ヤジ馬の日本史

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落胆編13/開祖たちの予期せぬその後

実際にはそれなり定義もあることでしょうから、以降に名を挙げる方々を一律に
「開祖たち」と呼んでいいのかどうかは判断しかねます。
しかし、「ある宗教の教えを最初に説いた人」という意味でなら、少なくとも
そうした雰囲気の中にあったことは間違いないでしょう。


さて、今回取り上げる「ある宗教」とは、なにかと家庭問題や社会問題を引き起こして、
昨今なにかと話題に取り上げられている、いわゆる「新興宗教」の類ではありません。
そうではなく、それらに対して、むしろ老舗宗教?とも言えそうな仏教儒教
今回は選択しました。


ただ、そこになんでキリスト教が入っていないのだとか、イスラム教を外したのは
不公平窮まるとかの不平不満をお持ちになる方もあるかもしれませんが、これは
ひとえに筆者の都合によるものであって、他意はありませんのでその点はご了解を
お願いします。


さて、「諸行無常」という仏教語があります。
~この世の万物は常に変化して、ほんのしばらくもとどまるものはない~
これくらいの意味合いと説明されていますが、このことは宗教についても例外では
ないような気がするのです。
なぜなら、その宗教自体の信仰のあり方や教義の解釈などが、時間の経過とともに
変化していったという歴史的事実があるからです。


長い年月を経て変化・変質した結果の今ある状況について、オリジナルを作った
いわゆる「開祖たち」は果たして満足しているのだろうか。
そのことを想像してみたとき、今回取り上げる「開祖たち」に限れば、少なくとも
それなりの「予期せぬその後」を味わったように、筆者には見えるのです。


   釈迦/映画「リトル・ブッダ」より


前段で「諸行無常」という仏教語を登場させたので、最初にその仏教にお話を
振ることにしましょう。
開祖は釈迦(ゴータマ・シッダールタ/生没年不詳)です。

ちなみに、この場合の「生没年不詳」は、てんでまるっきり分からないということ

ではなく、「前565-前486年」説、「前465-前386年」説などが有力とされている
ものの、かと言って断定まではできかねるということのようです。


しかし、その二つの説の年代を見比べただけでも、その差は人間の一生分を超える
100年ほどにもなっていますから、これらもその程度の有力説ということかもしれません。
それはともかく、
~現在のネパールに位置するカビラ城の城主を父として生まれた彼は、人生の無常を
 感じて29歳で出家し、山林にこもって6年間苦行につとめた~

ここの「彼」とは、もちろん釈迦(ゴータマ・シッダールタ)を指しています。


しかし、苦行を実行してみた末に、それが無意味なことだと思い知ります。
そこで彼は、
~瞑想生活に入り、その末に35歳で悟りを開いて覚者となった~
「覚者」とは悟りを開いた存在というほどの意味合いでしょう。


ですから、この釈迦(ゴータマ・シッダルータ)を開祖とする仏教の根源は悟りを
開くこと、やや気取った言葉なら「解脱」にあったことになります。
ちなみに、
~現世、迷いの世界、輪廻などの苦しみから解き放された理想的な心の境地~
これを得る、この域に達することが「解脱」だと説明されています。


ところがです。 
そのお釈迦様が入滅されて数百年後、具体的には紀元前一世紀頃のこととされて
いますが、仏教教団がドカンと大分裂してしまいます。
メッチャ乱暴に言うなら、要は「解脱」目的とした釈迦路線踏襲の「上座部」と、
それまでとはひと味違う新路線「救済」を目的とする「大衆部(だいしゆぶ)」
二つに分裂したのです。
これは根本分裂と呼ばれていますが、要するに、開祖・釈迦とは異なる教えを
是とする一派が登場し、それなりの力を得たことになります。


「解脱」ともなれば、各人一人一人が修行を積み、それに相応しい精神域に達し
なければ成りませんが、仏の力を借りて「救済」を得る方法なら、多くの人間に
とっても取り組みやすい。
そうした流れ、つまり「大衆部」の教えを「大乗仏教」と呼びました。
この方法なら、一度に大勢が乗り合って仏の世界へ行けるゾという意味です。


そして、これと対比のためですが、「解脱」を目的とした釈迦路線の信仰、つまり
「上座部」の教えを当初は「小乗仏教」と呼ばれました。
一度に一人しか乗れないという意味になりますが、見下ろした感じが伴う、いささか
差別的な言葉ということで、現在では「上座部仏教」との表現が用いられているようです。
ただ、普通「上座」には古老・古参の方々が収まることを思えば、この言葉にも
ある種のニュアンスが込められているのかもしれません。


日本の場合だと、この「大乗」思想が顕著な形で現れたのが「鎌倉新仏教」でした。
目的を「解脱」から「救済」へと衣替えしていたこともあって、新仏教各派の活動も
活発になり、また教義自体も次第に緩いものになっていきました。
教えが厳しいままでは、その実践は難しく共感を得られにくい、という実情が
あったことも否定できません。


もっとも、教えの「緩い/緩くない」は部外者の印象であって、当事者それぞれは、
当然ながら、きちんとした理論武装を備えていました。
ですから、新仏教各派の教義には、当初のうち「仏様に救われるよう信心に精を出そう」
とする形と心構えが明確に打ち出されていました。


しかし、そうこうするうちに、
~自分が信心に精を出しているなんて思う気持ちが既に思い上がりである~
という解釈の登場があり、それどころか、その果てには、
~なんにもしなくたって仏様が救ってくださることはハナから決まっているのだ~


ここまで来ると、これを信仰とか宗教と呼んでいいのか、少しばかり疑問にも感じる
のですが、実際にそこまで行き尽きました。
しかし、こうした教義の変わりようは仏教開祖・釈迦からすれば、まさに
「寝耳に水/聞いてないよぅ」の出来事であり、間違いなく「予期せぬその後」だった
とは言えそうです。


   

       孔子 / 儒教の教え(仁・義・礼・智・信)


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続いて「儒教」にも目を向けてみましょう。
その開祖は中国古代の思想家・
孔子(前552/前551-前479年)とされています。
「孔子」とは「孔先生」の意味です。


念のためですが、「こうし」とは読むものの「子牛」という文字は当てません。
話が逸れました。
さてそれはさておき、その生年を見比べてみると、仏教開祖・釈迦とほぼほぼ
同じような時期に活動していたことになりそうです。


その儒教を生み出すにあたり開祖の子牛さん、いや孔子さんはこんなことを
おっしゃっています。 ~怪力乱心を語らず~
この場合の「怪力」とは馬鹿力のことではありませんし、「乱心」も分別を失くす
意味ではありません。


要するに、理性で説明のつかないような不思議な現象やオカルトめいたことには、
触れない、言葉を換えれば「何事にも科学的・学問的にアプローチした末に得た思想」
「迷信やメルヘンや空想なんかではなく、事実に基づいたガチガチの学問である」
主張していたということです。
そうした意味で、科学的学問を意味する「儒学」という言葉も使ったのでしょう。


しかしその「儒学」自身が「人間の性質は天から授かっている」としているのです。
ということは、「儒学」自身は、このことを客観的事実、自明の理、科学的真実、
だと受け止めていることになります。
しかし、その「儒学」から一歩外れた外野席からこんなツッコミが飛ぶことも想像
できそうです。


~「人間の性質は天から授かっている」との御主張だが、このことを儒学自身が、
 科学的に証明できていないではないか。 
 だとしたら、これはつまり儒学自身もまた「怪力乱心」を語っていることになり、
 結局のところ、儒学自身が自らを宗教の一派であることを自白していることに
 なりゃあせんのか~


子牛さん、いや孔子さんが健在な折には、儒教自体の普及もそれほどではなく、
そのため、こうした指摘は大きな注目を集めなかったのかもしれません。
しかし、普及が広がにつれ、こうした指摘やツッコミや異見が登場するように
なるのは当然です。


実際、宗教オンチを自認する筆者ですら「人間の性質は天から授かっている」という、
孔子さんのこの見解には強い宗教臭を感じるのですから、やはり儒学(科学)
いうよりは儒教(宗教)との受け止めの方が無難なのかもしれません。
ただしかし、現代でも「儒学(儒教)は宗教ではない」とする見解もあるようですから、
このことには、それなりの配慮・留意が必要のようです。


しかしともかく、仏教開祖・釈迦さんと同様に、儒教開祖・孔子さんも墓の下に入って
から「予期せぬその後」を経験したことにはなりそうです。
もっとも、「釈迦さんの墓」、「孔子さんの墓」がどこにあるのか、浅学菲才の
筆者自身はよく知らないのですが。



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