災難編24/前をまくれば一目でわかる!
現代の常識基準にてらせば今回のお話の内容はいささか問題あり、になるのかも
しれません。
その判断は筆者には手に余るものですので、これより先の文章にもお付き合い
くださる場合はトコトンまで自己責任ということでお願いしておく次第です。
お話の対象は基本的に「オトナ」の方に限定しています。
ですから、お若い、いわゆる「コドモ」たちはここで素直に引き返してくださいね。
その境界線はどこだ?
こういったご質問もありますが、正直を言うならなにもそこまでこだわらなければ
ならないほど濃い内容でもありません。 どうぞご安心ください。
では本題に。
男女を見分ける一番手っ取り早い方法、といえば、これは昔も今も、
「ナニ」を目視確認することのようです。
で、案の定、歴史の中にはそれに関した面白可笑しいエピソードも少なからず
残されています。
たとえば中流貴族・源顕兼(1160-1215年)の手による鎌倉時代初期の
説話集「古事談」には、こういうお話が紹介されているそうです。
随筆「枕草子」の作者として有名な平安時代の女性・清少納言(966頃-1025年頃)
のケースです。
その清少納言とは、
~平安時代中期の女房、作家、歌人。 随筆『枕草子』は平安文学の代表作の一つ~
ちなみに筆者には、こうした「清少納言」とか、あるいはそのライバル?「紫式部」
とかいう名前について、これを「苗字+名」でできているものと思い込んでいた
時期があります。
そうでないことを知って、憤慨したものでし。
~昔の人って、なんちゅうややこしいことをしていたのだ!~
お話がそれました。 もとに戻ります。
さて、その清少納言には兄がいて、その兄・清原致信(生年不肖-1017年)が、
二十名ほどの騎兵・歩兵に館を襲撃されたと思ってください。
その際のお話です。
実はこの時すでに出家していた清少納言もこの館にいて、この混乱に巻き込まれて
しまったのです。
なにしろ兄・致信を標的にしての武装兵による「襲撃」ですから、賊側だって
メッチャ殺気立っています。
ヒョッコリ手違いがあろうものなら、当然家内の者にも危険が及ぶ心配もある、
まさに修羅場です。
出家の身にあった清少納言も焦りました。
何しろ当時、とうに五十歳を超えて老齢?の域に達していましたし、また雅な
宮廷衣装とはトコトン無縁な僧衣をまとっていたからです。
敵兵に「うっかりミス」(男女の見間違い)があろうものなら・・・
~あわわわ・・・うっかり「男」に見間違えられたらワタシの命も
ありゃあせんぞッ!~
この思いに捉われた清少納言は、機転を利かしてとっさに裾をまくり上げるや、
「ナニ」を晒して男ではないことを納得?させ、この難を逃れた。
こんなお話になっています。
人生最大のピンチ?に直面して「恥ずかしい」とか「はしたない」とか、そんな贅沢を
言っている場合ではなく、とにもかくにも全知全霊を傾けて「女であることを証明」
したということなのでしょう。
実際、この襲撃によって「男である」兄・致信は殺されてしまいました。
いささか面白すぎるようにも感じるお話ですが、書物に記録されたということなら
それに近いことはあったのかもしれません。
そこで、これに似た話なら保谷もきっとあるのでは?
で、探してみると・・・やっぱり、あるものですねえ。
江戸時代の禅僧・仙厓義梵(せんがい・ぎぼん/(1750-1837年)が、
よく似たエピソードをお持ちでした。
その仙厓義梵とは、
~江戸時代の臨済宗古月派の禅僧、画僧。禅味溢れる絵画で知られる~
洒脱な絵画「丸三角四角図」、あるいは
~よかろうと思う家老は悪かろう もとの家老がやはりよかろう~
などの狂歌などで知られた方です。
ただし当然ですが、こちらは「女性と間違えられた」というお話になっています。
仙厓義梵 / ボーヴォワール女史
仙厓が江戸から博多への帰途、箱根の関所にさしかかった、と思ってください。
ところが、どう見間違えたのか、番所の役人が仙厓にこう問いただしたのです。
~お主ッ、もしや尼僧ではあるまいなッ、面を上げいッ!~
まあ「入り鉄砲に出女」という意識が残っていての尋問だったのかもしれませんが、
いずれにせよ、清少納言の場合と同様で僧衣だけでは「男女の別」がはっきりとは
見分けられなかったということなのでしょう。
問われた仙厓がおとなしく、
~はい、尼僧ではありません、歴とした男僧?です~
これくらいの返事だけで済ませておけばいいものを、仙厓はそうはせず無言のまま、
いきなり衣の裾をたくし上げるや、股間の「ナニ」を突き出して
「男であることの証明」に及んだとされています。
これには、役人も度肝を抜かれて呆然・・・そのサマを尻目に仙厓は当然とばかりに
悠々と関所を通過したとか。
つまり、歴史は次の「真実」を示していることになります。
~女性(清少納言)の場合にせよ、男性(仙厓義梵)の場合にせよ、
「男女の証明」はああじゃこうじゃの説明より、「ナニ」を目視確認させることが
最も説得力のある方法だ~
ただしこの鉄則?は、社会の性の仕組みがシンプルだった「昔」の時代だからこそ
通用したといえるのかもしれません。
現代では、「同性婚」とか「性別違和(性同一性障害)」などの概念も定着し、
そうした「昔」に比べ、遥かに複雑な「性構造」になっているからです。
そういえば、二十世紀にはこんな本も登場しましたっけ。
~「女」とは、「男」があってそれに次ぐ性なのか?~
ボーヴォワール女史(1908-1986年)の著作「第二の性」(1949年)です。
以来それなりの時間は費やしたものの、ここで問題提起された「性の変貌」には
実際目を見張るものがありました。
こうした流れに添っていくなら、おそらく近い将来には、
(ひょっとしたらいま現在すでにその中にあるのかもしれませんが)
「第三の性」?とか「第四の性」もどきの、従来を超越した幾分複雑な概念が
多数登場することになるのでしょう。
「身体は男だけど心は女」はたまたその逆、あるいは異性愛・同性愛・その入り交じり、
さらにあるいは異性婚・同性婚、ひょっとしたらグループ婚・・・
こうなると、二十世紀生まれの人間の大半は、自分の感覚がもう追いつかなくて
こんな独り言を呟くのかもしれません。
~う~ん、自分も随分歳を取ったものだ。
単に前をまくるだけで男女の別を証明できた清少納言や仙厓義梵の時代が
メッチャ懐かしく感じられるがや!~
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