事始め編38/時代常識に挑んだ女帝
昨今のお葬式事情を一昔前と比べるなら、確実に質素になっていると
言えそうです。
そのことはTVに流れる葬儀関連企業のCMに触れるだけでも感じられる
ところです。
現代日本民族の場合なら、そうした葬いは火葬が主流と言っていいのでしょう。
なんでも、その比率99%以上が火葬とされています。
つまり、日本人のほぼ全員が火葬というやり方を受け入れているということに
なりそうです。
だったら、こんな疑問をお覚えませんか?
日本民族はいつから火葬をするようになったのか?
筆者も疑問に思い追ってみると、こんな人物と遭遇しました。
~玄奘三蔵の弟子で行基の師である法相宗の僧侶~
「西遊記」で有名な三蔵法師(玄奘三蔵)に会ったことがあるだけでなく
そのお弟子さんにもなっているのだからちょっと凄い。
で、答えを先気回りすると、
~653年に遣唐使として中国へ渡った僧・道昭(どうしょう/629-700年)~
そしてこの方はもう一つのことでも結構な有名人物とされています。
「されている」なんて腰が引けた言い方になるのは、ひとえに筆者が
知らなかっただけのことで、知っている人は詳しくご存知のようです。
何を隠そう(何も隠しませんが)実はこの道昭さん、日本で
初めて「火葬」に付された人物とのことです。
もっとも、厳密には「記録に登場」する中での「初めて」ということなの
でしょうが、700年に72歳で亡くなり、その際の遺言としてこの
「初めての火葬」が行われたとされています。
もっとも、古墳などの研究によれば、記録に残っていない「火葬」は
この道昭さんより100年以上もさかのぼれるそうですから、つまりは、
仏教は、公伝より以前に私的なルートでも伝わっていて、その頃にはすでに
多少の「火葬」も行われていたということなのでしょう。
そして、この道昭さんが火葬された直後の702年に亡くなった持統天皇
(天智の娘・天武の后)が一年のもがり期間の後、今度は天皇として
初めて「火葬」に付されたことによって、ここに「初代・火葬天皇」が誕生する
わけです。

さて、持統女帝にいったいどんな動機・事情あったものかは、残念ながら
筆者もご本人から伺う機会がありませんでしたが、それにしても「火葬」
そのものは、飾らずに言うなら、結局のところ遺体(肉体)を燃やしてしまうこと
に他なりません。
ですから、見慣れないものにとっては結構残酷に感じられ、その決断に
かなりの勇気を必要としたのは間違いなかったと思われます。
もっとも、女帝自らそれを望んだのか、あるいは周囲の人間が
そのように計らったのかという点については、筆者はよく知りませんが・・・
しかしながら、保守的思想を強く持っているはずの朝廷の「高貴なお歴々」が
かなり早い時期に「最先端」の葬式?を採用したというからには、素直に
考えるなら、その裏には従来の「土葬」中心では何かしらマズイことがあった・・・
とも想像されるところです。
おそらくのところ、それは「死の穢れ」問題だったのではないでしょうか?
つまり、当時の人々は人が死ねばそのエリアは「死の穢れ(死穢)」に
汚染されてしまうという宗教的感覚を持っていて、その解決法を
最先端科学?である「火葬」に見出した、ということなのかもしれません。
現代でいうなら「放射能汚染」あればそれを「除染」することと同様に、
「死穢」という汚染物質?を最新技術の「火葬」で「除染」する。
こんな感覚だったような気がします?
ただ、そうはいうものの、持統天皇よりずっと後世の、たとえば、
あの権勢を極めた藤原道長(966-1028年)とて、その遺体は死穢を有した
「不浄の物体」?として、どこぞかへ廃棄?されちゃったそうですから、
この肉体を焼くという残酷?な風習が「たちまちの内に広まった」と見るのは
いささか早計だと言えそうです。
もっとも、世界には遺体を鳥に食わせるとか、河に流す、海に捨てる、
家の床下に埋める、ミイラにする、挙句の果ては「食べてしまう」などの
葬法もある(あった?)ようで、まあ風習・文化というものは多種多彩で
単純にマルかバツかで決められるものでもないようです。


僧・道昭 / 藤原道長
ここ日本においては、最初?の火葬から1300年以上を経た現代でもこの方法を
採用し続けているところを見ると、結局のところ道昭サンや持統天皇が実践した
この方法は、結果的には「時代の最先端」を走っていた行為だったとの
評価にもなりそうです。
ただ、その後の時代の流れがスムーズでなかったこともまた事実で、明治時代の
一時期(1873-1875年)には、「国家神道」を標榜する政府が神仏分離令との
整合性から「火葬禁止令」を布告したことがありました。
しかし、すぐさまそれを撤回したところをみると、その背景には国民世論の
大きな反発があったということなのでしょう。
つまり、この時期には日本人の間に「火葬」方式がしっかり定着していた
ことの証明にもなりそうです。
まあ、人それぞれの好き嫌いもあるのでしょうが、筆者個人的には
この日本民族が死者を弔う方法として、「ミイラ」でなく「火葬」を選択した
ことは大変によかった、と思っています。
なぜなら、ガリガリに痩せた自分の姿を数百年後の人々の視線に
晒し続けるなんてことはシャイな筆者にはマッチしないと考えるからです。
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