ヤジ馬の日本史

日本の常識は世界の非常識?この国が体験してきたユニークな歴史《日本史》の不思議をヤジ馬しよう!

付録編30/遅ればせChatGPTのお試し

住兵衛

いわゆる「黒船来航」という出来事について、Wikipediaはこう説明しています。

~嘉永6年(1853年)に代将マシュー・ペリーが率いるアメリカ合衆国海軍

東インド艦隊の蒸気船2隻を含む艦船4隻が日本に来航した事件~


実はこれだけではなく、さらに続いて、

~艦隊は江戸湾入り口の浦賀(神奈川県横須賀市浦賀)沖に停泊し、一部は測量と

 称して江戸湾奥深くまで侵入した。

 結果、幕府はペリー一行の久里浜への上陸を認め、そこでアメリカ合衆国大統領

 国書が幕府に渡され、翌年の日米和親条約締結に至った。

 日本ではおもに、この事件から大政奉還までを「幕末」と呼んでいる~


ではその「大政奉還」(たいせいほうかん)も覗いてみましょう。

するとこんな説明になっています。

~慶応3年10月14日(1867年11月9日)に日本の二条城で江戸幕府第15代将軍・

 徳川慶喜が政権返上を明治天皇へ奏上し、翌15日(1867年11月10日)に天皇が

 奏上を勅許したこと~


このように政治体制が変わったところまで整理してみて、次にはこんな注文を

ChatGPTにぶつけてみたのです。

~いわゆる「黒船来航」から、明治時代に入ってからの「日本海海戦」までの

 日本の歩みを、原稿用紙4枚程度のブログ用の文章にまとめたいのですが、

 実例の一つを示してください~

すると、その小舘はたちまちに返ってきました。

それが以下の内容。

↓― ― ― ↓― ― ― ↓

黒船の衝撃から海戦の勝利へ――半世紀で近代国家となった日本


1853年、浦賀の海に黒々とした異国の船が姿を現しました。

ペリー率いるアメリカ艦隊、いわゆる「黒船」です。

蒸気機関で動く巨大な船は、当時の日本人にとってまさに未知の存在でした。


平和な鎖国体制の中で200年以上続いた江戸の秩序が、この瞬間に大きく揺らぎ

始めます。

翌年、幕府は日米和親条約を結び、開国の道を歩み始めます。

しかしその後も、欧米列強との不平等条約締結が相次ぎ、国内には不満と危機感が

渦巻きました。


尊王攘夷運動が各地に広まり、幕府の威信は日に日に失われていきます。

やがて長州・薩摩などの諸藩が力を増し、1868年、ついに徳川幕府は倒れ、

新しい時代「明治」が始まりました。


明治政府が直面した課題は山積みでした。

中央集権国家の確立、富国強兵の推進、そして西洋列強に並ぶための近代化――。

廃藩置県で全国を政府のもとに統一し、徴兵令で国民皆兵の体制を整え、

学制を敷いて教育の普及を進めました。


鉄道が開通し、電信が伸び、洋装や洋食が都市を彩るようになりました。

わずか数十年の間に、日本の姿は劇的に変わっていったのです。

とはいえ、近代化の歩みは平坦ではありませんでした。

西南戦争に象徴されるように、旧士族の不満が爆発することもありました。

また、自由民権運動が高まり、政府は民意の扱いに苦慮します。

↑― ― ― ↑― ― ―↑


 ChatGPT


あれあれ、結構凄いものですね。

こうした内容を一分そこそこで文章にしてしまうなんで、人間の、というより

少なくとも筆者の能力ではとてもじゃないが及ぶところではありません。

しかしChatGPTは、ここで息切れすることはありません。

しっかりこの続きも書いてくれているのです。

↓― ― ― ↓― ― ― ↓

1889年には大日本帝国憲法が公布され、1890年には帝国議会が開設されました。

専制から立憲へ、日本は新しい政治の形を模索し始めます。

国際的にも、日本は「弱いアジア」から脱しようと懸命でした。


1894年の日清戦争では近代化の成果を示し、勝利を収めます。

しかし、列強による三国干渉で遼東半島を返還せざるを得ず、

「強国の壁」の高さを痛感しました。

この屈辱が、さらなる軍備拡張と国力増進への原動力となります。


そして1904年、日露戦争が勃発します。アジアの新興国・日本と、

ヨーロッパの大国・ロシアとの戦い。

世界は半信半疑でしたが、日本は国力を総動員して戦いました。


翌1905年の日本海海戦――連合艦隊司令長官・東郷平八郎のもと、

日本艦隊はロシアのバルチック艦隊を撃破します。

この勝利は、アジアが欧米列強に挑んだ初の成功例として世界を驚かせました。


わずか半世紀の間に、日本は鎖国の島国から近代国家へと変貌を遂げました。

黒船の衝撃が恐怖であったなら、日本海海戦の勝利は自信の象徴でした。

その急激な変化の裏には、多くの試行錯誤と犠牲、そして「追いつけ、追い越せ」

という国民の情熱があったのです。

明治という時代は、まさに日本が“世界と向き合う覚悟”を固めた時代だったと

いえるでしょう。

↑― ― ― ↑― ― ―↑

なかなかに大した技です。

そして、まことに御丁寧なことに以下の補足注記まで


↓― ― ― ↓― ― ―↓

(字数:約1,650字) ご希望があれば、

〇学生向けにもう少し平易に書き直す

〇歴史ブログとしてやや学術的トーンに寄せる

〇特定のテーマ(軍事・政治・社会変化・人物など)を軸に再構成する

といった形にも調整できます。

どんな方向の文章を希望されますか?

↑― ― ― ↑― ― ―↑


 

      黒船来航 / 日本海海戦


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ほんのお試しに行ってみたことですからこれより先は遠慮しましたが、それにしても

この速さでこの仕事は大したものです。

ところが、必ずしもそうでないことにも気が付きました。

こんな「お尋ね」をしてみたときのことです。


~屋根の「杮葺き」や舞台の「杮落し」の「杮」(こけら)と、果物の「柿」(かき)は

 同じ漢字ですか?~

回答は、~似ているが明瞭に異なる文字です~


しかし、じっくり見直しても筆者にはその「明瞭な違い」が判りません。

そこで再びChatGPTにこんな質問をぶつけてみたわけです。

~いったいどこが異なるのか、具体的に教えてください~


するとなんとも複雑な文章が返ってきて、それを突き詰めてみるとこんなことを

指摘しているようです。

~両漢字の偏(へん/左側)は共通だが、旁(つくり/右側)が異なっている~


そういうことなら、次は当然こんな問いかけになります。

~右側がどのように異なっているの?~


じつはその問いに対する説明が、再び「意味不明」でした。

~下の横棒が隣の部分にくっ付く~

隣といえば、偏(へん/左側)しかありませんから、実際に両文字を確かめて

みたのですが、決してそのようにはなっていません。


そこで再び三度、両文字の見比べです。

目玉がジンジンしてくるなあ。

その甲斐あって、「アッ!分かったぞう!」

~なんだ、そういうことだったのか! 確かに似て非なる文字だ!~


ではどうして、そこに気が付かなかったのかといえばChatGPTの説明に原因が

あったのです。

~下の横棒が隣の部分にくっ付く~

というのは明らかに間違った説明で、両文字の違いは~下の縦棒~にあったのです。


もしアナタがヒマ人でしたら、試しに一度探してみてください。

もしアナタがヒマ人でなかったら、それでも試しに一度探してみてください。

そのうち、目玉がジンジンしてきますよ。

ということで、今回は「遅ればせChatGPTお試し」レポートの体裁に

なってしまいました。


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