ライバル編11/源氏と平家の氏と家
現役学生である愛子内親王が満21歳の誕生日(12月1日)を迎えられた際に、
こんなお言葉があったことが報道されました。
~関心のある分野はいまだ模索中といったところではございますが、以前から
興味を持っておりました『源氏物語』などの平安時代の文学作品、物語作品を
始め、古典文学には引き続き関心を持っております~
へぇ凄いなぁ。 そう思ってさらに探ってみると、その学籍はなんと
「学習院大学文学部日本語日本文学科」とのこと。
だったら『源氏物語』など古典文学に深い関心を持たれても当然なのかもしれません。
ところが、その翌日のこと、町内の長老からこんな言葉があったのです。
~愛子サマが『源氏物語』って言っとったけどよぅ、そこに『平家物語』も加えて
おかんことには不公平でにゃあのきゃぁ?~
なにせ、長老ですからモロに地元(尾張)言葉です。
まあ、「源平」という一対の言葉からそんな連想になったのでしょうが、しかし
考えてみると、その指摘は案外に鋭いものだったかもしれません。
といのは、言外に長老のこんな疑問を浮かび上がらせているからです。
~一方は『源氏物語』、片や『平家物語』となっとるが、なんで揃えた形の
『源氏物語/平氏物語』になっていないのきゃあ?~
さらには、
~この場合の「氏/家」の違いにはなんぞ意味の違いがあるのきゃあ?
逆に『源家物語/平家物語』では、なんぞの不都合があったのきゃあ?~
『源氏物語』
言っちゃあなんですけど、そんなことが筆者に分かるはずがありません。
そこで、長老と別れた後にこっそり探ってみることにした次第です。
「源平」というポピュラーな言葉がありますから、まずは「源氏/平氏」からです。
すると、こんな説明になっています。
源氏/平安時代初期、第52代・嵯峨天皇がその皇子、皇女8人に源朝臣姓を賜い、
臣籍に下したのが始まり。
「源」の由来については、一説には皇族に源を発する意味とされる。
平氏/平安初期に皇族賜姓によって生まれた姓で、第50代・桓武、第54代・仁明、
第55代・文徳、第56代・光孝の4流がある。
「平」の由来については、桓武天皇が建設した平安京にちなんで
「平(訓読み=:タヒラ)」と名づけたとする説が有力か。
なぁあるほどねぇ、「源氏平氏」とはこういうことだったのか、と一応は納得しました。
しかし「源氏/平家」の場合について言うなら、「氏/家」を妙に神経質に
使い分けているではありませんか。
このことになんぞの意味合いがあるのか、ということでまたネット徘徊に。
すると、こんな説明に遭遇です。
~平家とは、平(たいら)の姓をもつ氏族を指し、特に桓武平氏の一流で平安末期に
政権を握った平清盛(1118-1181年)の一族をいう~
ああ、さよか。
平清盛一族の家のことだから「平家」という言葉になるというわけか。
だったら「平氏/平家」は、それなりに使い分けすることが正しいようだ。
さて、『平家物語』が、そのように平清盛を中心とする平家(平氏ではない)一門の
興亡を描いた歴史物語ということなら、作られた時期は、必然的に「平家滅亡」
(1185年)後になる。
なぜなら、それ以前では「興亡」の「興」の部分は描けても、「亡」については、
(ノストラダムスではないのだから)さすがに無理ですものねぇ。
ということで、その作者も当然「平家滅亡」後の人になるわけです。
そこで、ちょいとばかり深追いしてみると、こんな説明になっていました。
~作者については古来多くの説がある~
あっちゃー、分かっていないということか。
ところが、そうは言いながら、こんなことも付記されているゾ。
~現存最古の記述は、鎌倉末期の『徒然草』(吉田兼好作)で、(それによれば)
信濃前司行長なる人物が平家物語の作者であり、生仏という盲目の僧に教えて
語り手にしたとする~
そこで、それらの人物について、もう少し深入りしてみなければなりません。
○吉田兼好(1283?-1352年)/出家したことから兼好法師とも呼ばれる随筆家。
○信濃前司行長(生没年不詳)/出家し慈円に扶持され,やがて『平家物語』を作り
琵琶法師に語らせたらしい。
○生仏(生没年不詳)/平家琵琶(平曲)の開祖とされる。
さらには、この人たちのプロフィールも。
○慈円(1155-1225年)/平氏滅亡後、兄・九条兼実が源頼朝の後援で第82代・
後鳥羽天皇の摂政となるや、その推挽により天台座主
(1192年/37歳)となり、天皇の御持僧となった。
『平家物語』成立の背景には彼の保護があったらしい。
○琵琶法師(個人名ではない)/琵琶音楽を演奏する僧侶または僧体の芸能者をいう。
どうでもいいことなのですが、絵を見る限り、慈円さんはメッチャ鼻がデカい方
だったようですね。
えぇ、筆者なぞは真っ先にそこへ目が行ってしまいましたのだ。
平清盛 / 慈円
それはともかく、『平家物語』にはこれらそうそうたる人物たちが関与したよう
ですが、だったら、もう一方の『源氏物語』はどうなの?
~平安時代中期の11世紀初め、紫式部(生没年不詳)によって創作された長編の
虚構物語で、主人公・光源氏の一生とその一族たちのさまざまの人生を70年余に
わたって構成し、王朝文化の最盛期の宮廷貴族の生活の内実を優艶に、かつ克明に
描き尽くしている~
そこで、この源平各物語を、やや乱暴に整理してみると、要するにこんな
イメージか。
~『平家物語』は武士・平清盛一門の興亡という歴史的事実をモデルにして
描いており、片や『源氏物語』は貴族・源氏の栄枯盛衰をまったくの
創作物として描いたもの~
そこで、ついでのことに、その『源氏物語』をさらに追ってみると、全五十四帖は、
大まかに三部構成となっているとのことです。
第一部(01-33帖)→主人公光源氏の誕生から、栄華を求めながら愛を遍歴する様。
第二部(34-41帖)→光源氏の深まる苦悩や老い。
第三部(42-54帖)→光源氏の死後、その子や孫が繰り広げるドラマ。
そして、その評価は、
~王朝文化の最盛期の宮廷貴族の生活の内実を優艶に、かつ克明に描き尽くして
いるばかりでなく、これ以前の物語作品とはまったく異質の卓越した文学的達成は、
まさに文学史上の奇跡ともいうべき観がある~
結構毛だらけ猫灰だらけの評価ですが、さらにはこんな絶賛ぶりです。
~以後の物語文学史に限らず、日本文化史の展開に規範的意義をもち続けた古典と
して仰がれるが、日本人にとっての遺産であるのみならず、世界的にも最高の
文学としての評価をかちえている~
まさに「ムチャクチャに凄い作品」と言わざるを得ないところですが、ところが、
その日本人の一人であるはずの筆者自身が、実は『源氏物語』を読んだことが
ないのです。
「もぐりの日本人め!」と糾弾されそうですが、どっこい、残念なことに
「源氏物語愛読者」と呼べそうな人物を筆者の周りには見つけることが
できなかったのです。
「愛読者」を自称した人でさえ、問いただしてみるとこんな程度でした。
~高校の古典の教科書に載っていたのを、きっちり思えているぞ~
こういうパターンをふつうは「愛読者」とはいいません。
そうした偽愛読者はさておき、愛子内親王の御誕生日のお言葉から、思いもかけない
ことに目を向けるハメに陥った筆者と町内長老でした。
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