ヤジ馬の日本史

日本の常識は世界の非常識?この国が体験してきたユニークな歴史《日本史》の不思議をヤジ馬しよう!

付録編26/男も女も座り方を変えた

いまさらの感がありますが、いくつかのTV時代劇を観て、ひょいと気が付きました。
~戦国時代と江戸時代の武士の座り方には違いがあるゾ~
もっともソファーに腰を下ろすシーンはあまり見かけませんから、つまりは
正座(せいざ)胡坐(あぐら)のことになります。


「正座」というからには、これが日本人のその昔からの「由緒正しい座り方」という
意味だとばかり思い込んでいましたが、ところが真相はどうもそうでもないようで、
「正座」という言葉の登場はなんと明治以降だとされるようです。


また、「胡坐」の方法は一般的には、
~両膝を左右に開き、体の前で両足首を組んで座る座り方~
このくらいに説明されますが、ところが、これが「武士流胡坐」?の場合になると、
実際には
~(ピッタリと両方の)足の裏を合わせて股関節を広げ、膝を床に落とした座り方~
となります。


さて、その「正座/胡坐」ですが、この二つの姿勢はそれぞれに欠点を抱えています。
「正座」の場合だと、一時的にせよ、どうしたって「痺れ」によって足の神経の麻痺に
襲われることで、正座を解いてもすぐには立てなかったり、あるいは、なんとか
立ちあがったもののついついよろけたりした経験を持つ人も少なくないでしょう。


   モデル:吉田松陰

 正座(せいざ)←/→ 胡坐(あぐら)


これが「メタボ人の正座」ともなるとちょっとばかり大変で、足が支えるべき体重が
ド~ンと増えますから、もうほとんど「拷問」と言っていいほどの「痺れ」になる
ことは、実は筆者にはよく理解できています。


そういえば、仏事の場で焼香する人が正座から立ち上がったものの、激しい痺れで
よろけて、その瞬間、転倒すまいと思わず身近にあった読経中の坊さんのツルツル頭に
手を掛けたところ、その手が滑って結局転倒する、というTVコントを観たことが
あります。
身近にあり得ることであり、同感を得やすい光景ということなのでしょう。


つい逸れてしまったので、お話を元に戻します。
では、それなら「武士流胡坐」の方が楽かといえば、実は世の中それほど甘いものでは
ありません。
~股関節が柔らかくないとできない上に、骨盤と背筋のバランスを取らなければ
 ならない~

こんな説明も付いているくらいですから、身体の堅い現代人にはてんで不向きな
座り方です。


もっとも、この説明文を流し読みするだけでは、その厄介さ加減は分かるものでは
ありません。 繰り返しますが、
~足の裏を合わせて股関節を広げ、ひざを床に落とした座り方~ですよ。


それはもう痛いばかりで決して楽しいものではありません
なぜそんなことが言い切れるかといえば、筆者はその「武士流胡坐」に我が身を
もって挑んでみた経験があるからです。


「股関節を(グワッと)広げ」るだけでもいい加減ツラいことなのに、その上さらに
「ひざを床に(まで)落と」すともなれば、これはもうほぼほぼ拷問で失神寸前です。
これをウソだと思う方がおられましたら、実際にチャレンジすることを強く強く
お勧めします。


さて、ここまできてやっと本題に入れそうです。 
では、
~武士が座り方の主流が「武士流胡坐」から「正座」になったのはなぜ?~ 
そのように問われれば、最初に思いつくのは、やはり「時代」が戦乱から平和へと
転換したことでしょう。


確かに戦乱の時代に「正座」をしていたのでは、例の「痺れ」で咄嗟の身動きが
とれません。
ですから、ここはやっぱり痺れの軽い「武士流胡坐」が向いています。
しかし、これが平和な時代ともなれば、必然的にその咄嗟の身動きを必要とする場面も
減るでしょうから、必ずしも「武士流胡坐」にこだわらなくてもいい、という理屈に
なります。


事実、武士が「正座」をするようになったのは、江戸幕府第三代将軍・徳川家光
(1604-1651年)の時代からとされているようで、これは単に姿勢的な意味合い
ばかりでなく、主君に対して恭順の意を示す、つまりは言葉通りに「膝を屈する」こと
をビジュアル化したものだったかもしれません。


さらには座る「場所」の状況問題も取り上げられそうです。
堅い板張りの床に「正座」ではスネはたちまち悲鳴を上げ、さすがに辛いものがあります。
しかしそれに比べたら、柔らかい畳敷きの場合は正座でもある程度はその辛さの軽減が
期待できるというものです。


そんな感慨にふけっていたところ、さらに古い時代の据わり方についてこんな記事を
見つけました。
~平安時代や鎌倉時代には宮廷仕えの女官たちも「胡坐」をかいていた~
ええっ、といささかの意外感に襲われていたら、どっこい、もう少し最近についても、
~桃山時代から江戸初期の女性は「立て膝座り」を習慣にしていた~


     

徳川家康(足の裏ピッタリ)/ 高台院(立て膝座り)


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それなら、女性についてはどうしてその「座り方」が変化?逆転?したのでしょうか?
それが疑問として残ります。
どう考えても、「正座」よりは、「胡坐」や「立て膝座り」の方が楽だと思えるの

ですが、その楽な座り方を棄てて、敢えて難儀な「正座」の採用になったのは、
なんとも不思議と言えば不思議です。


その点については十分な理解にまでは及びませんが、どうやら室町時代頃から女性の
服装に変化が現れたことが原因のようです。
つまり、その新しい服装で「胡坐」をかくと、なんでも「秘部があらわ」になる危険が
生じたために「正座」が広まったとのことです。


ふ~ん、そうだったのか。
でも、その「秘部があらわ」ってのが、いまひとつよく分かりません。
そこで、もう少しヒツコク追ってみたところ、こんな問答にぶつかりました。


問) 戦国時代から江戸時代の女性の正式な座り方は、正座ではなくて片膝を立てて
   座るものだったのでしょうか?
答) 今でいう「正座」が正しい座り方となったのは明治以降のことで、
   「修身」の教科書で定義され広まったとされています。


また、こんな見解をお示しの学者先生もおいででした。
~室町時代や豊臣秀吉の時代は(生活空間の)床は板敷きだったため、当時の身分の
 高い女性の肖像を見ると立て膝やあぐらで座っている~

そこで、
~肖像画を描かせる時には畳が敷かれていたが、立て膝のままポーズを取っている
 ことから、(これが)正式な座り方だったと推測される~


また、そうなった「理屈/経緯」について触れた文章も見つけました。
~板の間での生活であれば着衣が床板と擦れるため、着衣の汚れが早く、また擦り切れ
 も早くなる。
 その意味で、接地面をできるだけ少なくする座り方ということで、正座よりも胡坐や
 横座り(足を横へ投げ出す)、立て膝座りが合理的でもあった~


ところが、これが大きな問題なのですが、
~前合わせタイプの着物で胡坐や立膝座りをすれば、お股が見えてしまいます~
ははん、これが先の「秘部があらわ」ってことかな。


そんな見当をつけて先へ進むと、
~そこで鎌倉期くらいまでは、女性は前合わせの着物の下または上にハカマを付けました。
 ハカマを穿いていれば、胡坐でも立膝座りでも大丈夫であったわけです。
 この習慣は神社の巫女さんの服装にも今までも伝統としてちゃんと残っています~


なるほど、ハカマ(袴)を着用するなら女性の服装・座り方についての諸問題は
全面解決ということになりそうです。 メデタシ、メデタシ。


しかしまあ、まあ、現代日本人に限れば、椅子主体の生活になっています。
要するに、痺れ旺盛な「正座」や、猫背姿勢になりやすい「胡坐」、はたまた両方の
足の裏をピッタリとくっつける拷問風の「武士流胡坐」、さらには姿勢保持に不慣れな
「立て膝座り」や、足の投げ出し方にも微妙な気配りを必要とする「横座り」など、
そうしたいずれの難行苦行から、男性も女性もこぞって解放されることになり、
座り方に限れば随分と楽チンな日常となりました。


先日ひょっこりと、とあるお寺の本堂を覗いたら、畳を敷き詰めた大広間にも、
高さの低い小ぶりな椅子がワンサカ並べられていました。
要するに、椅子主体の日常を送る現代の若い人たちには、「畳の上で正座」なんて
動作は、ハナから無縁ですし、また逆に年配者だと足腰に難を抱える人も少なくない
ために、これまた「畳の上で正座」なんてとこは、とんと無理な相談ということになる
わけです。


かくして21世紀日本における「畳の上で正座」は、鳥類の「トキ」並みの「絶滅危惧種」
いいや「絶滅危惧動作」になってしまうのかもしれませんねぇ。
それにつけても、~足の裏を合わせて股関節を広げ、ひざを床に落とした座り方~
これを完璧にマスターしていた戦国の武士はエライッ!
この事だけでも尊敬に値するというものです。 いやホント!


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