ヤジ馬の日本史

日本の常識は世界の非常識?この国が体験してきたユニークな歴史《日本史》の不思議をヤジ馬しよう!

アレンジ編28/願い事は境内に隠れて咲く

ぼんやりTVを眺めていたら、こんなニュースが流れました。
~願い事などを書いて神社に奉納する「絵馬」にシールを貼るケースが
 出てきています~

これを耳にしたとき、筆者は反射的にこんな連想をしたのです。


~なるほどなぁ、屋外に飾る絵馬だから、やっぱり雨雪などから文字の劣化を守る
 ためにシールを貼ろうとする動きが出てきたのか・・・昨今のSDGs意識とやらが、
 そこまで高まっているとは思ってもみなかったなぁ~


ところが、これは筆者の「ぼんやり視聴」による見当違いで、TVニュースの
正しい内容はこうだったのです。
~願い事などを書いて神社に奉納する「絵馬」に、最近、願い事や氏名の上に
 シールを貼って見えないようにするケースが出てきています~


なんだとぅ筆者が誤解していたのか。 しかしダ、それではとんと拙いのでは?
なぜなら「シール貼り」の絵馬では、願いを聞き届ける側の神サマだって困る。
「誰のどんな願い」なのかを失念したり、取り違えてしまうことだってあろうからです。


たとえば受験生の「合格祈願」を、うっかり新婚女性の「安産祈願」に取り違えて、
その結果、あらぬ騒ぎのタネを蒔いてしまうことだって考えられないわけでは
ありません。
実際TVニュースも、そのような受け取めをしたらしい40代女性の言葉も紹介して
いました。
~シール貼りの絵馬では神様に願い事を気付いてもらえないのではないでしょうか?~


もっとも、その女性の危惧に対する神社側の回答は、
~(シール貼り絵馬は)特に問題視していない~とのことでした。
つまり、ウチの神社のサマはそのように粗忽者ではないゾ、という自信の表れという
ことなのでしょう。
本当に、特に問題なしなら、まことに幸いです。


しかし、折角神サマに奉納しても、その内容を知られて悪用されることまで心配
しなければならない時代だとしたら、なにかしら窮屈な世の中だと言わざるを
得ません。


    絵馬


そうこうするうちに、筆者の頭に浮かんだのがこんな素朴な疑問。
~そもそも「絵馬」ってなにさ? なんで「絵牛」ではいけないのダ?~
そうすると、TVニュースはまことよろしいタイミングで専門家(宗教社会学)の
こんなコメントを。
~古くは願かけの際に生きた馬を奉納する習わしがあったが、時代の流れによって
 次第に簡略化されて、今の絵馬が誕生したとされています~


なるほど、生きた馬の名残ということなら「絵牛」ではさすがに拙いわなぁ。
そこで、TVニュースの放送後になって、少しこのあたりのことを追ってみたのです。
整理してみると、この程度の説明になっていました。


~かつて神々は騎乗した姿で現れるとされ、神輿(ミコシ)の登場以前は神座の
 移動には馬が必須と考えられた。
 第10代・崇神天皇の代より神事の際に馬を献上する風習が始まったとされ、
 奈良時代の記録には、神の乗り物としての馬、神馬(しんめ/じんめ)を奉納した

 と記されている~


へぇ、神々は馬上姿で現れていたってか。 
それにしては、神話絡みの絵に八百万神々の馬上姿は少ない印象だゾ。
こんな感慨を抱きつつ、もう少しひつこく追及していきました。


すると、
~一方、馬を奉納できない者は次第に木や紙、土で作った馬の像で代用するように
 なり、8世紀頃からは板に描いた馬の絵が見られるようになった~
おうおう、それが現代の「絵馬」のプロトタイプということになるのか。


プロトタイプということであれば、その後に改良を加えられたと考えるのが自然です
から、時間の流れと共に見せた変化・変身も追ってみることになります。
~9世紀頃には神仏習合思想が普及し、観世音菩薩も騎乗して示現するという説が
 広まることで、神社だけでなく寺院にも絵馬を納める風習が及んだ。
 14世紀頃になると扁額式の大絵馬が現れ始め、モチーフも馬だけでなく

 様々な絵が描かれるようになった~


そういえば「馬頭観音」なんて言葉も聞いた覚えがあるが、馬繋がりの、
この「馬頭」と「絵馬」には、なにか関連があるのかしらん。
そこで「馬頭観音」にも寄り道してみると、
~(馬頭観音とは)密教で、悪人や敵を降伏させる修法の本尊。
 俗には馬の守り神とされ、宝冠に馬頭をいただき、身色は赤で、忿怒の相を

 あらわして、一切の魔や煩悩をうち伏せる働きを示す~


どうやら、直接的な関連性はなさそうです。
そこで上の「様々な絵」という説明に戻ることにして、例えばどんな絵のことなの?
~初期の例として、例えば狐を使いとする稲荷神社では狐の絵。
 他にも三十六歌仙の肖像や武者絵、祈願の対象である文殊菩薩を描いた例などが
 あり、今日同様に現世利益を求めて個人が納めることが主流となっていた~


なにやら、馬とはとんと無縁の題材の絵でもOKになっていったということのようです。
これもどうやら「なんでもあり」という日本文化の懐の深さを示した典型的な
一例なのかもしれません。


そういうことなら、歴史の進行と共に絵の内容もさらに変化していったはずです。
~16世紀頃になると、著名な絵師による本格的な絵馬が人気となり、それらを
 展示する、今日の美術館のような役割の
絵馬堂も建てられた~
その絵馬堂は絵師たちが技を競い、また新たな作品を生む原動力をもたらす場でも
あったとされています。


   

       神馬 / 算額


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~17世紀頃から、家内安全や商売繁盛といった実利的な願いをする風習が庶民にも
 広まり、奉納の動機や絵馬のデザインも多様になった。
 絵師・浮世絵師による絵馬のほか、和算家は自分が解いた問題の解法を書いた
 算額という絵馬を、さらに武術では剣術、柔術、棒術などで薙刀や木刀や棒を
 門人の一覧に付した絵馬を奉納した~

つまり、「算額」「絵馬」の一種との説明になっています。


そこでまた「算額」について寄り道するハメに。
~(算額とは)創案した数学の問題やその解法を書いて社寺に奉納した絵馬。
 江戸時代中期に始まったとされ、和算家や市井の数学愛好家らが、数学の問題が
 解けたことを神仏に感謝するという意味合いがあった。
 また、あえて難問を出して解答を求めたり、その解答のみを記した算額を
 奉納したりすることも行われていた~


すっかり失念していましたが、そういえば昔、旅行先の神社でそうした
「算額」(絵馬の一種)に遭遇したことを思い出しました。
ところが、じっくり眺めて見るとどれもがメッチャ難解な問題になっていて、
よくもまあ、これを当時の人が創り、また解いたものだと感心したものです。


しかし、「絵馬」の進化?はここで留まるものではなかったようです。
~明治時代(19世紀)以降、「伊勢神宮参拝記念」「戦勝祈念」「厄除け祈願」
 「子供誕生記念」「干支」など様々なバリエーションの絵馬が生まれた~

現世の「御利益」を期待する姿勢が次第に濃厚になってきている印象です。


さらにそれ以降の時代になると、
~昭和時代(20世紀)以降は、受験生が合格祈願の絵馬を奉納する風習が盛んに
 なった~
確かに、どこの神社へいっても「合格祈願」の絵馬を見ないことはありません。
裏を返せば、昭和時代には「受験地獄」的な環境があった、もしくはそのように
感じられる社会になったということかもしれません。


ですから、大変不敬な言い方になりそうですが、ひょっとしたら、どこの神社でも
「絵馬」の売れっ子ナンバー1・稼ぎ頭って、この「合格祈願」なのかもしれません。


そして、
~2000年代中頃から個人情報保護のため、願い事や住所および氏名の部分に
 ステッカーを貼ることができるようになった絵馬も登場した~

ここで、ようやく冒頭のTVニュースの話題に戻ってきたわけです。


で、「絵馬」は今後、非常に大胆な変革を見せ、「情報保護シール貼り」スタイルが
スタンダード仕様になるやもしれません。 その理由は?
~絵馬に書いた内容が他人に見られたりSNSなどで広まったりするのを防ぐため~
なんとも切なく寂しい印象です。


しかし歴史的に眺めた場合、「生きた馬」の奉納から「絵(に描いた)馬」の奉納への
変革に比べたら、この「シール」は単に有無の違いですから、筆者的には随分と
大人しい変化・アレンジだと思えるところです。


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