ヤジ馬の日本史

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忘れ物編40/お城博士桶狭間を語る

住兵衛

とんと知りませんでしたが、こうした講演会が地元で開催される旨のお知らせが
ひょっこりLINEに入りました。
〇講師・講演/千田嘉博 「桶狭間の戦いと大高城」
〇日時・会場/2024年12月21日㈯ 13:00→15:30 名古屋市教育センター講堂
〇申込・定員/定員800名 事前申込制(応募者多数の場合は抽選)


ついでのことに関連する情報を探ってみると、講師の顔写真も登場。
それを見てハタと気が付きました。
~なんだぁ知っとるゾ、TVによく登場する「お城博士」だがや~
とはいうものの、姓の方はともかく名の「嘉博」の方は今回初めて意識したくらいの
「知っとるゾ」加減です。


しかしそこは根が貧乏性の筆者ですから、折角の情報をそのまま捨て置くのはさすがに
勿体無い。 そこで早速申し込むことにしたわけです。
さてネットでの申し込みに入って、氏名などの定例項目の記入を済ませると、続いて
今度は「同行者あり/同行者なし」を選ぶことになります。
1名限りとはされていましたが、そこはそれ、根が貧乏性の筆者ですから、当然
「同行者あり」を選ぶことになります。


「応募者多数の場合は、抽選により(当選・落選を)決定します」という文言なぞも
確かにあるにはありましたが、しかしまあ、これは主催者側の「見栄」というか
「お約束」みたいなもので、結局は応募者全員が「当選」になると踏んでいました。


ところが後日、実際には「落選」の通知を受けた方もあったことを知って、これには
吃驚仰天、とまでは行かないものの、いささかの意外感を覚えたものです。
TVに出演することは、さすがに強い認知度を残すものですねぇ。


   千田嘉博講演会


今回の講師であるその「お城博士」については、先にも述べた通りよく知りません。
そこでWikipediaにある氏のプルフィールをちょっと覗いてみました。
~日本の城郭考古学者で、中世・近世城郭の考古学的研究を行い、日本各地の城の
 発掘調査・整備の委員を務める。
 また世界の城と日本の城の比較研究を行っている~


TVにもよく出ていることには触れられていないものの、さらにはこんな説明も。
~2016年のNHK大河ドラマ『真田丸』の真田丸城郭考証者~
ですから、やっぱり飛び切りの売れっ子学者のお一人だと言えるのでしょう。


最終的には、応募当選者とその同行者のグループ数人で参加することになりました。
当日は早目の時間に集合しましたので、会場内の座席の空き状況はまだまだ余裕の
ヨッちゃん。 ところが主催者側はこう案内し続けるのです。


~次第に席が埋まっていくので、その確保は秩序正しく礼儀正しくネ~
確かに次第に混み始め、開演直前には主催者側の目論見通りにほぼ満席の状態に
なりました。


さて、その今回の講演はなんと3部構成。
〇第1部/史跡大高城の調査成果について(市教育委員会・学芸員)
〇第2部/桶狭間の戦いと大高城(名古屋市立大学教授・千田嘉博)
〇第3部/大高地区の歴史的価値をいかしたまちづくりの推進
     (名古屋市教育長&研究者・名市大学生代表者&千田教授)


第1部は「調査」がテーマになっていますから、割合に地味目のお話になりました。
しかし、ここでは聞き慣れない「赤色立体地図」という言葉が頻出したのです。 
でも何ですか、それ?
Wikipediaにはこう説明されています。


~地形の可視化手法の1つで、2002年に発案され、航空レーザー測量により
 得られた、数値標高モデルのデータを用いて作成された、方向依存性が
 ない地図であり、どの方向から見ても立体的にみえる~

言葉ではよく分かりませんから、その例を下の図に示しておきましょう。


とにもかくにも、こうした「赤色立体地図」が作成できるようになったことで、
地面を実際に掘ってみなくても地下の状況が一定程度に判定できるようになったそうで、
このことがまた研究者の負担や研究費の圧縮などに大いに貢献しているとのことです。
しかし「掘らなくても地中の様子が分かる」なんて、「酒を飲まなくても酔える」
みたいなイメージですから、考えてみればメッチャ凄いことです。


それはともかく、ここで休憩時間を挟んで、さて第2部の始まりです。
女性司会者による千田教授の経歴などの紹介が済むと、本日の「メーン・イベント」で
ある千田教授の登場です。
そして、のっけに出た言葉がこれ。


「私が千田です。 ここへ出る前にあれこれご紹介いただきましたが、率直に言って
長すぎます。 たった一言“イケメンの先生です” これだけでよかったのです」

たちまちのこと、会場は笑い声に包まれました。
なるほど、聴衆の心を掴む巧みなセンスとテクニックをお持ちであると感心した
次第です。

   

  赤色立体地図の例 / 大高城・丸根砦・鷲津砦


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テンション高目の千田教授のお話は続きます。
そのメイン内容はタイトルにある通り、「桶狭間の戦い」と「大高城」です。
念のために、一般的な説明もここに示しておきましょう。


「桶狭間の戦い」
~永禄3年5月19日(1560年6月12日)に尾張国知多郡桶狭間での織田信長軍と
 今川義元軍の合戦。
 2万5千人の大軍を率い尾張に侵攻した今川義元に対し、尾張の織田信長が
 本陣を奇襲、または正面から攻撃し、今川義元を討ち取った~


「大高城」
~桶狭間の戦いの前哨戦として、当時今川義元の配下であった松平元康
(後の
徳川家康)が「兵糧入れ」をおこなったことで名高い~


だったら、その「大高城」を今川方が確保していた事情は?
~織田信長離反者の調略により、大高城は沓掛城とともに今川方の手に落ちる。
 この脅威に対して信長は「丸根砦」と「鷲津砦」を築き、大高城に圧力を加える~


つまり、この時の信長は「大高城」に対する兵糧絶ちを目論んだということであり、
その間隙をついて家康の「兵糧入れ」があったことになりそうです。
こうした経緯を千田教授は主催者発表800名の聴衆に向け、巧みな話術で
さらに語り込んでいきます。


そして、時間の多くを割いたのが上の説明にもある「丸根砦」「鷲津砦」でした。
それもちょっと覗いておくと、
~永禄2年(1559年)、今川義元との領土争いの前線として、丸根砦・
 鷲津砦・善照寺砦が織田信長によって築かれ、桶狭間の戦いの前哨戦が行われた~


ちなみに城と砦の違いは? この答えを「AI」にお尋ねしてみました。
すると学術論文並みのお答えが返ってきたのですが、それを乱暴にざっくり
丸めてしまうと、こんな感じになるのでしょうか。


→軍事拠点であると同時に政治や経済の中心地。
   地域の統治拠点として交通の要所や戦略的に重要な場所に築く。
→軍事的な目的で設置された防衛拠点や前線基地。
   戦場や境界地帯、城の防御を補完するための場所に築く。
大高城・丸根砦・鷲津砦それぞれの位置関係は、その距離が数百Mという
ごくごく狭い範囲に固まっています。



ここから先の織田軍VS今川軍の経緯についても、詳しく話されましたが、なにせ
戦の展開だけでなく、随所にジョークなども織り込むサービスぶりでしたから、
それらを全部書き表すことはさすがに無理な相談です。
どうしても知りたい方は、別の機会にでも千田教授の講演を直接に体験されることを
お勧めします。


そして、これは熱田を日頃の生息地としている筆者自身も完全にウッカリしていた
のですが、千田先生のお話でハタと思い出したことがありました。
戦に先立って信長が戦勝祈願した熱田神宮も、そしてこの大高城も、当時はその
すぐ目の前に海・伊勢湾が広がっていたという事実です。
当時の地形がスライドに映し出されました。


現在では干拓などによって、どちらも海から4~5kmも内陸の土地になってしまって
いるせいで、そこに住む筆者でさえ、その当時は「目の前が海の場所」だったことを
すっかり失念していたのです。 


言葉を換えるなら、
~現在の地形に頼って当時の経緯をイメージしてはいけない~ということに、
改めて気づかされたわけです。


再々度の休憩時間の後は、いよいよ最終の第3部。
その「大高城」があった地域の都市計画についてのディスカッションです。
発言者は前段で挙げた御三方であり、その構成を一言でいうなら、
~道路建設は史跡の保存を考慮したものにして欲しい~という、
研究者側から行政側への嘆願です。


実際、「大高城」の堀部分にかかる道路計画が進んでいるとのことで、この現実に
千田教授らの研究者側は大きな危機感を抱いていることが伝わってきました。
ということで、図らずもどっぷり「歴史漬け」の半日を味わった次第です。
同行者の皆さん、まことにどうもお疲れ様でございました。


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