数字編15/その超・超人技はホントなの?
江戸時代の作家・俳諧師である井原西鶴(1642-1693年)には、俳諧を
短時間・大量創作することに挑んだ時期があって、1677年には一昼夜でなんと
1600句という記録を打ち立てたとされています。
ところが、どんな分野にもそうした記録に対抗心を燃やす者は出現するもので、
数ヵ月後にはこの記録も破られてしまい、そればかりか、その後も続々と新記録が
誕生したことで、西鶴が打ち立てたこの記録は早々に過去のものになってしまった
ようです。
西鶴の内心には忸怩たる思いがあったのでしょう。
またもや「俳諧での大矢数」に挑んだのです。
ちなみに、「大矢数」とはこんな説明になっています。
~弓術の一種目で、京都蓮華王院(三十三間堂)の本堂西側の軒下(長さ約121 m)を、
南から北に矢を射通す競技である。
様々な種目があったが、一昼夜に堂の南端から北端までの全長を射通した矢の数を
競う「大矢数」が有名である~
おそらくは、一昼夜で何本の矢を的に当てられるかを競うこの「大矢数」にヒントを
得たものでしょう、西鶴は大勢の観客を前にして、同じく一昼夜のうちに自分ひとりが
俳諧を詠み続けるというスタイルの、異色の句会「矢数俳諧」に拘りました。
この場合の「詠み続ける」とは「どれだけ多くの句」を作り詠むかということです。
大勢の観客を前にして、そのチャレンジの様子を「ライブ」で晒し続けるという
のですから、これは少なからず大変なことです。
昨今のTV番組と違って、事後のカットや都合良く編集するなどはできないために、
イヤでも「ぶっつけ本番」にならざるを得ないからです。
そして、
~延宝8(1680)年、江戸・生國魂(いくたま)神社内において、4,000句独吟を
成就し、翌年に俳諧集『西鶴大矢数』(五巻)と題して刊行した~
一昼夜すなわち24時間のうちに、なんと「4,000句」という膨大な数の句を創り出し、
また詠んだということです。
しかも、翌年にはその「4,000句」が出版されているのですから、当然のことですが
イベント主催側には西鶴が詠んだ句をたちまちのうちに書き留める「記録係」というか
「速記担当者」というか、そうした役割を担ったスタッフもいたことでしょう。
それもおそらくは、それなりの人数。
なにせ、従来の「一昼夜1,600句」というレベルではなく、それを遥かに超えた
「一昼夜4,000句」という膨大な数の句を、間違いのないように、漏れのないように、
きちんと記録しなければならないわけですから、一人は二人の記録スタッフでは、
到底追い付けなかったと思われるからです。
日頃から「チャレンジ精神」とは程遠い立ち位置が好きな筆者ですから、その情熱には
充分な理解が及びませんが、なんと西鶴はさらなる高みを目指しました。
えぇ「一昼夜4,000句」程度では、全然物足りないということです。
Wikipediaにもその様子は案内されています。
~貞享元(1684)年には、摂津住吉の社前で一昼夜23,500句の独吟~
そして、こうも補足されています、
~以後時に二万翁と自称。
1684年刊行『俳諧女哥仙』以降は俳書の刊行は休止状態となる~
要するに、「一昼夜23,500句」を達成した後には「二万翁」と自称したとのこと
ですから、ひとつの自慢ではあったのでしょう。
「これ以上のことはどこの誰にもできやせんぞ」ということです。
その「句数23,500」は、Wikipediaにもその通り紹介されているのですから、
まあ「通説」として受け入れられていると言っていいのでしょう。
ところが、世の中には筆者のようなヘソ曲がりもいます。
そのヘソ曲がりはこう考えたのです。
「(西鶴の)その超・超人技はホントなの?」
ということで、実際に計算に及んだというわけです。
まず、「一昼夜」ということですから、これを現代の時間単位で単純に24時間と
押えてみましょう。
その延べ時間を「秒」の単位で表すと、24時間×60分×60秒で、合計は86,400秒。
この間に作った句が23,500句ということですから、単純に割り算をしてみると、
86,400秒/23,500句=3.676・・・
一句あたりの所要時間は、なんと3~4秒程度なのです。
ええッ、一句あたりの所要時間、なんと4秒足らずですかぁ?
試しに筆者も、有名な句の五・七・五を音読してみたのですが、それでも
実際3秒ほどの時間は要しました。
この点は、筆者に輪を掛けてヘソ曲がりなアナタでも、ご自分でお試しになれば
素直にご納得がいただけると思います。
その上に、西鶴のチャレンジときたら、既にある句を詠み上げることではないのです。
創作しながら、同時に音声発表(たぶん)をするというマルチ作業を、並行して
続けるのですから、かなりたいへんですよ、これは・・・
つまり、西鶴が行っていることといったら、口で音声発表している間も、頭の中では
次の句を創っていないことには、到底間に合わないということです。
否応なく、肉体も頭脳もフル回転させざるを得ません。
三十三間堂・大矢数 / 「好色一代男」
そればかりではありません。
忘れてはいけない作業が、まだ他にもあるのです。
創作と発表、その絶え間ない作業の間隙を縫うような形で、忘れずに呼吸をすることも
必要なのです。
目の前が超多忙だからといって、呼吸を止めてしまったのでは間違いなく
御臨終ですからねぇ。
う~ん、この超過酷?な状況を一昼夜(24時間)続けた・・・ってか?
疑り深い筆者なぞは、ついつい「主催者側発表による一昼夜23,500句ではなかったのか」
とか、あるいは「どこぞにインチキ・ペテンがあったのではないか」とか、
いろいろ考えてしまいます。
まあしかし、~以後時に二万翁と自称~したからには、西鶴自身にもそれを達成したと
いう自負があったものと思われるところです。
ところが、
~1684年刊行『俳諧女哥仙』以降は俳書の刊行は休止状態となる~
とされている通り、この後の西鶴は「俳諧」から離れました。
その理由について通説では、西鶴がこう考えるようになったと説明されているようです。
~一晩で“万”もの数の作品が作れてしまうようなこんな底の浅い俳諧に、
断じて明るい未来はない!~
もっとも、それとは別にこんな受け止めをしたがる輩(筆者のことですが)も
いないわけではありません。
筆者は、実のところ、西鶴はこう考えたのではないかと考えました。
~自分(西鶴)が俳諧を続ける以上、また「大矢数」にチャレンジしかねない。
しかし、一昼夜23,500句を成し遂げた時と違って、これからは知力・体力ともに
低下するばかりだ。
今後に「新記録」が望めないのであれば、俳諧を卒業する潮時かもしれんなぁ~
もっと言うなら、
~一昼夜23,500句は、正直なところ地獄の苦しみだった。
このトラウマを避けるためには「俳諧引退」、これしかないッ~
事実、西鶴は俳諧からは引退しますが、実はその少し前から「浮世草子」と呼ばれる
数々の文芸作品に取り組むようになったのです。
〇『好色一代男』(1682年/処女作)/60歳で女護ヶ島に舟出する男
〇『好色五人女』(1686年)/5組の男女の悲劇的な恋愛事件
〇『日本永代蔵』(1688年)/日本史上、初めて本格的な経済小説
ことほど左様に「俳諧の大矢数」は超人技が必要になりますが、もっとも、
五音・七音・五音の並びになる俳諧(俳句)あるいは川柳を創るのは、実はそれほど
難しいことではないと宣う御仁もいます。
その創作の秘訣を伺ってみると、こんなお答えでした。
~俳句の場合なら、何でもいいからまず五音の言葉を見つけて、その後ろに
「根岸の里の 詫び住まい」をくっ付けるとそれなりの体裁になるし、
川柳なら同様に、「それにつけても 金の欲しさよ」をくっつけるのだ~
俳句/〇〇〇〇〇 根岸の里の 詫び住まい
川柳/✕✕✕✕✕ それにつけても 金の欲しさよ
確かに一応サマにはなるようですが、はて、どこぞで読んだか聞いたかしたような
気がしないでもない「秘訣」だなぁ。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。