ヤジ馬の日本史

日本の常識は世界の非常識?この国が体験してきたユニークな歴史《日本史》の不思議をヤジ馬しよう!

謎解き編35/武の字諡号の天皇事情

~主に主に帝王・相国(国家元首)などの貴人の死後に奉る、生前の事績への
 評価に基づく名のこと~

このように面倒臭く説明されている「諡号」(しごう)とは、別の言葉なら
「諡」(おくりな)ともいい、「贈り名」を意味するとあります。


たとえば、最高格の貴人といってよい天皇は、死後に「〇〇天皇」という呼ばれ方を
しますが、その「〇〇」に当たる部分が、実は「諡号/諡名」ということになります。
ただ、そこに佳字を当てておけば、それで故人の面目が立つかといえば、そうでもなく、
~生前の事績への評価に基づく~ことが肝心のようです。
えぇ、なにしろ相手は貴人ですからねぇ。


そして割合よく知られ、また話題されることも少なくないのが、そこに「神の字」が
付いた天皇の諡号です。
「万世一系」の皇位とされている以上、どの天皇も「天照大神」の直系子孫の立場に
あるのですから、そこに「神の字」が多用されたとしてもそれほど奇異には
感じられません。

    天照大神


また、この時代にはまだ定着していなかったかもしれませんが、後の日本の歴史には
「通字」(つうじ)という慣習も見られるようになります。
その語感からアナタの頭に真っ先に浮かんだのは、「便秘」に対する「お通じ」

だったかもしれませんが、ここはそんな尾籠なお話ではありませんゾ。


だったら、なんですか、その「通字」って?
その疑問については、こんな説明を見つけました。
~人の実名に、祖先から代々伝えてつける文字~


こうした説明でも分かりにくいと思ったのか、その具体例も挙げられています。
~たとえば源氏で頼朝、頼家、義家、義朝の「頼」「義」、
 平氏での清盛、重盛の「盛」などの類~


少し飛んで戦国武将を例に採るなら、織田家の「信」(信長・信忠・信雄など)、
豊臣家なら「秀」(秀吉・秀頼など)、徳川家なら「家」(家康・家光・家綱など)
が、それぞれその「通字」に当たります。


そうした「通字」の慣習に沿うなら、歴代天皇の諡号には「〇神天皇」あるいは
「神〇天皇」がもっと多くいてもよかったはずですが、実際にはそうなっていません。


百二十人を超す歴代天皇の中でも「神の字諡号」を持つ天皇は、
初代・神武天皇/第10代・崇神天皇/第15代・応神天皇/
の、たったこの三人だけなのです。


諡号は~生前の事績への評価に基づく~と説明されていますから、たった三人が持つ
だけの「神の字諡号」には、それなりの思いが込められていると考えていいのでしょう。
事実、このような解釈がされているようです。
~「神の字諡号」には、初代、 もしくはヤマト政権にとって重要な分岐点
 (王朝交代?の初代)にあたる天皇~


なるほど、そういうことなら、そうそう軽いテーマとも言えません。
そこで、もう少し深追いしてもみたくなったのですが、実際調べ始めれば、そうした
知識に欠ける分、茶ノ木畑へ入り込んでしまう心配もありそうでした。
そこで筆者は、潔く「神の字諡号」の追及を諦めることにして、ちゃっかり他の字に
注目することにしたのです。


「他の字」って?
えぇ、「神武天皇」の「神」の方ではなく、その下に付いている「武」の字です。
そこで、まずはその「武」の字の付いた「武の字諡号」の天皇に並んでいただくことに
しました。 
実は、「神の字諡号」の場合と同様に、こちらもそれほど大勢でもないのです。


初代・神武天皇/        127歳没         ※神武東征
25代・武烈天皇/         18歳没?       ※子女なし
― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―  
40代・天武天皇/(631-986年) 56歳没 天武系男性天皇
42代・文武天皇/(683-707年) 25歳没 天武系男性天皇
45代・聖武天皇/(701-756年) 56歳没 天武系男性天皇
― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―  
50代・桓武天皇/(737-806年) 70歳没 天智系男性天皇 ※蝦夷征討


さて、この一覧から、「武の字諡号」にはどんな意味が込められているのかを探って
みることにしましょう。
ただし25代・武烈天皇だけは頭に「武の字」が付いていますから、他の天皇の方々とは
別の視点が必要なのかもしれません。


事実、その人物評は面白すぎるほどに悪い評判のオンパレードであるばかりか、
「子供なし」だったため、皇位の「万世一系」をも危うくしています。
後継した第26代・継体天皇の、その正当性の根拠が第15代・応神天皇の
「五世孫(曽孫の孫)」ということですから、この武烈天皇自身にも少々怪しげな
雰囲気が漂っている印象は否めないのです。


ですから、頭に「武の字」が付くこの「第25代・武烈天皇」については、またの機会に
取り上げることにして、ここではパスすることにします。


さて、初代・神武天皇と第50代・桓武天皇(737-806年)には、実に分かりやすい
共通点があります。
神武は「神武東征」、桓武は「蝦夷征討」という言葉でよく知られていますが、
ともに「まつろわぬもの」(外敵/恭順しない者)を、武力をもって屈服させたという
事実です。


   

 第50代・桓武天皇 / 第40代・天武天皇


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ただ、神武天皇の場合は、歴史というよりはむしろ神話の世界のお話ということに
なりそうですが、その反面、
坂上田村麻呂(758-811年)を征夷大将軍に立てることで、
アイヌに対する武力闘争を真正面から仕掛けた桓武の場合は、間違いなく歴史世界での
出来事と言っていいでしょう。


桓武のこうした「異民族征服」が、神武の功績に並ぶものとして「武の字諡号」に
なったのではないでしょうか。
えぇ、これもやっぱり~生前の事績への評価に基づく~ということです。


では、残った第40代・天武天皇/第42代・文武天皇/第45代・聖武天皇/の場合の
「武の字諡号」はどうなのか?
これは、一種の「通字」と理解していいのかもしれません。
要するに、「天武系男性天皇」には、もれなく「武の字諡号」を付けるという意思が
感じられるのです。


なんですか、その「天武系天皇」って?
「天武系天皇」とは、その血統・年齢が必ずしもスッキリとしていない
第40代・天武天皇(生年不明-686年)は始まり、以降はその皇后であった
第41代・持統天皇(645-703年)から第48代・称徳天皇(718-770年)までの
つごう九代(八人)の天皇のことです。
そして、その八人の内の四人までが女帝です。


第41代・持統天皇 (第38代・天智天皇の娘で第40代・天武天皇の皇后)
第43代・元正天皇 (天智天皇の娘で持統天皇の異母妹)
第44代・元明天皇 (元明天皇の娘)
第46代・孝謙天皇 (第45代・聖武天皇と光明皇后の娘)
第48代・称徳天皇 (重祚/孝謙天皇と同一人物)


ですから、引き算をすると九人-五人=四人で、この四人が、いわゆる
「天武系男性天皇」ということになりますが、実は上の「武の字諡号」表には
第47代の男性天皇「淳仁天皇」の名が挙がっていません。


だったら、「武」が天武系男性天皇の「お通じ」、いや「通字」とは言えないのでは
ないのか。
そうした御指摘はもっともですが、そこには実は深い事情があったのです。


なんと、この天皇、当初は諡号もなく、ただ「廃帝」と呼ばれていたのです。
えぇ、一旦は即位したものの、後に文字通り「廃された帝/クビになった天皇」という
意味です。
第46代・孝謙女帝の後継が、この第47代に当たる男性天皇でしたが、
そのすることなすことが女帝の目にはチャランポランに映ったようで、そこでついに
馘首を申し渡して、挙句に自らが重祚するに及んだのです。


では、「淳仁天皇」って諡号は、いったい全体何なのですか?
極端に天皇を神聖視するようになった時代の明治政府が、この「廃帝」の諡号無しを
不憫・不敬に思ったものか、
~(明治政府から)淳仁の諡号が贈られたのは明治3(1870)年のことである~
ですから、天武系男性天皇ではあっても「通字」の仲間に入っていないのは、
ある意味当然なのかもしれません。


では、そもそも、その通字「武」にどんな意味を持たせていたの?
それは中国史から引用したもので、要するに
~武力をもって先帝から権力を奪った者~であることを伝えたかったのでしょう。


なぜなら、その武王とはこんな紹介のされ方をしている人物だからです。
~周・武王(生年不明-前1043年)は、殷・紂王(生年不明-前1100年頃)を
 焼身自殺に追い込み国を立てた~


「万世一系」を絶対の国是とするこの国ですから、その「武の字」を諡号に用いる
ことで、天武系は天智天皇と同様な「正統な天皇」とは言い難い。
このことを仄めかしているのでしょう。


そうした「皇位簒奪」という自らの行動に対して、何らかの後ろめたさもあってか、
天武天皇が自らの地位の正当性を主張する作業を怠ることはありませんでした。
~(天武は)「天皇」を称号とし、「日本」を国号とした最初の天皇とも言われる~


ただ、結果として「天武系天皇」は、その第40代・天武の即位(673年)から
第48代・称徳女帝の死(770年)までの百年足らずで消滅してしまったのですが。


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