ヤジ馬の日本史

日本の常識は世界の非常識?この国が体験してきたユニークな歴史《日本史》の不思議をヤジ馬しよう!

タブー編19/国民向け〇〇しようぜ!

日本人メジャーリーガーとして超人的な活躍を続ける大谷翔平選手(1994年生)が、
日本全国の全小学校と特別支援学校約2万校に対し3個づつ、総数約6万個の
ジュニア用グローブを寄贈するというお話がつい先頃(2023年11月)ニュースに
なっていました。


その折に添えられた大谷選手の言葉が「野球しようぜ!」
この言葉は「野球というスポーツに触れ、興味を持つきっかけに」との大谷選手の
思いからとされ、さらには
「このグラブを使っていた子どもたちと、将来一緒に野球ができることを楽しみに
 しています」
との言葉も添えられたそうです。
しかしまあ「野球しようぜ!」なんて言葉は、メッチャ簡潔にして心が弾むフレーズで
あり、筆者などは妙に感心してしまったものです。 


というマクラから今回は「(みんなぁ、)仲良くしようぜ!」というお話へ。
ちょっと強引な運びかもしれませんが、そのへんはいつものことですから悪しからず
ご了承くださいな。


さて、大谷選手のこの言葉を耳にしてマイナスの感情を持つ人は、そうそうはいない
のではないでしょうか。
なぜなら日本人は昔の昔から、人間にとって最重要なファクターを「和(仲良し)」
だとしてきた民族だからです。


大和民族の聖典?とも言えそうな、聖徳太子による「十七条憲法」をチラ見して
みるだけでも、このことは一目瞭然です。 そこにはこう書かれているからです。
~和を以て貴しと為す~(人と人とがむつまじく親しくすることを貴いものとする)
今風なら、「仲良しこそ素晴らしい」ほどの感じになるのでしょうか。


 大谷翔平「野球しようぜ!」


人と人との繋がり方は、例を挙げるなら、
親子/兄弟姉妹/夫婦/友達/先輩後輩/師弟/関係などなどがそれに当たり、
じつに多岐多彩にわたります。


ところが、そのどの繋がり方の場合でも「(みんなぁ、)仲良くしようぜ!」
声を掛ける、あるいは逆に掛けられたとしても、そこに悪い感情は働きません。
えぇ、もっともこれには~アナタのような極度のヘソ曲がりを除いて~という
大前提はあるのですがね。


しかも、例えば「仲良くしようぜ!」という言葉には、「仲良くしなさいッ!」とか
「仲良く以外は認めません」との強い命令調や固い義務といった類の鉄の縛りは
感じられません。
つまりは、いうならば「努力目標」?程度の声掛けになっているのです。


ですから筆者なぞは、以下のような言い方も「野球しようぜ!」と同様なニュアンスで
受け止めて構わないと考えているのです。
〇謙虚さを持とうぜ! 〇勉強仕事に励もうぜ! 〇才能を伸ばそうぜ! 
〇人格を磨こうぜ!  〇法律は守ろうぜ!   〇郷土にも貢献しようぜ!
・・・などなど。


ところがギッチョン!
実は、現代においてこうした言葉と取り上げることは、一種のタブー扱いになっている
という事実があるのです。 えええッ、聞いてないよう!  ってか?
ならば、聞かせて進ぜよう。 まあここへ座りなさい。


まず、上の各種「〇〇しようぜ!」と言ったのは、いったいどこのどなたか御存知か?
おそらくは御存知あるまい。
驚いてはいけない、何を隠そう、その発言の主は江戸時代後期の経世家である
二宮尊徳(1787-1856年)なのだ。


しかし、ここで感心してしまうのではいかにも早計に過ぎる。
なぜなら、これは筆者の口からでまかせ、真っ赤な嘘ッパチだからだ。
では本当の発言主は?
驚いてはいけない、何を隠そう、実は第122代・明治天皇(1852-1912年)なのだ。


ということで、ここから筆者の口調も元へ戻しますが、この言葉は以下の経緯があって
登場したものでした。
260年以上続いた徳川家による江戸幕府が終わって、天皇を中心とした新しい政府
「明治政府」(1868年)が成立します。
歴史用語なら「明治維新」ということです。


さて、それから20年近く経た1890年になって、明治天皇は国民道徳の基本と教育の
根本理念を明示するためのお言葉を下しました。
それが近代日本の教育の基本方針「教育ニ関スル勅語」、いわゆる「教育勅語」です。
これには我が国日本が、先進国に負けず劣らずの「立派な社会制度」を保持している
ことを国際社会に向けてアピールするという事情・側面もあったのかもしれません。


そして、その後の歴史をちょっと辿ってみると、
~(その教育勅語は)1890年(明治23年)10月30日に下され、
 1948年(昭和23年)6月19日に国会によって排除または失効確認された~

誕生から60年余りで御役御免になったということです。


昭和の戦争に敗戦したことによって、国体そのものも天皇主権から国民主権へと
切り替わったのですから当然の成り行きだったと言えそうです。
そして、その「戦後」(昭和20/1945年以降)になると天皇絡みの諸々が否定されて
いきました。


それには、天皇自体が「現人神」の扱いから「人間天皇」になったという事情も働いて
いたのかもしれませんが、その延長線として、こうした思想も生まれ出たようです。
~終戦以前の天皇の言動は、すべて誤りであり害悪であった~


さらに進んで、
~天皇の国民・社会向けの口出しこそが、すなわち勅語なのだから、それは非常に
 間違ったものであり、また害悪でもある~


   

     十七条健康 / 教育勅語


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そういうことで、戦後においては、いわゆる「教育勅語」はとんと見向きもされなく
なりました。
ですから、「教育勅語」に対し激しい拒絶反応を引き起こす人の中にも、実は
その内容をとんと知らない人という人も存在するようになったのです。


試しに筆者の周りの人に、その「教育勅語」の内容について尋ねてみると、まあ大体は
こんな程度の答えが返ってくるのです。
~天皇のために死ねって言ってるんだろ?~
あるいは、~そんな古くっさくて細きゃあことなんか、よう知らんがや~


筆者の周りの人というのは大多数が地元民族・尾張人ですから、その物言いも自ずと
尾張言葉になってしまうのは容赦してやってください。
それはともかく、こんなエラそうな口をきいている筆者とて「教育勅語」の内容に
ついては、つい最近まで知りませなんだのです。


そこで、恥カキのついでにその「教育勅語」の内容のひとつひとつを筆者なりに
解釈し、その上にさらに先にも挙げた大谷翔平選手風の言葉に直してみたのです。
すると、こんな感じになりました。


〇親孝行しようぜ!
〇兄弟姉妹は仲良くしようぜ!
〇夫婦は仲睦まじくしようぜ!
〇友達は互いに信じ合おうぜ!


〇自分の言動は慎もうぜ!
〇他人にも手を差し伸べようぜ!
〇スキルアップに努めようぜ!
〇才能は伸ばそうぜ!


〇人格は向上させようぜ!
〇仕事に励もうぜ!
〇法律は守ろうぜ!
〇地域や郷土や国にも尽くそうぜ!


総じて、人間としての思いを素朴に表現した穏やかな内容であり、大部分は現代でも
充分に通用する内容だと筆者には思えます。
少なくとも目を三角にして、あるいは目の色を変えてシャカリキ懸命に否定しなければ
ならないほどの内容だとは感じないのです。


ところが実際今日では、なんとなく「タブー視」する雰囲気が漂っています。
まあおそらくは、その内容そのものよりも、「勅語」(天皇のお言葉)という
この名称が現代通念には馴染まないということなのでしょう。


ということで、大谷翔平選手の「野球しようぜ!」という言葉にいたく感動した
筆者が、悪ノリして~「教育勅語」を知ってみようぜ!~とほざいてみたのが、
ちゃっかり今回記事に落ち着いてしまったという顛末です。
まっこと申し訳ありませんねぇ。


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