ヤジ馬の日本史

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信仰編24/宗僧は諍い合い宗祖は瞑想

筆者の生息地・名古屋には「八事山・興正寺」というお寺があります。
建立は1686年。
「尾張高野」とも称されており、また境内に現存する「木造五重塔」は東海地区唯一の

ものとしても有名です。


さて、その「尾張高野」とは「尾張国の高野山」の意であることは一目瞭然、
モチのロンですが、別には「高野山真言宗 別格本山・八事山興正寺」という名乗り?も
あるようです。


では、その「高野山」って?
それが和歌山県伊都郡高野町(山奥)のある「高野山真言宗総本山・金剛峯寺」
(創建816年)。
筆者は詳しいことは承知しておりませんが、ということは、「八事山・興正寺」は
「高野山・金剛峯寺」のグループ寺院?ほどの位置付けになっているのかもしれません。


では、「総本山」と「別格本山」のどちらの本山の方がよりエライのか?
筆者のような門外漢などは、創建時期の古い分だけ「総本山・金剛峯寺」に分がある
ような印象を持つところです。


 

 高野山真言宗 総本山・金剛峯寺/高野山真言宗 別格本山・八事山興正寺


ところが昨年のことですが、まことに思いがけないことから、かつてこの両寺の間に
根深い“対立”が生じていたことを、ひょいと思い出したのです。
それも教義解釈の対立というような高尚?なものではなく、まっこと下世話な出来事を
巡ってのお話です。
そのことで、余計のこと筆者の頭に残っていたということかもしれません。


ついでですから、その「思いがけないこと」にも触れておきましょう。
それは、まだ記憶に新しい、いわゆる「安倍晋三銃撃事件」(2022・07・08)です。
逮捕された実行犯が供述したのは、えぇ「宗教と金銭」の問題でした。
家族が教団に対して莫大な額の寄付を繰り返していたことによって、当人が人間としての
当たり前の生活環境を失なってしまったことが、今回犯行の動機だったようです。


そして、こちら「高野山」の対立原因もまた総本山VS別格本山という超エライ者同士の
「金銭問題」だったのです。
えぇ、「宗教と金銭」というキーワードが繫がりとなって、ひょっこり思い出したと
いうことなのでしょう。


そこで、ちょっと振り返ってみると、その“対立”の経緯は下記のように報道されて
いました。
2006年03月 前住職が興正寺住職に就任
2012年07月 興正寺の土地を地元大学に売却
2014年01月 総本山が前住職を罷免


つまり、こういうことです。
~興正寺側の「土地売却代金」を巡って、関係が悪化していた総本山寺側が
 興正寺・住職を罷免した~

このことは、グループ寺院?の人事権を総本山側が握っていたことを示しているのかも
しれません。


この「人事・土地売却代金」に絡む両寺の言い分は、こんな按配だったようです。
興正寺~メッチャ一方的で不公正な処分だがや~
総本山~なにを言う。 興正寺の財産である土地を勝手に売却した(興正寺の)
    住職は宗規や宗教法人法に違反しておるのだぞ、それが分かっとるのかぁ~


言われた側は当然言い返します。
興正寺~なにを言う。 アンタら総本山側からはイチャモンを付けられたし、
    その上に多額のお礼金(礼録)を納めるよう通告も受けたがや~

この「礼録」は、「非公表」ながら売買額の3%とのことで、その金額は約3億円らしい
とされていました。
つまり、その売買額は「非公表」ではあるものの、関係者の間では約100億円と
踏まれていたことになります。


この諍いの影響は、総本山と別格本山の外にまで広がりました。
~一方、興正寺・檀家側4団体も4,000人を超える署名を集め、総本山側に対し
 「新住職」の速やかな任命を求めた・・・~

さらには、今度は興正寺側が、
~一旦は総本山との関係解消を宣言。 しかし、直後にこれを撤回~


部外者にはなんとも分かりにくい流れですが、ともかく「人事・土地売却代金」を
巡っての諍いが檀家衆をも巻き込む形になり、この時期の両寺がグッチャグチャの
関係にあったことは間違いないようです。
高邁な信仰心を持っているはずの仏僧たちが、こともあろうに人事とか土地売却代金と
いうモロに世俗的な理由で激しく対立したということです。


さて、それは一旦さておくとして、筆者の生息地・名古屋の「八事山・興正寺」の
お話をもう少し進めると、実はこれとは別の不祥事?も囁かれていたのです。
こんな内容でした。
~ハローワークで募った僧籍のない人間に通夜や弔事を任せた~(2012年の出来事)


多分、通夜の枕経などに対する「寺側」の対応に、遺族関係者がなんとはなしの
不自然さを感じたことがキッカケになって、ついには表沙汰になったものと思われます。


 

          護摩焚き / 「生身供」(しょうじんぐ)


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遺族の立場からすれば、通夜や弔事をこのようなド素人?に執り行ってもらうことは、
「有難味」が薄いだけでなく、なにかしらオチョクられたようで決して喜ばしいこと

ではありません。
ただ、当の興正寺側はこう主張していたようです。
~修行の一環であるからして、(僧籍はなくとも)特段の問題はあれせんぞ~


しかし、この見解は檀家ならずとも、一般通念としてもやや受け入れがたい印象が
あります。
それどころか、場合によってはこれを「故人に対する侮辱」あるいは「偽坊主のペテン」
などと受け止める向きだってあるかもしれません。


もしも事実その通りだったとするなら、無資格者?に実務を任せた上で応分の料金?を
受け取っていたことになるわけで、これでは信仰上はもちろんのこと、不敬な表現
ですが、商品の偽装表示にも通じる行いであり、その意味では商道徳?の面でも
いささか問題あり、と言わざるを得ません。


おぉ、お話がすっかり逸れてしまいますが、それでひょっこり思い出しました。
不利益を被らないように取り繕う意味の言葉、「ごまかす(誤魔化す)」は、
この真言密教の儀式「護摩焚き(ごまたき)」の「護摩」が語源では?とする説が
ありましたっけ。


こう説明されています。
~この説は、弘法大師の護摩の灰と偽り、ただの灰を売る詐欺がいたため、その詐欺を
 
「護摩の灰」、その行為を「ごまかす」と言ったことからとされる~


えぇ、「別格本山・八事山興正寺」も、その冠は「高野山真言宗」となっているのです
から今後の言動に、その「ごまかし(誤魔化し)」がないことを願うばかりです。


さて、その真言密教ですが、高野山の人々や真言宗の僧侶の多くにとっては、以下が
その信仰上の「真実」になっているようです。
~高野山奥之院の霊廟において現在も空海が禅定を続けている~


ちなみに、ここにある「空海」(774-835年)とは、もちろん後の弘法大師のことであり、
「禅定」とは、心を静めて一つの対象に集中する宗教的瞑想をいうようです。
ですから、人間向きの用語に直すなら、
~宗祖は亡くなってはおらず、今もなお生き瞑想を続けておられるぞよ~
ということになります。


しかし、史実としては、桓武天皇の孫・高岳親王(799-810年)なぞは、空海の十大弟子
のひとりとして遺骸の埋葬に立ち会ったとされていますから、どうやら「火葬」され、
きちんと「埋葬」、つまりしっかりと亡くなられたはずなのです。


ところが、信仰的には「いまだ禅定中」ということです。
そういうことなら、いかに聖人とはいえ、活動を続けている以上はやっぱり腹も減ろう
というものです。


宗祖サマの空腹を、信徒たる者が、放ったらかしにはできません。
そのために、「生身供」(しょうじんぐ)と呼ばれるそうですが、食事をお届けする儀式が
毎日二回、現在も欠かさず続けられています。


そうした構図にあるのなら、こういうことになる? 
上のように、総本山と別格本山の両寺が反目し合っている姿を、瞑想中?の当の
~弘法大師は見てござる!~
真言密教とは無関係な人間からしても、さすがにこれでは大師様がお気の毒に思え
ますので、早期の解決を望むところです。


う~ん、実は今回の記事は、東海唯一の「木造五重塔」を有する「尾張高野」を、
「お国自慢」として取り上げたかったのですが、ハナから話題がずれてしまい、
結果としては「お国自虐」の有様になってしまいました。


それで思うのですが、せっかく「弘法大師」の話題に触れながら、今回のように
筆の運びをミスってしまうことも、こう表現してもいいのでしょうか? 
~弘法も筆のあやまり~ (ちょっと、違うのかなぁ)


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