謎解き編39/大和朝廷の政変事情
いつもの通り、お話は古今東西いろいろに飛び散ることになりますが、
さてこんな説明にぶつかりました。
~(革命とは、)被支配階級が時の支配階級を倒して政治権力を握り、
政治・経済・社会体制を根本的に変革すること。
また漢語の「革命」の語源は「天命が改まる」の意味で、王朝交代に使用された~
同じ「革命」という言葉を使いながらも、その趣は西洋社会と中国社会では
いささかの違いがあるようです。
また、これも政権交代を意味する別の用語「クーデター」とは、
~軍隊組織や政治家が非合法的に、かつ公然と、暴力的な手段を行使して、
政権を転覆させること、またそれを試みることを指す~
フランス語であり、「国家に対する一撃」を意味しているとのことです。
そこで、筆者は物静かに回顧したみたわけです。
~はて、日本の歴史に、こうした革命やクーデターはあったのかしらん?~
まず最初には、少なくとも漢語で「革命」とされる政治的変革はなかったはずだ、
との思いに至ります。
なぜなら、その漢語における「革命」とはこんな定義になっているからです。
~天子の徳がなくなると他の姓の有徳者が天子となり、王朝が変わるという、
中国の古代の政治思想を「易姓革命」(えきせいかくめい)という~
分かったようであり、イマイチ分からんとも言えそうな説明ですので、
その「易姓革命」にさらに突っ込んで行くと、
~姓を易(か)え命(めい)を革(あらた)める~と読み下すとされています。
へぇ、「易」を(かえる)、あるいは「革」を(あらためる)と読むなんて、
初めて知ったゾ。
しかし、この説明からするなら先にも言ったように、日本がこの「易姓革命」を
経験したことはなかったということに落ち着きそうです。
なぜなら、この日本はメッチャ古くから、「易姓革命」の真反対に位置する
「万世一系」を国是?あるいは基本信仰?としているからです。
念のために、その「万世一系」も覗いておきましょう。 すると、
~永久に一つの系統が続くこと~
その「一つの系統」とは、むろんアナタや筆者の血統というわけではなく、
「天皇家」ということになります。
つまり、この民族(アナタや筆者のこと)には、それに気が付こうが付くまいが
~姓を易(か)える~とは真反対の概念が定着し、ずっと続いていたことに
なりそうです。
だったら、次には「それがどうしたの」ということになってきます。
そこで、実際の歴史に目をやってみると、こんな事件があったことに気が付くのです。
~中大兄皇子・中臣鎌足らが蘇我入鹿を宮中にて暗殺して蘇我氏(蘇我宗家)を
滅ぼした政変~
このように説明される「乙巳の変」(645年)などは、日本版「革命」の
具体的な事例には当たらないのでしょうか?
少し補足しておくと、この事件に登場する人物それぞれはこんな立場にありました。
〇中大兄皇子(626-672年)/天皇家の人物で後に第38代天皇に
〇中臣鎌足(614-669年)/中大兄皇子の腹心として活躍し、藤原氏繁栄の礎を築く
〇蘇我入鹿(生年不詳-645年)/大和朝廷の最上位有力者であったが討たれた
つまり、「乙巳の変」は
~大和朝廷の最上位有力者を、大和朝廷の嫡流にある人物とその腹心が討った~
ということになります。
だったら、「革命」の定義である
~被支配階級が時の支配階級を倒して~とは、いささか趣を異にしている印象です。
こうなると筆者的には、「革命」には当たらない、と考えたくなるところです。
もし、当たらないということなら冒頭にも挙げたように、
~軍隊組織や政治家が非合法的に、かつ公然と、暴力的な手段を行使して、
政権を転覆させること、またそれを試みることを指す~
と説明されている「クーデター」だったのかしらん?
でも考えてみれば、「権力者の交代」は実現させたものの、最上位実力者・入鹿の
生前も死後も「大和朝廷」そのものは、何ら変わらず存続していたのですから、
その意味では「政権を転覆させた」という解釈にはならないような気もするところです。
これではイマイチ「釈然としないなあ」ということで、その辺りのモヤモヤ払拭の
ためにAIにもお尋ねすることにしてみました。
えぇ、こんな質問を投げかけてみたわけです。
~「乙巳の変」(645年)の経緯は、「革命」または「クーデター」に該当する
のでしょうか?~
すると、お褒めの言葉を交えたこんな回答が。
~とても良い問いですね。
「乙巳の変」(いっしのへん)は、645年に中大兄皇子(のちの天智天皇)と
中臣鎌足らによって蘇我入鹿が暗殺され、蘇我氏の専横を終わらせた事件です~
それは筆者も整理済で分かっていますがねぇ。
すると、続いて、
~この事件が「革命」なのか「クーデター」なのかという問題は、歴史の解釈によって
異なる見方がされます。 それぞれの観点から整理してみましょう~
おお、それを知りたかったのだがねぇ、早よしてちょうよ。
ただ、筆者の整理順とは異なって、AIは「クーデター」を先に、
「革命」を後にしての説明になっていました。
~クーデターとしての乙巳の変
「クーデター(Coup d'État)」は、支配層内部での権力の急激な掌握を指します。
〇当事者は支配層の内部者/中大兄皇子も中臣鎌足も、当時の支配階層の一員でした。
〇暴力的な手段による政変/蘇我入鹿を大極殿で暗殺するという、暴力的かつ
急進的な手段。
〇権力構造の変更/蘇我氏の失脚と、天皇中心の政治体制への移行の布石。
→ このように見ると、「クーデター」の定義にはよく当てはまります~
おお、「クーデター」だとする見解には太鼓判を押すってか!
だったら、他方の「革命」とする見解は、アタマから完全に否定されているワケ
なのかしらん? そこもちょっと見てみましょう。
支配者構造 / 「二・二六事件」
~革命としての乙巳の変
一方、「革命(Revolution)」とは、政治体制や社会構造の根本的な変革を意味します。
〇蘇我氏の専横から、天皇中心の中央集権体制へ/これはのちの「大化の改新」へと
つながり、律令国家成立の基礎となります。
〇制度改革の起点/班田収授法、公地公民制など、制度的にも大きな変化を導きました。
→ このように、政治・社会体制に大きな変革をもたらしたという意味では、
「革命」として見ることも可能です~
ええっ、ここまでの説明からすれば、さすがに「革命」とする見方は無理無体だと
思えたのに~「革命」として見ることも可能~ってか。
なんか、堂々巡りしているようで余計に分かりづらくなってきたなぁ。
すると、
~結論(簡潔に)
乙巳の変は、「クーデター的手法によって始まった革命的転換」と捉えることが
できます。 つまり、事件そのものはクーデター的ですが、その後の展開や影響は
革命的だったという、両面をもった歴史的出来事と言えるでしょう~
なに、両論併記の結論かよう・・・足して二で割る、いかにも日本的なAIだなぁ。
ということで、何の脈絡もなく突然に昭和日本へワープしてみました。
すると、結果的には失敗に終わりましたが、少なくともこの二つの事件は、
海軍あるいは陸軍の青年将校らが引き起こした「クーデター」だったとされています
〇「五・一五事件」(1932年/昭和7年)
~井上日召の影響を受けた海軍青年将校が陸軍士官学校生徒や愛郷塾生らと協力し、
内閣総理大臣官邸・立憲政友会本部・日本銀行・警視庁などを襲撃し、
第29代内閣総理大臣の犬養毅を暗殺した~
〇「二・二六事件」(1936年/昭和11年)
~皇道派の影響を受けた陸軍青年将校らが1,483名の下士官・兵を率いて蜂起し、
政府要人を襲撃するとともに永田町や霞ヶ関などの一帯を占拠したが、
最終的に青年将校達は下士官兵を原隊に帰還させ、自決した一部を除いて
投降したことで収束した~
う~む、中大兄皇子・中臣鎌足らは宮中行事の最中に要人暗殺を実行、片や、
昭和日本の青年将校らは政府転覆を目論んだってか。
いずれにせよ、筆者はその胸中には到底思い及ぶものではなさそうです。
えぇ、なにぶんにも日頃から「人畜無害」との定評を頂いている筆者ですからねぇ。
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