異国編16/神武以前の列島神話と海外歴史
神話や考古学にあたる時代を別にすれば、日本の歴史は多くの場合、邪馬台国から
始まっている印象があります。
魏志倭人伝に「鬼道につかえ、よく衆を惑わす」と紹介されているのが、
その女王である卑弥呼です。
そして、その時期は、弥生時代が終わり古墳時代が始まる頃とされています。
そこで、念のためにWikipedia「日本史時代区分表」でそのあたりを確かめてみると、
確かにこうなっています。
〇弥生時代 前(10-4)世紀~ 3世紀
〇古墳時代 3世紀中頃~ 7世紀頃
〇飛鳥時代 593年~ 710年
その時代区分では「弥生時代の終わり~古墳時代が始まる頃」の人物とされる
卑弥呼ですが、もう少し詳しく追ってみると「生年不明–247年」との案内になって
いました。
有難いことに、その数字は「西暦」で表記されていますから、実際どれくらい昔の
人物なのかは、単純な引き算で答えが得られます。
そう、計算に間違いがなければの話ですが、今からざっと1800年ほどの昔の人という
ことになりそうです。
うへぇ、なんてメッチャ古いのだ!
こんな思いをもって、お隣の超大国・中国の同じ時期を覗いてみたところ、これが
恐ろしいことに「三国時代」(220-280年)に当たっているのです。
ただ、そのあたりの知識を筆者は十分には持ち合わせていませんので、腹をくくって
コピペに及ぶと、
~中国の魏・蜀漢・呉による時代区分の一つで、狭義では後漢滅亡(220年)から
晋が天下を統一した280年までを指す~
さらに、
~三国時代については、陳寿が著した『三国志』、明代に書かれた『三国志演義』
及びさらに後世の三国時代を扱った書物によって広く知られている~
その『三国志』の著者である陳寿さんの生没年は「233?-297年?」とされて
いますから、卑弥呼とは同時代の人物ということになります。
そのように眺めて見ると、同じ時代でありながら、片や大陸側では歴史の編纂に努め、
片や列島側では、歴史編纂どころか「鬼道につかえ」の状況だったのですから、
彼我の文明レベルには格段の差があったことがイヤでも分かります。
『三国志』著者・陳寿
では、歴史をもっと遡っていったら、さてどうなるものか。
そこで、卑弥呼より古い時代の人物として、初代天皇とされる神武に注目してみました。
もっとも、天皇なる称号はずっと後世になって発明?され、使用されるようになった
ものとされています。
さて、一応はこうなっています。
~記紀に第1代と伝える天皇。
45歳のとき、船軍を率いて日向を出発し、(中略)
6年目(『古事記』では16年以上かかる)で大和平定に成功し、
辛酉(かのととり)の年元旦、橿原宮で初代の天皇の位に就いた~
その即位した「辛酉の年」を西暦で表すと、「紀元前660年」になるとのことですから、
素直に捉えるなら、
~初代・神武天皇は、卑弥呼よりも900年ほど昔の弥生時代の人物~
ということになります。
ふえぇ、なんとも古いッ!
こうなると、歴史というよりはむしろ神話ともいうべき時代に突入している印象です。
では、列島以外も神話の世界だったのかといえば、そうでもなさそうなのです。
この神武天皇の古さには及んではいないものの、たとえば、ヘレニズム文化の基礎を
つくったとされるヨーロッパ人のアレクサンドロス(アレキサンダー/前356-前323年)
大王などは、ギリシア諸都市を平定した後、ペルシアに遠征し、さらにインダス河畔に
まで軍を進め、空前の大帝国を築いているのです。
神話ところか、まさに歴史そのものです。
また、中国大陸に目を向けて、道教の祖とされる老子(前571?-前471年?)や、
儒教の祖とされる孔子(前551?‐前479年)を取り上げて見ても、年代では
神武天皇よりは100年ほど若者ということになりますが、こちらはしっかり歴史上の
人物だとされています。
もっとも、老子については、
~その履歴は不明な部分が多く、実在が疑問視されたり、生きた時代について
激しい議論が行われたりする~
とされていますから、幾分神話がかった人物であるのも事実のようですが。
そこでさらに、仏教の開祖である、北インドの人物・釈迦に目を向けてみると、
~その存命していた時代については、「前7世紀/全6世紀/前5世紀」など、
複数の説があって、正確な生没年は分かっていない~
このような説明です。
こうなると、やはり「紀元前660年」とは、どうしたって「神話半分、歴史半分」と
いうくらいの時代と言えそうだ。
この結論で手を打とうとしたのですが、ちょっと待て。
そういうことなら、ヨーロッパや中国大陸以外の地域にも目を広げてみようと
思い立ったのです。
初代・神武天皇 / 儒教の祖・孔子
なぜなら、ひょっこり「ツタンカーメン」のイメージが頭に浮かんだからです。
えぇ、古代エジプト王朝の少年王であったあの「ツタンカーメン」です。
そこで早速、その説明を追ってみると、その生没年がなんと、
「前1341年頃-前1323年頃」とされているではありませんか。
これなら「前660年」より遥かに古い時代ですし、また神話上のお話ということでも
なく、間違いなく歴史時代のことだと判断できます。
なぜなら、その証拠として、ピラミッドやスフィンクスなど、当時の建造物が今も
なお確かに残されているからです。
そのうちの、たとえばピラミッドならこんな説明になっています。
~石または煉瓦でつくられた四角錐形の建造物。
その多くはエジプトにあり、ナイル西岸に約80基が現存する。
古代エジプトの王・王妃・王族の墳墓で、紀元前2700から2500年頃に建造された~
ちなみに、その中でも最大とされるギザの大ピラミッドと呼ばれるそれは、
基礎辺各230.34 mでオリジナル高さは146.6 mという巨大さとのことです。
ついでですから、スフィンクスにも触れておけば、
~古代エジプトやアッシリアで、神殿・王宮・墳墓の守り神として作られた、
顔が人間でからだがライオンの石像~
そして、
~ギザの大ピラミッド群近くのスフィンクスは長さ73.5m、高さ約20m、
顔幅4mで最大~と案内されています。
これだけの「遺留品」?があるからには、これが神話に過ぎないということは
あり得ません。
えぇ。「前660年」という時期は、列島では神話の時代という扱いになるのかも
しれませんが、この地エジプトにおいては「歴史の真っ只中」ということに
なっているのです。
なにしろ「前2700年」との説明が登場しているのですから、そのことにクレームを
付けるのは難しい。
そうした成り行きもあって、ひつこいようですが、その「エジプト王朝」の歴史も
覗いてみることしたのです。 すると、
~ナイル川流域では前5千年紀から前4千年紀には古代エジプト文明の萌芽となる
様々な文化が誕生していた。
前4千年紀末には上下エジプトを統一する王朝(エジプト第1王朝)が成立し、
以降前30年のローマ帝国による征服まで、およそ30に分類される古代エジプト王朝が
神格化された王を中心として国家を営んだ~
この説明にある「前5千年紀」という言い方が、筆者にはよく分からなかったので、
念のため確認してみると、
~「紀元前5千年紀」は、西暦による紀元前5000年から紀元前4001年までを
指す千年紀(ミレニアム)である。 現在からおよそ6000年〜7000年前に当たる~
知識が乏しいと、残念ですが余分な手間ヒマを必要とするようですねぇ。
それはさておき、古代エジプトの続きは、
~古代エジプトの王は一般的にファラオと呼ばれる。
古代エジプト王朝は大きく 古王国(前27世紀-前22世紀)、
中王国(前21世紀-前18世紀)、
新王国(前16世紀-前11世紀)に分類される~
グェッ、「紀元前27世紀」(前2700~前2601年)ってか!
そんな大昔に、世界の一角では既に確たる王朝が存在していたとするなら、
「紀元前660年」の神武天皇を「神話」扱いにするなんて、笑えちゃうほどに
ほほえましいエピソードです。
とにもかくにも、この頃の列島とエジプトにおける文明文化の地域格差には、
メッチャなものがあったことにはなりそうですねえ。
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