トンデモ編14/蛮族はオンナの王をもつ
三世紀の中国大陸は魏(ぎ)・呉(ご)・蜀〈しょく〉の三つの王朝が並び立つ、
いわゆる「三国時代」(184-280年)にありました。
そうした中でのこんな会話も聞かれたのです。
魏人A 「おいおい、この先の東の海の、その果てに浮かぶ小島のことを知ってるか?」
魏人B 「詳しくは知らんが、なんでも倭人という野蛮人が棲んでいるそうだが?」
魏人A 「そうだ! そして聞いて驚け、奴らはこともあろうにオンナを王にして
いるそうだぜ!」
魏人B 「なにぃ、そのオンナとは、男とか女とかの、そのオンナのことかぁ?」
その驚きには大きなものがありましたが、大陸人はそれを「カルチャー・ショック」
とは呼びません。
なぜなら、中国人からすれば、東海の孤島に棲む野蛮人がカルチャーなんて洒落た
ものを持っているなんてこと自体がハナからあり得ないことだからです。
ですから感覚的には「怪奇現象」とも呼びたいような、とてもオカルトチックで
信じがたい事実だったのかもしれません。
魏人B 「それにしても、東海の孤島に棲む野蛮人どもはいったい何を考えているのだ!
ニューハーフならまだしもオンナを王にするなんて、奴らは間違いなく
ド変態だ! 」
魏人A 「しかしダ、その土人たちは一体何のためにそんなスカタンなことをした
のだろう?」
このことは大陸人にとっては分かりにくいことだったのかもしれません。
なぜなら、大陸人が女王・女帝を頂いたのは、長い歴史の中でもたった一度だけ。
しかもずっと後世のことですから、当時の大陸人の頭には女王なんて概念は欠片も
持っていなかったはずだからです。
ちなみに、そのたった一度の女帝とは・・・「武則天」(624-705年)。
~唐の高宗の皇后となり、後に唐に代わり武周朝を建てた中国史上唯一の女帝~
このように説明される女性ですが、ただ日本では則天武后(そくてんぶこう)と
呼ばれることが多いと説明されています。
なんでも、彼女が自らの遺言により皇后の礼をもって埋葬された事実を重視すると
この呼称の方が似つかわしいとのことです。
さて、そうした魏人たちが首を傾げていると、そこへ弥次馬魏人も加わってきます。
C 「ワシが耳にした話ではよう、何でも長いこと続いた部族間の争いを解消する
ために女王を立てたそうだゾ」
D「グェッ、それならますます頭が変態でないかえ。
だってだぞ、平和を築くためなら、弱っちいオンナの王より、強いオトコの王が
必要だ。 そんなことにさえ、その土人たちはとんと気が付いていないという
ことは、やっぱり未開人は話にならんということだナ」
同じころ、片や東海の孤島の当の邪馬台国では・・・
卑弥呼「フェックショ~ン!だれぞが私の噂を?・・・」
男弟 「今のクシャミなら悪い噂ですよね、きっとなら・・・」
さて、この邪馬台国やその女王・卑弥呼(170頃-247・248年)を紹介していることで
有名なのが、一般的に「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」と呼ばれている書物です。
なんでも正確には中国の歴史書である『三国志』の中の「魏書」第30巻の一部で
全文約2,000文字からなっているとされています。
そしてその内容の解釈については、「邪馬台国論争」との言葉が用いられる
ほどに多数の意見があって、現在に至ってすら万人を納得させられる説は
登場していないとされています。
しかしそれはともかく、当時の中国人は「王が女性である」ことにかなりの好奇心を
そそられたのではないかとは推察できます。
早い話、中国人の常識からは考えられない「異常なこと」をしているのですから、
彼ら側が「変態的な野蛮人ども」という印象をかなり強く持ったとしてもさほど
不思議ではありません。
しかし、このことを逆から見ると、「倭人」は当時から「中国人」ほどには強い
「男尊女卑」の意識を持っていなかったともいえそうです。
そのような意識を持たないことは、確かに当時としては「野蛮人」の振る舞い
だったのでしょうが、ドッコイ現代になってみると、これはもう当時としては
「超先進的」な意識を有していた民族だったことにもなりそうですから、
ひょっとしたら、倭人は飛びぬけて進歩的な思想を有していたのかもしれません。
それにもうひとつ言えることがあります。
おそらく、この女王・卑弥呼は15世紀フランスのジャンヌ・ダルク(1412-1431)の
ように、「自ら武器を取って戦う女性」ではなかったはずです。
なぜなら、戦乱が続く時代の要請によって王に担ぎ上げられた女性ですから、
いわば民族統合の象徴だったはずです。
要するに、こういうことです。
~これ以上の戦乱はもう辛抱たまらんから、部族間共通の象徴女王を 立てることで
少しばかりの間は平和を保とうや~
陳寿 / 三国時代
そのように考えてみると、これもかなり先進的な発想で、
「権威者ではあるが権力者ではない」という、現在の「象徴天皇」の考え方を
暗示しています。
また外国でいうなら、「国王は君臨すれども統治せず」というイギリス風の思想を、
先取りしていたことにもなりそうです。
こうなると、ひょっとしなくても倭人は随分偉かったのかもしれませんねぇ。
しかし、こうした「女王」の存在を、当時の先進大国である中国のモノサシで
計るのであれば、そこからはみ出しているだけに「未開人・野蛮人」と呼びたく
なるのは、確かに当然なことなのでしょう。
しかし、「現代の常識」目線で見てみれば、なかなかどうして、むしろ文明国
だったはずの中国人の方がはるかに「未開人」?だったといも言えなくはなさそうです。
ということで、今までとはひと味違った「卑弥呼像」をご案内した次第です。
しかし、それにしても、例の「魏志倭人伝」は、2,000文字も費やしているのに、
その内容の解釈がこれほどに分かれるのは逆に不思議な感じがしてしまいます。
どうしてでしょうか?
実はその理由は至極単純明快なのですねぇ!
冒頭に示したように、あくまでも「女王を頂くような変態的未開人」という
偏見?好奇心?を優先したカタチのまま筆を進めているわけで、つまり、その内容は、
興味本位で取り上げられた「週刊誌の記事」程度のものに過ぎないことになります。
要するに、2,000文字を費やして「ウワサ話」を書いているだけのことです。
だったら、「ウワサ話」をあれこれ吟味したところで、「これだ!」という真実が
浮かび上がってくることなぞ、そうそうあるものではありません。
さて、時は現代。
場所は「魏志倭人伝」著者・陳寿(チンジュ/233-297年)の墓・・・
陳寿 「フェックショ~ン! だれぞが私の噂を・・・?」
隣墓の男 「今のクシャミなら悪い噂ですよね、きっとなら・・・」
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