたが、資料の見直しにより、その根拠となる家系図が
 
吉田兼倶(かねとも/1435-1511年)による捏造ではないかという見解がある~


本当は吉田神社神官の家系ではないのかもしれない、と言っているのかな?
~(ところが、)吉田神社の系譜に連なるという説に基づき江戸時代以降は
 
吉田兼好と通称されるようになり、 また出家したことから中学校教科書では
 
「兼好法師」と表記される~


ということで「吉田兼好/よしっ健康だ!」
これは、「吉田/よしっ〇〇だ!」と、その上に「兼行/健康」を他愛なく
語呂合わせしただけのものです。
そこでもうひとつ、「兼好法師/(昼夜)兼行奉仕」はいかがでしょうか。
しかしまあ、こちらもメッチャ安普請の語呂合わせであることは否めそうに
なさそうです。


話題を振ります。
ちなみに日本三大随筆とは先の『枕草子』とこの『徒然草』、そして三つ目が、
鎌倉時代の歌人であり京都下鴨神社の禰宜(ねぎ)の子・ 鴨長明(かものちょうめい/
1155-1216年)による『方丈記』とされています。
鳥のカモの場合だと、その平均寿命は4-10年ほどとされているのに比べて、
その何倍も生きたことから、こちらの「鴨(長明」は長命」


さて、その吉田兼好にせよ、この鴨長明にせよ、実は少なからず神道・神社に縁を
持つ人物でもありました。
そこで今度は「本地垂迹説」(ほんじすいじゃくせつ)を取り上げます。
でも、その「本地垂迹説」って訳の分からない言葉は、いったい何のことですか?


元々が神信仰だったこの国に、ある時期に新しく仏教が入ってきました。
そのことによって日本の信仰文化には、こんな解釈も思想理論が誕生したのです。 
~(既存の)神とは、世の人を救うために仏が姿を変えてこの世に現われたもので
  あり、だからして神と仏は元々が同じ存在なのである~


つまり、本物とか正体のことを「本地」と言い、仮の姿をとって現れることを
「垂迹」と言っているわけで、そして、こうした理論・理屈・思想を「本地垂迹説」
呼んだわけです。 しかし、これを屁理屈として受け止めてはいけません。
なぜなら、信仰・宗教の世界の理論・理屈には、多かれ少なかれ、こうした
我田引水?が含まれるものだからです。


そこで「本痔衰弱説」に戻りますが、これを「本痔衰弱説」と遊んでみるのは
如何でしょうか。
~本格的な痔の病は患者の体力を極端に衰弱させてしまう、という一学説~
という屁理屈的解説くらいは付けられそうです。


しかし、その「痔病」のあまりのショックで「呆然痔疾」に陥ることだってありそう
ですが、ただこちらは、残念なことに歴史用語から拝借した言葉にはなっていません。


 

      本地垂迹曼荼羅図 / 厭離穢土欣求浄土


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さて、時代は移って、武士政権の鎌倉時代。 
~武家社会において主君が臣下に対し与える恩恵・保護と、家臣の主君への
 奉仕・忠節義務を負った封建的な主従関係~

いわゆる「御恩と奉公」というシステムで、その根幹が構築されていました。


そして、これが巧く機能しなくなると、たちまちこうした状況に陥ってしまうのです。
「五音と彷徨」(ごおんとほうこう)。 何を言っているの?
えぇ、主君が「五音」(も・う・ク・ビ・だ!)を発すると、
臣下は「彷徨」(路頭に迷う)することになってしまう。
こういう厳しい現実を言っているわけですねぇ。


さて、そうした武士の時代はその後も長く続きました。
しかし、遂には終止符を打つときが来ます。
そのキッカケを作ったのが、いわゆる「黒船来航」(1853年)でした。
~日本の開港を求めて、米国・ペリー代将(1794-1858年)の率いる艦隊が
 相模国(神奈川県)浦賀に来航した出来事~


そこでお遊びです・・・「黒船来航/来る船来航」
変換ぶりが安易すぎるのが玉にキズですが、しかし理屈は合っています。
なぜなら、船が来ることを「来航」と言い、行く船のことは「来航」とは言いません
からねぇ。
その意味では、むしろ当然過ぎるテッパン用語と言っていいのかもしれません。


こうした歴史用語遊びを、最後にもう一つ。
お題は結構難しくて「厭離穢土欣求浄土」(おんりえどごん<えん>ぐじょうど)です。


この難解窮まる言葉の意味はこんな説明になっています。
~(厭離穢土とは、)煩悩に汚れた現世を嫌い離れることを言い、
 (欣求浄土とは、)極楽浄土を心から願い求めること。
 この両方を合わせて「厭離穢土欣求浄土」、
   あるいは詰めて「厭穢欣浄 (えんねごんじょう) とも言われる~


そして、ここでの言葉遊びの課題は、これを英訳することです。
ちなみに、アナタは上に示した概念を英文で表せますか?
アナタは出来なくとも筆者は出来ます。 


では、どんな英訳文に? その答えがこれ。
~ONLY ED GONG JOE DO~
まことのお粗末な一席ですが、どうかお怒りくださいますな。


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