付録編29/流行り廃りは偉人にも
たまたまの用事でとある超長老宅へ伺った時のこと、床の間の掛け軸にひょいと
目が留まりました。
そんな折に、たまたまのことWikipedia記事に同じ図柄を見つけたのです。
そうした御縁もあって、すこぶる安易な姿勢でなんとも申し訳ないのですが、
それを今回のテーマに取り上げることにしました。
しかし、なにはなくともその図柄が無いことには話が続きません。
さりとて、筆者が言葉で過不足なくその図柄を説明するなんてのも無理無体なお話です。
そこで「百聞は一見に如かず」・・・下段からその図柄そのものをお確かめ
いただけるようにしました。
ついでのことにそのデータも併記しておくと、このように説明されています。
~描かれている人物は、鎌倉中期の家人で青砥藤綱(あおと ふじつな/生没年不詳)。
鎌倉幕府第5代執権・北条時頼(1227-1263年)に仕え評定頭となった。
清廉潔白な性格で、公平な裁判を行なったことや後述のエピソードで有名~
さらには、原画は明治時代前期の浮世絵師・井上探景(安治/1864-1889年)の作で
あり、画集『教導立志基』(きょうどうりっしのもとい)に収められているもの
だとの説明も見つけました。
ちなみに、その画集『教導立志基』はこのように説明されています。
~歴史的人物の故事を描いた明治時代の浮世絵の揃物(連作)。
明治政府が打ち出した教化方針のもとに制作された教訓絵で、古代から近代までの
さまざまな偉業を成した人物が描かれた。 全53図~
その中の一枚がこの「青砥藤綱」を描いた作品です。
ではこの絵はいったい何をやっている場面ですか?
その問いに対してはこんな説明がありました。
~(藤綱は)夜に鎌倉の滑川(なめりがわ)を通った際、銭10文を落とし、
そのため従者に命じて銭50文で松明を買って探させた~
絵の中で、買ってこさせたその松明で作業人夫の手元を照らしているのが、
どうやら青砥藤綱ご本人のようです。
ですから、今風に言うなら、さしずめ、
~千円札を落としたので五千円の照明器を買ってこさせて探させた~
という感じになりますから、えらく律義な行動だといえそうです。
ところがこの話を知った人物が、こう嘲(あざけ)ったとされています。
~たった10文(の銭)を探すのに銭50文を使うのでは収支が合わないのではないか?~
平たく言えば、
~10文を取り戻すのに銭50文も使っちゃって・・・バッカじゃないの~
というところです。
ここまでのお話にはさほどの偉人性も教訓臭も感じられません。
ところが「偉業を成した人物」を描いた画集に収められているくらいのものですから、
これで終わることはないのです。
この嘲りに対し、藤綱はこう答えました。
~確かに10文は少ないが、これを失えば天下の貨幣を永久に失うことになる。
50文は自分にとっては損になるが、他人を益するであろう。
合わせて60文の利は大である~
この「他人を益する」の意味合いは、これも今風なら「お金が回る」つまり、
「その分だけ社会の経済活動が活発になるではないか」と考えたということなのかも
しれません。
もし、そういうことであるなら「私より公が大事」という意識を可視化した行動の
ようにも受け取れます。
なぜなら、
~『太平記』巻35においても藤綱の逸話が記され、『大日本史』にも載せられている~
という事実があるからです。
ちなみに幾分の寄り道になりますが、両書についてもちょいと確認。
『太平記』とは、
~南北朝時代の応安年間(1368~1375)の成立とされる軍記物語(40巻)。
鎌倉末期から南北朝中期までの約50年間の争乱を華麗な和漢混交文で描く~
もう一つの『大日本史』とは、これがハンパない超長編歴史書で、
~江戸時代の歴史書(397巻)。
徳川光圀(1628-1701年)の命により、明暦3年(1657)水戸藩が史局を設けて
編纂に着手、明治39年(1906)完成。
神武天皇から後小松天皇までの歴史を漢文の紀伝体で記述~
要するに17世紀半ばに着手し、完成したのは20世紀。
ですから、~製作期間は250年~
このような説明ですから並大抵の事業ではありません。
それはそれとして、ですからこの「青砥藤綱」のエピソードは、
南北朝時代の『太平記』にも、また江戸時代の『大日本史』にも、
さらには明治時代の『教導立志基』にも取り上げられていたことになります。
『太平記』(全40巻)/ 『大日本史』(全397巻)
~そういうことなら、もう少し多くの人が知っていてもよさそうなものではないか?~
よくは知らなかった筆者が、よくもまあ図々しくモノ申せるものですが、
言葉を換えるなら、~なんで有名でなくなってしまったのか?~
たまたまのこと、ヒマ人を自称する年配の方々とお話する機会があって、
不思議なことにこれもまたたまたまのこと、この話題が持ちあがったのです。
すると、なにせヒマ人を自称するくらいの方々ですから、玉石混交じつに様々な
意見が飛び出しました。
ひとつには、そこに至る前段階に対する疑問です。
~「たった10文でも見捨ててしまえば川に流されてしまうではないか」
青砥藤綱はこう言ったげなだけど、絵を見る限りはコインが流されてまうほどの
強い流れには見えせんぞ。
だからよぅ、現代人なんぞはこのエピソードに幾分の「ウソっぽさ」を感じてまって、
気分がだんだんと遠のいてまったのではないかえ~
要するに、このエピソードには今でいう「ヤラセ」っぽさが感じられ興ざめするゾ、
とのご意見でしたが、なにせ地元の原住民という御身分ですから、さすがに
尾張言葉が強い。 しかも、こんな追い打ちまで。
~今どきのTV番組などは確かに「やらせ/演出」のオンパレードで、
ニュース番組の街頭インタビューなんぞも、ちゃんとそれ用のタレントが
おるげなだでぇ~
そうすると、別のヒマ人が相槌を。
~そう言やぁよぅ、TouTubeにもそんな話題が仰山あがっとったがや~
それとは違った感想を持つヒマ人も。
~今どきの世の中はなにかにつけカード払いだし、スマホ決済だし、それどころか
仮想通貨なんてわけの分からんものが注目されているくらいだでよぅ、
現金絡みの話はよう伝わらんし流行らんのでないきゃぁ~
なるほど、一理あるかもね。
さて、あれこれと話題が飛んで恐縮ですが、このお話には別バージョン?もあって、
その場合はこんなお話になっているそうです。
~主人・藤綱から(松明購入用の)50文を主人預かった家来は、その内の40文を
皆で分けて自分の懐に入れ、残った10文を川から拾ったと主人に渡した~
そうなるとその先がちょっと心配になりますが、こう続いていました。
~それが主人の知るところとなり、改めて川から拾い直した~
このお話では、落とした元の10文がとっくに流されてしまったものやら、あるいは
今もってそこにあったのに発見できなかったということなのか、ともかく
その行方がよく分かりません。
ひょっとしたら、川の中の10文に気が付いた通りがかりの人が、そのままネコババ
したということだって考えられないわけではありません。
なぜなら、拾得物を扱ってくれる交番が当時はまだ無かったわけですからねぇ。
ということで無理を承知の申し出になりますが、アナタも一度こうした
ヒマ人の方々と同様の目線でこの青砥藤綱の「落とした銭10文」の顛末を
再考察してみるなんてのはいかがでしょうか。
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