言葉編38/どこが違うの?違いがハッキリ!
さて皆様は歴史に登場する言葉それぞれの違いについてよくご承知でしょうか。
例えば、よく似た文字が並ぶ以下の言葉です。
〇公家(くげ) 〇公卿(くぎょう) 〇公暁(くぎょう/こうきょう/こうぎょう)
えぇ、かく申す筆者自身はかなりのオタオタ状況に陥ってしまうほどの、いわば
教養弱者ということもあって、敢えて皆サマに振った次第です。
このうちで日本史の語彙としてもっとも頻繁に登場するのは「公家」かもしれません。
たとえば筆者の周りの人たちを例に採ってみるなら、
~おお、今初めて気が付いたが、そういえば「公家」って士農工商の身分には
ないなあ~
まあ大体はほとんど筆者と同レベルのリアクションです。
~もっとも士農工商の他にも穢多・非人とされる人たちもいたから、
「公家」の方もまた四民以外という扱いになるのかなぁ~
分からない者同士が、あれこれ話していても埒が開くものではありません。
そこで、ちょいと説明を探ることになります。 すると、
~公家とは、日本において朝廷に仕える貴族・上級官人の総称~
じゃあ、その「貴族」ってのが分かっていなくっちゃ。
ところが、これまた複雑な歴史的経緯が語られているのです。
~4世紀頃に始まるヤマト王権期の大王(おおきみ)・豪族層に由来する皇族(皇親)
と古代貴族がまず形成された。
その後、平安時代前期(9世紀初め)には、古代貴族に代わって、古代貴族を
母体とする藤原氏や橘氏、天皇の末裔を祖とする源氏・平氏が上級貴族層を
占めていった(4氏をまとめて「源平藤橘」と呼ぶ)とされる~
なるほど、それが「源平藤橘」ということだったのか。
続いて、武家と公家の説明も。
~平安時代末期から鎌倉時代の初めにかけて、地方に経済的・軍事的基盤を持つ
下級貴族や地方豪族を母体とする武家が現れ、京都の朝廷で天皇に仕える
従来の貴族からは公家が形成された~
さらに突っ込んでいくと、
~(公家は)中世後期以降、天皇・皇族と公家は経済的・政治的実権を喪失したが、
伝統的・文化的・宗教的権威を保ち、ときに政治・軍事にも隠然たる影響力を
及ぼした~
「隠然たる影響力」と言う以上は、決して「蚊帳の外」ではなかったことになりそうです。
では、その「公家」によく似た次の「公卿」って?
筆者的にはほぼほぼ同じ存在かと思っていましたが、公家と公卿は少し意味が
違うようです。
試しにAIにその違いをお尋ねしたところ、こんな表も加えての回答でした。
項目 | <公家> | <公卿> |
対象 | 朝廷に仕えた貴族全体 | 高位の官職に就いた貴族 |
範囲 | 公卿を含む広範な貴族層 | 一部の上位貴族 |
役割 | 朝廷文化や儀式を中心とした活動 | 政治や行政の運営を担う |
ということは、その違いを一口で言うなら、こんなイメーになるのでしょうか。
~公卿とは、政治面にも関与する超エリートの公家~
つまり、公家の中にも公卿と呼ばれる人、呼ばれない人がいることになります。
えぇ、「身分」って容赦なくシビアなものですね。
では、その「公家/公卿」に似た「公暁」ってのはどうなるの?
実は、こちらは身分を表す言葉ではなく人名なのです。
誰のことかってか?
~公暁(1200-1219年)は、鎌倉時代前期の僧侶であり、鎌倉幕府2代将軍・
源頼家の次男(または三男)~
言葉を換えるなら、鎌倉幕府3代将軍源実朝の甥っ子、ということになります。
そして、こんなとんでもない事件を起こしています。
~建保7年(1219年)1月27日、雪が2尺(約60cm)ほど降りしきるなか、
実朝が右大臣拝賀のため鶴岡八幡宮に参詣する。
夜になって参拝を終えて石段を下り、公卿が立ち並ぶ前に差し掛かったところを、
頭布を被った公暁が襲いかかり、下襲(したがさね)の衣を踏みつけて実朝が
転倒した所を「親の敵はかく討つぞ」と叫んで頭を斬りつけ、その首を打ち落とした~
ええ、「源実朝暗殺事件」の実行犯ということです。
ただ、その実行犯本人は事件直後に追っ手に討ち取られてしまったために、
多くの謎が残されたままになりました。
ご関心の向きはこの「事件」のその辺りを推理してみるのも一興かもしれません。
それは皆サマにお任せするとして、さて、公家と公卿を済ませましたので、
今度は武家の「どこが違うの?」に進むと、たとえば「源氏と平家」を挙げる
ことも出来そうです。
なぜなら、対語の規則性からするなら、「源氏と平氏」あるいは「源家と平家」と
表現したほうが断然に収まりが良いのに、なぜか「源氏と平家」との言い方が多いし、
そればかりではなく、なぜまた逆に「源家と平氏」とは言わないのかしらん?
もちろん、このような表現を用いる場合もあるのでしょうが、少なくとも「少数派」との
印象は避けられません。
そこで、まず「源氏と平氏」を見比べてみると、こんな説明になっています。
源氏とは→ 平安時代に天皇の子孫が臣籍に下って「源(みなもと)」の姓を
賜った氏族(賜姓皇族)。
平氏とは→ 平安時代に天皇の子孫が臣籍に下って「平(たいら)」の姓を
賜った氏族(賜姓皇族)。
平家物語絵巻 / 源氏物語
なんだ、そういうことなら「源氏と平氏」との表現の方が、やっぱり王道では
ないのかえ。
ところが「源氏と平家」と言っているわけですから、じゃあその「平家」って、
「平氏」とは別物なんですか?
すると、こんな説明です。
平家とは→ 平安時代末期に政権を握った平清盛とその一族、家臣たちも含めた
政権・軍事の一団
要するに「平氏と平家」は前出の「公家と公卿」の関係に似て、
「平氏の一部」(平清盛の一族)を「平家」と表現するお約束になっているようです。
だったら、「平家」と同様に「政権を握った」源頼朝とその一族のことを「源家」と
言ってもいいじゃないか。
ところが、そうした例はあまり目にも耳にもしません。
この点になんとはなしの不自然感覚えたので、そこでまたもやAIにお尋ねして
みたのです。
問:一時期政権を担った平氏の平清盛一族のことを「平家」との表現を用いるのに、
同様に一時期政権を担った源氏の源頼朝一族のことを「源家」と表現しない
のには、どんな理由があるのでしょうか?
実際、こと細かで膨大な説明が並びましたが、AIは「結論」としてこう結んでいました。
~「平家」は、一族全体が特定の時期に権力を集中させた歴史的背景や
文学的な影響を受けて定着した表現です。
一方で、源氏は頼朝以前や以後も広範囲にわたる活動があり、「源家」という
言葉ではその多様性を十分に表現できないため、使われにくくなったと考えられます~
なるほどねぇ、言葉一つにしてもいろいろと検討が加えられているわけだ。
でも、上にある「文学的な影響」って?
おそらくは「平家物語」のことなのでしょう。
その「平家物語」とは、こんな説明になっているからです。
~日本における作者不詳の軍記物語である。
鎌倉時代に成立したとされ、平家の栄華と没落、武士階級の台頭などが描かれている~
そいうことなら「源氏物語」だって、同じような傾向になっているのではないのか?
いいえ、世間はそれほど甘くありません。
なぜなら、「源氏物語」についてはこんな説明になっているからです。
~平安時代中期に成立した日本の長編物語、小説。全54帖。
文献初出は1008年(寛弘五年)、平安末期に「源氏物語絵巻」として絵画化された~
えぇ、言わずもがなですか、ここに登場している源氏とは、武家ではなく
公家(公卿)の「源氏」です。
武家の源頼朝(1147-1199年)が登場するのは、この「源氏物語」から
百数十年後のことですから、「源家物語」とならなかったのは当然です。
でも考えてみれば、幕府を開くなどの手法をもって社会に一大改革をもたらした
頼朝一族が「源家物語」もどきの題材にはされず、その頼朝に滅ぼされた
清盛一族が「平家物語」に収まっているのですから、日本人はやはり
「判官贔屓」(ほうがんびいき)という不思議な心情を持っているのかもしれません。
ちなみに、
~不遇の英雄、弱者や敗者、また実力や才能はあるのにしかるべく待遇の得られ
ない者たちに同情心や贔屓心をもつこと~
このようにと説明される「判官贔屓」の語源は、こんな説明になっています。
~「平家討伐」の功績を挙げた本人である源義経(1159-1189年)の、その後の
不遇や悲運に対する同情や愛惜の気持ちから生まれた言葉~
そういうことなら、公家と武家の違いはあるにせよ、「源氏物語」「平家物語」の
どちらも、結局のところは負けた側に対する「鎮魂物語」になっている、という
ことなのかもしれません。
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