ヤジ馬の日本史

日本の常識は世界の非常識?この国が体験してきたユニークな歴史《日本史》の不思議をヤジ馬しよう!

災難編22/ワケありの神事オホホ祭り

住兵衛

筆者が生息する地域には「熱田神宮」があります。
ええ、このように説明されることが多い由緒ある神社です。
~三種の神器の1つである草薙剣(天叢雲剣)を祀る神社として知られる~


そして、その歴史について言えば、実はつい10年ほど前の2013年に、なんと節目に
当たる「創祀千九百年大祭」を行っています。
ですから、計算上では邪馬台国女王・卑弥呼(170頃-248年)の時代よりさらに
百年以上も古い時代に「創祀」されたことになっています。


さて、筆者もその地の原住民の一人として、その名をこれまでにも小耳に挟むくらいの
ことはあったのですが、その熱田神宮では毎年のこと「オホホ祭り」という
ユニークな名の神事が続けられているとのことです。
珍しい名を冠した神事でもあるために、筆者としてもこの際少しばかりの勉強をして
みる気になったのです。 


そこで、手始めにネットに入ってみると、
~「オホホ祭り」は、「酔笑人神事(えようどしんじ)」という名の熱田神宮の神事の
 ひとつです~

なるほど、「オホホ祭り」とはいわゆる通称であって、本称は「酔笑人神事」という
らしい。
しかしまた「酔い笑う人の神事」だなんて名称には、ちょっとばかり虚を衝かれた
想いだ。


さて、おぼろげながら、そこまで把握できたところで今度はネット「熱田神宮」に
移ってあちらこちらをキョロ見してみると、
~酔笑人神事/ 5月4日 午後7時/
 御神体の草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)が当神宮に還った故事を今に伝える神事です。
 境内の灯を消し、影向間社、神楽殿前、別宮前、清雪門前の四ヶ所で、悦びを込めて
 高笑いをする珍しい神事です~


高笑いをする神事だと説明されています。
しかし、神様に向かってそんな態度を取るのはいささか不謹慎な気もするぞ。
そんなことを思いつつも、開催される日がすぐ数日後の「5月4日」であることに
気が付いたのです。
ならば、地元民の一人としても一度くらいは見学させていただくことにしよう。


 

オホホ祭り/酔笑人神事(毎年5月4日・夜)


そのためには、本番前に少しばかりの予備知識も得ておこう。 すると、
~この神事では祝詞・神饌がなく境内の灯りも全て消されます。
 古くより見てはならないと語り伝えられる神面を各自の装束の袖に隠し持った
 祭員(神職)たちが 1) 影向間社、2) 神楽殿前、3) 別宮八剣宮前、4) 清雪門前の
 四か所を巡りながら、その自分だけの神面を扇で軽く叩いた後、全員が一斉に
 「オホホ」と高笑いをするという神秘的な神事です~


で、遂に本番に参加する運びになりました。
すると、正確な人数は分からないものの、その気配から察するに少なくとも200人ほどは
いたのだろうと思える見学(参拝)者に混じりながら、いくつかの提灯の灯りに
先導された16名の神職たちの後を、筆者もまた付いて回ることになりました。
しかし、あたりが暗いために足元の凹凸が分かりにくい移動となって、中には
スマホを取り出してその灯りを頼りに歩く方も出る有様でした。


ただ、移動時はともかく、神事の最中においてはそうした灯りも点けないよう、
誘導係員からは、再三の注意喚起がありました。
「境内の灯りも全て消して行う神事」がウリになっているのですから、これは当然の
ことでしょう。
そして、最後の4) 清雪門前での「オホホ」が済むと、これで一連の神事はすべてが
終了です。


終了の案内を耳にして、時計を見てみると7時45分。
初めての経験であり、また暗闇のなかで結構な距離を付いて回ったような印象でしたが、
時間に直してみれば僅か45分ほどの神事でした。
ただ、足元の注意が怠れなかったせいもあってか、それなりの疲労感は覚えました。


それはともかくとして、最初の下調べで少し気になったところがありました。
それは、えぇ、~御神体の草薙神剣が当神宮に還った故事~という部分です。
つまり、この文言を素直に解釈すればこうなります。
~御神体の草薙剣が熱田神宮には不在だった時期がある~


そこで、その点についてさらにひつこく追ってみると、
~天智天皇の御代、故あって神剣は一時皇居に留まられましたが、
 朱鳥元(686)年勅命により当神宮に還座(かんざ)されました~


    第40代・天武天皇

 オホホ祭り(酔笑人神事)
 熱田神宮境内/ 影向間社・ 神楽殿前・ 別宮八剣宮前・ 清雪門前


 応援クリックを→ にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ ←にほんブログ村


上にある第38代・天智天皇の御代(在位期間)を調べてみると、具体的には
「668年-672年」とされています。
ただ、その「668年」とは別の言い方なら「天智天皇7年」になるとのことです。
えぇ天智天皇の場合には、即位した年が元年ということにはなっていないようですから、

確かに話はややこしい。


それにしても、上の説明にある「故あって」との文言はいかにも奥歯に物が挟まった
というか、隔靴掻痒の感がするというか、なにやらやたらと遠回しな言い回しになって
います。 そこで、さらに突っ込んでみるとこんな説明に遭遇です。


~668年(天智天皇7年)、草薙剣が新羅の僧・道行により盗難~ 『日本書紀』
こうなってくると、ますます茶の木畑に入り込んでしまった感覚に陥りますが、
さりとて折角ここまで来て途中撤退するのもシャクですから、その「草薙剣盗難事件」
目をやることに。


すると、『日本書紀』(720年成立)によると事件はこんな顛末だったようです。
~沙門(僧の意)の道行が草薙剣を盗み、新羅に向かって逃げた。
 しかしその途中で風雨に遭ったため、道行は迷って帰ってきたという~

そういうことなら、当然その時点で草薙剣も元の熱田神宮に返されたのだろう。


そう思うのが自然ですが、ところがギッチョン、そうはならず、
~盗まれた剣は取り戻したが熱田宮に返されず天皇の元に置かれた~
そして、勅命によって当神宮に還座されたのが、上の説明の通り18年後の
朱鳥元(686)年という運びです。


18年後だなんて、多少ものぐさな天皇なら放ったらかしにしたままだったかもしれん。
なのに、なんでまた忘れた頃になって還座の勅命が出されたのかしらん。
そこにも首を突っ込んでみると、それにはこんな事情があったとされています。


~時の天皇である第40代・天武が病にかかり、占いをしたところ、それは
 草薙剣の祟りと出た~

我が身に祟っている物を身近に置いたままにしておくのも、あまり賢い方策とは
思えません。
そこで、その「祟りもの」を、天皇の住まいである皇居から元の保管場所であった
熱田神宮へ送り返したということなのでしょう。


しかし、またこの説明も納得がいくものにはなっていません。
なぜなら三種神器とは、
~日本神話において、天孫降臨の際に天照大神が孫の瓊瓊杵尊(ニニギ)に授けた
 三種類の宝物で、すなわち八咫鏡・天叢雲剣(草薙剣)・八尺瓊勾玉の総称~

と説明され、さらに一般的にはこのような受け止めがされているからです。
~皇位のしるしとして、代々の天皇が伝承する三つの宝物~


要するの、その天皇の「正統性」を証明するための証拠物件のようなものなのです。
そういうことなら、天皇の正当性を担保するその三種神器の一つである草薙剣が
「天皇その方に祟った」なんてお話は、ハナから矛盾しているわけで、まっこと
変過ぎるくらい変なお話なのです。 
では、その草薙剣に祟られたとする天武天皇のその後は?


実は、こんなお話になっています。
~5月24日に病気を得た天武天皇は、元号を定めて朱鳥とし、合わせて宮殿の名前も
 「飛鳥浄御原宮」と命名し、さらには神仏の効験によって快癒を願ったが効果はなく、
 9月9日に崩御した~

要するに、あれこれ「厄払い」に努めたが成就はならなかったということです。


こうした一連の様子を素直に眺めるなら、「草薙剣の祟りは神仏の効験より強かった」
ことになり、言葉を換えるなら、当時の人々は天武天皇に対する草薙剣の
「ハンパでない祟り方」を目撃したことになります。


もっと直截に言うなら、このエピソードは、天武が本当に天皇になる正当な資格を
備えた者なのかどうか、このことにいささかの疑念を覚えていた者が、当時の人々の
中にも皆無ではなかったことを暗示しているのかもしれません。


時の大権力者に面と向かって、正統な資格云々なんてことはちょっくらちょいと
言えるものではありません。
そこで、盗難事件があって「草薙剣」が本来の場所ではない皇居に留め置かれたことを
勿怪の幸いとして、その大権力者の病について「神剣が祟ったのだ」というお話を
持ち出したということも考えられないわけではありません。


そうしたセンで眺めるなら、この「オホホ祭り」には筆者なりのこんな解釈も
成り立ちそうな気もするところです。
一つには、もちろん草薙剣が無事に還座したことに対する喜びのオホホ。
そしてもう一つには、御神体である草薙剣が正当な資格を欠く天皇に対して敢然と
祟るだけの確かな霊力を備えていたことに対する驚喜のオホホ。


もちろん、後者の事情は大っぴらにできることではありません。
なぜなら歴代天皇は「万世一系」を大原則としているからです。
ということは、多くの神社もまた、この「万世一系」という受け止めを原則的に
是として、これに異を唱えることはないということになります。


そうした環境に中で、ひとり熱田神宮だけが、正統な天皇とか、あるいは正統性に
いささかの疑問符が付く天皇だとかの区別をしたのでは「反神社勢力」、いうならば
「反社勢力」と見做されてしまいますからねぇ。


ですから、草薙剣が備えた霊力に対するオホホは、内輪に限っての「ここだけの話」
として、その範囲に留め置かなければならなかったということなのです。
そういう目線で眺めるなら、「オホホ祭り」って意外に奥が深いのかもねぇ。


 応援クリックを→ にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ ←にほんブログ村