ヤジ馬の日本史

日本の常識は世界の非常識?この国が体験してきたユニークな歴史《日本史》の不思議をヤジ馬しよう!

異国編15/勿体無いはMOTTAINAIへ

今から二十年近く以前のことになりますが、とある日本語に注目が集まった出来事を
ご記憶でしょうか?
しかしまあ、何かと熱しやすくてそしてまた忘れっぽいというのが日本民族特有の
気性でもあるようですから、「もうすっかり記憶の彼方」という方も、おそらくは
少なくないことでしょう。


いえ、責めているわけではありません。
かくの如く申しておる筆者自身も、また結構に薄らボンヤリとした記憶しか残って
いないのですからねぇ。
そこで、「寝た子を起こす」つもりで、当時の記憶と記録を探ってみることにして
みたのです。


さて、そのお話の主は、環境分野で初のノーベル平和賞(2004年度)を受賞した
ケニア人女性、ワンガリ・マータイ(1940-2011年)さん。
翌2005年に新聞社の招きによって初来日した際のこと、彼女が、編集局長の
インタビューのなかで「もったいない」という言葉に出会ったことから始まります。


 MOTTAINAIキャンペーン(ワンガリ・マータイ)


もっとも、その「もったいない」という言葉の意味を、すぐさま彼女が理解できたか
どうかについては存じません。
しかしまあ、おそらくはスンナリというわけではなかったでしょう。
意味を問われたら、日本人だってそうそう的確な説明を展開するのは、案外に困難な
気がするからです。


早い話が筆者なぞもその通りで、概念としては理解してつもりではあっても、
「それを言葉に」と求められたなら、結局のところはしどろもどろになってしまう
のがオチです。
そこで念のために「転ばぬ先の杖」として、その「もったいない」の意味を探って
みました。 するとこんな説明になっています。


~物の本来あるべき姿がなくなるのを惜しみ、嘆く気持ちを表している日本語~
う~ん、分かっているはずのことでも、それを改めて言葉に直してみると、結構
複雑な説明になってしまうものですねぇ。


そこで、さらに進んでみると、
~「物の価値を十分に生かしきれておらず無駄になっている」状態や、
 そのような状態にしてしまう行為を、戒める意味で使用される~


余計に頭がクシャクシャになりそうな説明ですが、それはともかく、この
「モッタイナイ」という言葉に対して大いなる感動を覚えた彼女は、そこであれや
これやと他の国のそれに対応する言葉も捜したようです。


しかしながら、結局は見つけられなかったということです。
そこで、彼女はこの美しい日本語を、そのまま環境を守る世界共通語
「MOTTAINAI(もったいない)」として広めることとし提唱しました。


しかし、その「MOTTAINAI(もったいない)」という概念を説明する必要があります。
日本語以外では見つけることができなかったのですから、つまり、日本人以外に
とっては未知の概念ということになりますから、なるべく多くの人々に理解が
行き渡るメッチャ分かりやすい説明を必要としたということです。


そこで彼女は、この「MOTTAINAI」という言葉にこんな意識を持たせました。
ちょっとややこしい説明になって恐縮ですが、折角ですから寄り道してみましょう。
まず、Reduce(ゴミ削減)、Reuse(再利用)、Recycle(再資源化)という、
いわゆる環境活動の3Rに、そこへさらにもう一つのR、Respect(尊敬の念)を
込めたものが、この「MOTTAINAI」だとしたわけです。


なるほど、日本語の「もったいない」の意味合いである、
~「物の価値を十分に生かしきれておらず無駄になっている」状態~
を割合に巧く表現しているのかもしれません。


そして彼女は2005年、国連本部で開催された国連婦人地位向上委員会などにおいて、
この『MOTTAINAI』を全世界に向けて発信し、以降、MOTTAINAIキャンペーンの
提唱者として、それに向けた努力を惜しみませんでした。


多くの日本人にとっても、「寝た子」同然だった「もったいない」の精神を改めて
思い起こされることになったわけです。
このことが、筆者を初めとする現代のノーテンキ日本人には、「おぼろげな記憶」と
して、頭の片隅になんとか残っていたということです。


 

      怨霊(北斎画) / 神仏習合「那智山 青岸渡寺」


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しかし、このような経緯を改めて知った筆者は、こんな疑問を感じてしまったのです。
~「もったいない」という概念は、なぜ日本語以外にはなかったのだろうか?~
えぇ、マータイさん自身も、その事実を示しています。
~それに対応する他の国の言葉も捜したが、結局は見つけられなかった~


ということで、多少極端な言い方が許されるなら、こういうことにはなりゃせんかと
筆者は考えたわけです。
~「もったいない」という概念を覚え、会得したのは、悠久の人類史上でも
 「日本民族」だけだった~


そういうことなら当然のこと、その理由も知りたくなります。
正直、ちょっとばかり面倒臭い展開です。
しかし、一番の可能性として考えられそうなのは「日本民族固有の思想・情緒・信仰」
というところに落ち着きそうです。


なぜなら、それに対応する他の国の言葉は見つからなかったとされているわけですから、
言葉を換えた言い方なら「日本以外にはありゃせん」、つまり、好むと好まざるとに
かかわらず「日本民族固有のもの」ということになります。


そこで今度は、この「勿体無い」の語源あたりを探ってみることにしたのです。
その生い立ちが分かれば、その「正体」に一歩近づける気がするからです。
すると、
~もったいない(勿体無い)は、仏教思想に由来した和製漢語「勿体」を「無し」で
 否定した語で、原義は「本来あるべき物がない」~


なあるほど、仏教思想ねぇ。
しかし、これって、神道の「怨霊」にも通じる情緒ではないか。
ちなみに、その怨霊にはこんな説明もあります。
~(中略)非業(ひごう)の死を遂げた人の霊が、生きている人に災いを与えるとして
 恐れられた~


つまり、上の説明にある「人の霊」を「物の霊」に置き替えれば、割合すんなりと
「勿体無い」ということになるのでは?
いささかうるさいお話ですから、筆者なりの捉え方をメッチャ簡単に披露して
みましょう。 要するにこういうことです。


たとえば、ここに一本の鉛筆、あるいは一本の歯磨きチューブがあったとします。
これらの「半分」だけ使ったところで捨ててしまえば、これは誰がどう見ても
「もったいない」ということになります。


なぜなら、まだ半分は「使える」のに「使わないまま」で、その寿命を強制終了させて
しまったことになるからです。
これを神道チックに言えば、~非業の死を遂げた物の霊~ということになり、
その恨み祟りの発生を心配する必要も出てきます。


また、仏教チックに言えば、
~本来あるべき物(まだ使えた分)がない(無くしてしまった)~ということになり、
この捉え方は、本来の説明にも見事に重なっていることに気が付きます。
~物の価値を十分に生かしきれておらず無駄になっている~


つまり、こういうことが言えるのでは?
~「勿体無い」という思想?情緒?信仰?は、神道と仏教の「神仏習合」を
 信仰の自然体としていた日本民族の下にしか育ちようがなかった~


だからこそ、この「モッタイナイ」という言葉に対して大いなる感動を覚えた
マータイさんも、それに対応する他の国の言葉を結局は見つけられなかったのです。
さて、そのMOTTAINAIキャンペーンはマータイさんが亡くなった後も、その遺志が
引き継がれる形で世界に広まっているとされています。


ただ、昨今に限っていうなら、その「勿体無い/もったいない/MOTTAINAI」よりも、
むしろ「SDGs」という言葉の方をよく耳にする印象です。
ちなみに、その「SDGs」とは、
~持続可能な開発目標(SDGs:Sustainable Development Goals)~とされています。


せっかく、「勿体無い/もったいない/MOTTAINAI」という分かりやすい言葉が
あるのに、敢えて「SDGs」という小難しい略語を使うなんて、それこそ
「勿体無い/もったいない/MOTTAINAI」のではありませんかのぅ?


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