ヤジ馬の日本史

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災難編24/震撼!幕末天然痘レポート

住兵衛

現代ではとんと見られることがなくなった「天然痘」も、実は明治時代に入るまでの

日本ではかなり猛威をふるっており、その凄まじい病状自体がまた「恐怖の対象」に

なっていました。

「とんと見られることがなくなった」わけですから「天然痘」と聞いてもピンと

こない御仁もおられましょう。


何を隠そう筆者もその一人ですので、念のためその「天然痘」について少しばかり

知ってみることにしましょう。

教材をWikipediaに頼ってみると、こんな説明になっています。


~ウィルスを病原体とする感染症のひとつで、ヒトに対して非常に強い感染力を持ち、

 全身に膿疱を生じ、致死率が平均で約20%から50%と非常に高い。

 仮に治癒しても、瘢痕(一般的にあばたと呼ぶ)を残す~


思わず、うっへぇーとなりますが、続いて、

~1980年、世界沽券機関(WHO)により根絶が宣言された、人類史上初にして

 唯一、根絶に成功した感染症の例である~

なるほど、「根絶に成功」したわけだからピンとこないのも無理はありません。


明治以前の猛威は「致死率20%~50%」とのことです。

つまり、この病気で命を落とす人も決して少なくなく、たとえば幕末期に突然に

崩御された第121代・孝明天皇(1831-1867年)もそうした一人でした。


そして、しかし仮に運よく生命の危機を乗り越えとしても、はっきり天然痘跡が

残る人も少なくはありませんでした。 

瘢痕(はんこん)、要するに「あばた」です。

実際、幕末期の肖像写真の中には、下のようにはっきりそれと分かる「アバタ面」を

見出すことができます。


サムライ姿あばた面の塩田三郎


ちなみに上の写真(1864年撮影)のモデルは、幼少時の天然痘によってあばた面と

なった塩田三郎(1843-1889年)です。

若い頃は武士、のちには外交官になった人物です。


それにしても、その「致死率」の高さを知るにつけ、アバタ面ほどのことなら、

罹患した者としては、むしろ幸運の部類だったといえるのかもしれません。

実はその闘病の様子もハンパなものではなかったようなのです。

せっかくですから大流行当時の患者レポート?の一部にも踏み込んでみましょう。


取り上げるのは、水戸の医師・本間玄調(1804-1872年)による

「種痘活人十全弁」(弘化三(1846)年十二月)にある内容です。

もちろん筆者が、そんな古くて硬い本を直に読み下せるわけもありませんから、

ここは「翻訳」頼りの案内になります。


もっとも、この内容についてもすでに「かなりの意訳」とされているようですから、

必ずしも正確でないのかもしれませんが、まあこんな様子が報告されています。

(実際にはこの他にも複数のパターンが報告されている、とのことです)


その症状には段階があったようで、少し進んだ状態でしょうか、

~漆(うるし)にかぶれるような「膿」の頃になると・・・

 その凄まじい痒みによって、顔をかきむしるようになるので手を押さえるが、

 今度は脚をすりむくまでこすり合わせ、それを押さえれば、さらには顔を

 枕にすりつけるやら、背を床にすりつけるやらで、とても防ぎきれるものではない~

患者は七転八倒、のたうちまわったわけです。


これだけでも結構に腰が引けてしまう描写ですが、それで終わるわけでは

ありません。 さらには、

~毒が内へ廻ると、胸先へ鋭くさしこむようになり、歯も欠けるほど歯軋りをかみ、

 その苦しさに耐えかねて父母を泣き呼んで、普段は大嫌いな薬や灸までせがむのだが、

 ノドは痰で塞がり声も枯れて、日夜悶え苦しむだけでなく、猛烈な渇きに

 茶碗に咬みつく勢いで水を飲み・・・~

こんな按配です。


どうだ、ここまで聞いてもアナタはまだ「天然痘」になりたいか!

筆者はゴメンです。

ただただ、この「天然痘」になる心配のない現代に生まれた幸せを心から心から

感謝するばかりです。


さて日本では、古くは「疱瘡(ほうそう)」とも呼ばれていたようですが、

江戸時代以降には、「天然痘」という表現が使われるようになったとのことです。

だったら、その「天然痘」の「天然」って、いったいなにのこと?


こんな意味合いだあってのことだとされています。

~「天然痘」の「天然」は、「天の(自然に)与えたもうた病~

要するに、

~「天(自然)から与えられた病」=避け難い宿命的な疫病~

というニュアンスになるのでしょうか。


   

エドワード・ジェンナー / 緒方春朔


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さてそれはそれとして、では「天然痘」のこれほどの猛威をどうやって克服する

ことができたのか?

意外なことに、この点についてはそれまで「常識」として信じていたことにも

少なからぬ「誤解」が潜んでいたのです。


実は筆者の頭の中にはこんなスト^リーが刷り込まれていました。

~ウシの病気である牛痘にかかった者は天然痘にならないことに注目したイギリスの

 医学者エドワード・ジェンナー(1749-1823年)が1798年に天然痘ワクチンの

 開発に成功した。 

 その際のジェンナーは「わが子」に接種して効果を実証した~


う~ん、わが子を実験台にして世界初への挑戦ってか・・・

さすがに偉人たる者、やることが一味違うと感心していたものですが、ドッコイ

このお話、ちょこっと違うんですってねえ。

最初に接種したのは、実は「わが子」ではなく「使用人の子」だったそうです。

ということは、ひょっとしたら「一抹の不安」もあったのかも?


また「世界初」という点も、少し微妙な印象があって、ジェンナーとは別の方法

だったようですが、それより6年も前(1792年)のこと、秋月藩(福岡県)藩医・

緒方春朔(1748-1810年)がすでに「種痘」を成功させていたのです。

ですから、こと「種痘」という医療方法に関しては、ひょっとしたらこちらの方が

「世界初」ということになるのかもしれません。


そうしたことはともかくも、日本における「天然痘」も時間はかかりながらも次第に

終息の方向に向かい始めます。

本間玄調の本から三年後(1849年)のこと、佐賀藩がワクチンを輸入し、それ以降

次第に種痘(牛痘法)が普及し始めたからです。


最初に紹介したようなメッチャ過酷な闘病生活を強いられることを知っているのです

から、だったら飛びつくように受け入れられたと思いきや、どうもそういうわけでも

ないようで、「牛痘」を施すと牛になるとか、角が生えてくる、などの迷信も

並行して蔓延ったためにそれほどの勢いにはなかったようです。


つまり、どんなことにせよ「人間が新しいものを取り入れる」という行為は、

それなりに大きな勇気を必要とするということなのでしょう。


筆者がスマホをはじめとする「デジタル機器」類の落ちこぼれになっているのは、

実はそのあたりに理由があるのかもしれません。

もっとも「勇気」ではなく、「懐具合」の問題の方が大だと指摘する向きもないでは

ありませんが、それらの御指摘については、そこはそれ不健全かつ不愉快な見解として

キッパリ無視を決めこんでいるところです。


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