発明発見編31/神サマ仏サマも血統ブランド
日頃は何気に使っている言葉にも、いざその意味合いを定義せよ説明せよとなると、
ちょっと答えに詰まってしまうことも少なからずあります。
自分なりにはその概念はしっかり把握しているつもりなのに、言葉としては巧く
表せないということです。
筆者の場合なら、たとえば「高級ブランド」などの「ブランド」がそうでした。
それなりのイメージは掴んでいるつもりなのに、説明しようとすると的確な言い回しが
見つからないのです。
で、この場では手っ取り早い手段としてカンニングを。
すると、こんな説明になっています。
~商標ともいい、企業が販売または提供する商品やサービスについて、他企業や
競争相手と区別するために使用する名前、象徴、デザインなどをいう~
そうした「ブランド」の存在は、なにも衣料品や化粧品の世界に限ったものでは
ありません。
一応のところ、建前では「平等」とされている人間の世界にも現実には「ハイソサエティ」
なる一種の「ブランド」が存在しています。
人間の世界にあるということなら、それが神サマ仏サマの世界にあっても何ら不思議
ではありません。 その神サマ仏サマとて、元を質せば人間が創造したものだからです。
ということで、さて今回のお話をスタートさせましょう。
まずは神サマの世界です。
神話で紹介されている「天孫降臨」については、こんな説明になっています。
~天照大神の命を受けて、孫である瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が、高天原から日向国の
高千穂峰に天降ったことをいう。
その際、天照大神は「天壌無窮の神勅」、「三種の神器」を授け、天児屋命
(アメノコヤネノミコト)ら五部神を侍せしめた~
で、その「天壌無窮の神勅」はこのように宣言しているのです。
~豊かで瑞々しいあの国は、わが子孫が君主として治めるべき国土です。
わが孫よ、行って治めなさい。 さあ、出発しなさい。
皇室の繁栄は、天地とともに永遠に続き、窮まることがありません~
つまり、皇室はこの時から神の子孫とという特別な存在とされ、言葉を換えるなら、
唯一無二の貴重な「ブランド」になったわけです。
別の言葉なら、最高の「ステータス」(地位・身分・状況・情勢など)と言っていい
のかもしれません。
それが証拠、天皇になる資格は天照大神の血統にある者だけにあり、「万世一系」と
されています。
もっとも、これは信仰の世界における「建前」であり、実際の人間社会における天皇の
場合の一系性にはいささかの脆弱性が感じられなくのないのですが。
そうした例をひとつだけ挙げるなら、第26代の継体天皇(450?-531年?)がそうで、
その血統については、こう説明されています。
~記紀によれば、(第15代)応神天皇5世の来孫であり、『日本書紀』の記事では
越前国、『古事記』の記事では近江国を治めていた。
本来は皇位を継ぐ立場ではなかったが、四従兄弟にあたる第25代武烈天皇が後嗣を
残さずして崩御したため、大伴金村や物部麁鹿火などの推戴を受けて即位したと
している~
この「5世の来孫」とはこうなります。
1世=子/2世=孫/3世=孫の子(曽孫)/4世=孫の孫(玄孫)/
5世=孫の曽孫(来孫)。
これほど遠い血縁関係になるのに、胸を張って「万世一系」と言い切っていいものかど
うか、確かに多少の違和感がないでもないのですが、しかしともかくも神サマの
世界では天照大神の血統をメッチャ特別で最高の「ブランド」としていることは
間違いありません。
では、人間の世界や神サマの世界にもある、そうした「ブランド」意識が、
仏サマの世界にはないものか? ちゃんとあるのですねぇ、これが。
さて、仏僧には元来数多の戒律があり、その中には「女犯」もありました。
それには、このような経緯があったと説明されています。
~原始仏教以来、女性は不浄な穢れた生き物と考えられてきた。
釈迦は僧に女性を見るな、話すなと、女性とのかかわりの一切を禁じた。
そして、特に僧は女性との性的な交わり、すなわち女性と交接を行うことを
「女犯」として戒律で禁じられた~
こうした戒律の建前からすれば、仏僧が子や孫を儲けることはあり得ません。
ところがギッチョンです。
ことの真相を知られれば、たちまち「破戒坊主」とのレッテルが張られてしまう恐れが
あるために普通は内密にしたようですが、隠し子を持った仏僧も決して少なくは
ありませんでした。
こうした「女犯」の戒律に正面から疑問をぶつけたのが、浄土真宗の宗祖とされる
親鸞(1173-1263年)でした。 こんな説明になっています。
~親鸞29歳の時に比叡山と決別して下山し百日参籠を行い、その末に女犯に対する
一つの悟りを得た~
宗祖・親鸞 / 第8世宗主・蓮如
この顛末を少々乱暴に言い切ってしまうなら、親鸞はこう捉えたということに
なりそうです。
~僧だ、あるいは俗(一般人)だと両者を区別すること自体がすでにナンセンスなのだ~
ですから、「女犯」の戒律に建前的に拘った姿を見せる他宗の僧を尻目に、
親鸞は僧でありながら、果敢に正々堂々と真正面からの結婚を果たしています。
言い換えれば、自分の子供を大っぴらな形で儲けた僧は、当時の仏教界においては、
親鸞一人だったということです。
しかし、僧と俗とをさえ区別しない親鸞ですから、自分の子も他人の子もそこには
区別はありません。
つまり、「宗祖・親鸞の血統」という点について、親鸞自身はなんら特別な意識は
持っていなかったということです。
ところがずっと後の時代に、宗祖・親鸞から数えて直系八代目の子孫である、
蓮如(1415-1499年)が登場しました。
実はこの頃の浄土真宗はまったくの不人気で、トコトンの凋落ぶりを見せていました。
そりゃあそうでしょう。
信徒の痒い所に手が届くような親切なサポートすらすることなく、ひたすらに信心に
没頭する真面目一本道の浄土真宗でしたからねぇ。
で、ここからは筆者が創った無責任なヨタ話になりますから、その点はご了解を
お願いしておきます。
浄土真宗の熱心な信徒の一人と、時のリーダーである蓮如の会話です。
信徒 「ねぇ、蓮如サマ、我が浄土真宗は長期低落傾向の最中にあるとお聞きして
いますが、それはホントのお話ですか?」
蓮如 「う~む、イマイチと言うより、むしろ人気サッパリ、と言った方が正しいの
かもね」
信徒 「そういうことなら、この際思い切ってカ“リスマ性”をウリにするのは
どうでしょう!」
蓮如 「はて、そのカリスマ性とはいったいなんのことだね?」
信徒の熱心なプレゼンテーションは続きます。
信徒 「ビジネスの世界でもその通りですが “他の店にはないモノを売る“、このこと
こそが人気挽回の秘訣です」
蓮如 「売るとは言うものの、阿弥陀如来サマの像なぞはどの寺にもあるゾ」
信徒 「蓮如サマァ~、仏像を売っ払ってどうするつもりですか!
カリスマ性を売るのです、売るのはカリスマ性!
つまりブランドを創造するのです」
実は信徒は頭の中にはこんな思いが巡っていたのです。
信徒 「武力も権力も備えていない“天皇家”が滅びることもなく、権威を保ったまま
連綿と続いているのはいったいなぜだ? その理由を考えてみるなら、すなわち
天照大神のご子孫であるという一点に絞られるわけです。」
思考は続きます。
信徒 「だったら、その“天皇家”と同様に、蓮如サマも《宗祖・親鸞サマのご子孫》で
あることを前面に打ち出して、他宗派との差別化を図るべきであろう。
これこそは、僧の結婚を公に認めている我が浄土真宗にしかできない超難度・
ウルトラCの技ですぞ~
「女犯」他の戒律もあって、実際他宗派においては僧の「結婚」を認めていない
のですから、我が子への継承なんてことはもともと無理な相談というわけで、結局の
ところ教えは弟子から弟子へ(つまり他人から他人へ)と伝えるだけです。
このこと気がついたこの信徒はエラい!
信徒 「そのカリスマ性とは、実は子作りのことなのです!」
蓮如 「なんと! 子作りがカリスマ性とはなんのことやら?」
信徒 「その理論の整合性については当方にお任せいただいて、とにかく蓮如サマは
子作りにお励みくだされ!」
蓮如「う~む、マイッタなあ、しかし我が浄土真宗のためなら頑張るほかないかもダ」
で、この後の蓮如サマは「子作り」励みました。
どのくらい励んだかと言えばwikipediaはこう説明しています。
~妻の死別を4回に渡り経験し、生涯に5度の婚姻をする。
子は男子13人・女子14人の計27子を儲ける。
山科本願寺において85歳で示寂。 死の直前まで公私共に多忙を極めた~
このように蓮如サマは1499年(85歳)に亡くなるのですが、末っ子13男はその前年の
1498年生まれ、つまり蓮如サマが84歳の時に誕生しています。
これはスゴい! みなさんも見習うべきです。
それはともかく、さて、この大勢の子供達が浄土真宗の巻き返しに大きく貢献した
ことは言うまでもありません。
しかも、そのすべてが「教祖・親鸞サマ」の直系子孫なのですから、これは他宗派には
絶対にマネのできない強味です。
事実、その後の浄土真宗は勢力を盛り返していきました。
盛り返しすぎて、後には織田信長との間の死闘(石山合戦/1570年-1580年)を
11年にわたって演じたくらいのものです。
ともあれ、神話・神サマ・仏サマをも巻き込んでのこうした民族独自の歴史の結果が、
現代日本人の「ブランド好き」という嗜好を生んだということなのかもしれませんねぇ。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。