ヤジ馬の日本史

日本の常識は世界の非常識?この国が体験してきたユニークな歴史《日本史》の不思議をヤジ馬しよう!

油断編17/神気分はある日突然に

住兵衛

超昔々のことですが、TV番組で「スーパーマン」を演じていた俳優ジョージ・

リーヴス(1914-1959年)が、ある日のこと、自殺か他殺か不明な“射殺死体”で

発見されるという事件がありました。

~不死身のスーパーマンも死ぬのかよ~なんて冗談も囁かれたほどに、

当時の日本ではよく知られていました。


またそれから半世紀ほどのちには、この出来事は2006年『ハリウッドランド』

(監督:アレン・コールター)という作品で映画化もされています。

たこともあって割合知られているようです。


その「スーパーマン」つながりで言えば、TVより後の映画作品で同じく

スーパーマン役を演じた俳優クリストファー・リーヴ(1952-2004年)も、

落馬事故(1995年)によって身体麻痺の境遇に陥っています。

つまり、ささかのこじつけはあるものの、こうした出来事からも超人「スーパーマン」

といえども、決して不死身・不滅の存在ではないことがわかります。


そういうことなら、こうした「超人?がコケる」姿は日本の歴史の中にもあるはず、

ということでちょいと探してみることにしたわけです。

そこで筆者の頭にまず浮かんだのが、室町6代将軍・足利義教(1394-1441年)でした。

なんといっても、この方の特異性?は四人の候補者の中から、「クジ引き」で

将軍後継に選ばれたという事実です。


先代将軍の後継に候補者四人の中の誰が就いたとしても、その周辺から不満が出るのが

目に見えていました。

それぞれに大義名分を備えているわけですから、つまり関係者間の話し合いでは

どうにも結論が出せそうもない。

さりとて、武力に頼ったのでは、だれにとっても得策ではない。

そういう状況にあったわけです。


そこで選ばれた方法が「クジ引き」でした。

公平無私でどんな結果が出ようとも、それについては「恨みっこなし」でいこう、

ということです。

現代のことでしたら、「当たりクジ」を射止めた人間を単に「運の良い奴」と

受け止めるものですが、どっこいここの時代の人間はもっと謙虚な受け止めを

していました。


    足利義教


「クジ引き」とは「神意を諮る」行為に他ならない。

ですから、「当たりクジ」を引いた人間はこう思いたい。

~神意はボクにあるのだ。 ボクこそは神に選ばれた人間である~


つまり、「クジ引き」当選者の義教の気分はこうだったわけです。

~神は他の誰にも見向きはせずひとえに自分を選んだのだからして、やっぱり

 ボクこそは「神に選ばれし唯一無二の絶対的な将軍」に他ならない!~


で事実、義教の場合は「神を味方」につけた気分で、「万人恐怖」と呼ばれるほどに

強硬な政治姿勢を貫きました。

~室町幕府の権威回復を目指す中で、強権的で専制的な政治を行い、反対者を

 容赦なく粛清したため、「万人恐怖/悪御所」と呼ばれ、公家、寺社、守護大名に

 至るまで恐怖で支配した~

なにしろ「万人恐怖」ですからねぇ、ハンパではありません。


本人にしてみれば、「神に選ばれし将軍」自らが「神のご意志に沿って」推し進めて

いることになりますから、周囲から恨みを買うなんてことは夢にも思いません。

しかし、その幕引きは突然に足元から襲ってきたのです。


「万人恐怖」の強権を発揮した義教は、周囲の反発に思いをいたせず、謀反の前に

実に呆気ない最期でした。

家臣筋の赤松満祐・教康父子による「嘉吉の乱/嘉吉の変」(1441年)です。

屋敷に誘き出されたところで斬殺を食らったのです。


さて、「神に選ばれし」どころか、自分自身が「神」?の生まれ変わり?だと信じる、

文字通りの“神がかり“を披露した武将もいました。

上杉謙信(1530-1578年)です。


謙信の「神がかり」は自らを「毘沙門天」の生まれ変わりと信じていたことですから、

それこそ「怖いものなし」です。

この時代の大名にとって、御家を存続させるための必要不可欠かつ最重要課題である

「後継者作り」なんてこともすっかりボイコットするカタチで、それこそ

生涯「チョンガー」(古い!)を守ったのです。

「妻帯」なぞはまるっきり眼中になかったということになります。


なんでそうなるの?

なぜなら、「毘沙門天」の生まれ変わりである自分が、「結婚」また「後継者作り」

という人間界の俗事に染まること自体が筋の通らない話だと受け止めていたからです。


それにまた、「毘沙門天」生まれ変わりであるなら、きっと「死ぬことはない」はず

だからです。

もっとも、御家の将来を案じる家来たちの必死の説得?には、なんとか応じて

二人の「養子」(景勝と景虎)だけは迎えました。


神の生まれ変わり?である謙信は、このようにして律儀に「女性」の方は

避け通しましたが、「酒」の方は、避けるどころかお迎えにいくほどでした。

なにせ、絵師に盃を描かせ、「この盃がワシの後姿だゾ」と語ったそうですから、

かなりの酒好き・呑兵衛だったと想像されます。


日頃の過度な飲酒などが原因の脳血管障害が死因だったのではないかとの見方も

あるようですが、ある日城内のトイレで倒れ、そのまま急死に至っています。

しかしここでもまた、文字通りに「神がかりは突然コケた」のでした。


   

       上杉謙信 / 織田信長


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その数年後に今度は「自ら“神”を目指した男」が出現し、これに続く恰好になりました。

既成の権威を拒否し、天皇すら超越した立場を目論んだ織田信長(1534-1582年)です。


その信長についてはこんな説明になっています。

~尾張国出身。 家督争いの混乱を収めた後に、「桶狭間の戦い」(1560年)で

今川義元を討ち取り、勢力を拡大した。

足利義昭を奉じて上洛し、後には義昭を追放することで、畿内を中心に独自の

中央政権を確立して天下人となった~


着々と勢力圏の拡大を果たし、イケイケドンドンの最中にあったわけです。

ところがこうした信長もまた、先輩・足利義教と瓜二つの原因をもってその命を

散らしました。


~家臣・明智光秀に謀反を起こされ、本能寺で自害した~

要するに、家臣・明智光秀の謀反「本能寺の変」(1582年)の前に

呆気なく倒れたということです。


これもまた誰も予想しなかった「“神がかり”は突然コケる」姿でした。

こうした歴史の出来事は、「神の身ならぬ人間」・・・

つまり、神と人間は、やはり根本的に違う存在であることを教えてくれている

のかも知れません。


足利義教・上杉謙信・織田信長など、「神の気分」を備えたまま突然の死を迎えた

「神の身ならぬ人間」たちも確かに残念だったことでしょう。

しかし筆者に陰れば、似て非なる「金の実らぬ人間」(貧乏人間)も結構残念な

ものだということを、実は身に染みてよーく知っているのです。


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