ヤジ馬の日本史

日本の常識は世界の非常識?この国が体験してきたユニークな歴史《日本史》の不思議をヤジ馬しよう!

信仰22/仏サマにも序列がある

住兵衛

時折耳にする~日本の常識は世界の非常識~という感覚は、何とはなく信仰の面にも
当てはまる気がします。
たとえば、キリスト教やイスラム教などのいわゆる「一神教」に対して、日本の場合は、
「八百万神」と言われる数多の神々を祀っています。
「一神教」の世界からしたら、こうした日本の信仰態度は神に対する常識を大きく
逸脱した「非常識」に映るようにも感じられるのです。


とは言うものの、それほど仰山の神サマの中でもその名を承知しているところは決して
多くはありません。
筆者なんぞの場合なら、実はほんの数人・・・いや違った、神様の場合は
「ほんの数柱」と表現するのが正しいようですが。


そんなこともあって、ひょいとWikipedia「日本の神一覧」を覗いてみました。
すると、ちょっとした驚きでもあったのですが、実に数多の神サマのお名前が
きちんと、しかも五十音順に整理されて並んでします。 まさに「一覧」です。


しかしこの一覧表は、多くの「一神教」信者にとってはほとんどアンビリーバボーな
世界でしょう。
なにしろ、元来は「オンリー ワン」の存在であるはずなのに、そうした存在の
名前が数多、わんさと並んでいるのですから「非常識も甚だしい」という受け止めにも
なろうというものです。
今風の言葉なら「ふてほど」(不適切にもほどがある!)というところかもしれません。


もっともこのことには、筆者なんぞは元々のところでメッチャ大きなミスがあったと
思っています。
それは、キリスト教やイスラム教などの「オンリーワン」である信仰対象を、
安易にも日本の「神」と同じ言葉で表してしまったことです。
だって、一方が「オンリーワン」で、片や「数多(八百万)」の存在を、
同じ言葉の「神」と呼ぶのは、理屈からしても大きな無理があるに決まって
います。


では、一神教の「その存在」はどんな日本語にしたらよかったのか?
筆者の独善的嗜好を優先させるなら「店主」、いや「天主」を推奨したいところです。
「天地創造」という大事業を成したオンリーワンの存在という壮大なイメージも
伝わる印象ですしね。


 

江戸時代の医者 / 石川英輔著「大江戸生活事情」


さてそれはそれとして、日本には実は別の「神」サマもおられます。
ややこしいお話で恐縮ですが、我々はそれを「仏」サマとお呼びしています。
そして、仏教が伝わって以来、明治時代の「神仏分離令」(1868年/明治元年)が
出されるまで、神サマと仏サマは同じとする神仏習合スタイルを基本としてきました。


その理論的な裏付けとしてはいわゆる「本地垂迹説」が示されましたし、
それをビジュアルに表したのが神社に附属して建てられた仏教寺院「神宮寺」だと
言えるのかもしれません。
「本地垂迹」とは、要するに~神サマの御正体は、なにを隠そう仏サマなのである~
という考え方であり、対応です。


何かしら乱暴な理論・理屈にも思えますが、それを長い間続けてきてさほどの
不都合もなかったようですから、このスタンスは日本人の感性にぴったりフィットして
いたのかもしれません。


しかし神サマと仏サマの御正体は一緒だということになると、仏サマもまたいわゆる
「八百万仏」というイメージになりそうです。 そりゃあそうでしょう。 
「八百万神」と称されるほどに数多の神サマの御正体が、ほんの僅かな数尊の
仏サマというお話では素直に納得することができませんからねぇ。
ちなみに、仏様の数え方は「尊」が単位になるとのことです。


だったら、神サマの場合と同様にWikipediaにも「日本の仏一覧」ほどの記事が
あるかもです。 探してみると確かにありました。
で、そのタイトルは「日本の仏尊」とされています。
そこで、神サマ仏サマの公平を期してこちらも覗いてみることにしたのですが、
のっけに登場したのが、~大乗仏教における仏尊のヒエラルキー~


聞き慣れない言葉ですから、「なんですか?そのヒエラルキーって?」ということに
なるのは当然です。 同じWikipediaにはこんな説明がありました。
~(ヒエラルキーとは、)階層制や階級制のことであり、主にピラミッド型の
 段階的組織構造のことを指す~


げっ、ピラミッド型?
つまり仏様にも「役員の仏サマ」とか「課長クラスの仏サマ」とか、あるいは
「ヒラの仏サマ」がいるって言っているわけ?
意外ですが、どうやらその通りらしく、以下の案内になっています。


まずその「階層」に目をやってみると、全部で6段階に分かれています。
そこで、少し補足を加えながらそれらを格付けの「偉い順」に整理すると、
以下のようになります。


第1階層 仏陀/悟りの最高位「仏の悟り」を開いた人を指す。
第2階層 菩薩/菩提( 悟り)を求める衆生(薩埵)を意味する。
第3階層 明王/密教における尊格及び称号で如来の変化身ともされる。


第4階層 天部/衆生が生死流転する六道のうちの最上部にある世界のことであり、
        天界、天上界、天道とも呼ばれる。
第5階層 権現/日本の神々を仏教の仏や菩薩が「仮の姿」で現れたものとする
        本地垂迹思想による神号である。
第6階層 宗教的尊者/開祖・高僧・羅漢(阿羅漢)


ちなみに、第6階層に所属する「羅漢(阿羅漢)」はこんな説明になっています。
~阿羅漢(あらかん)とは、仏教において最高の悟りを得た、尊敬や施しを受けるに
 相応しい聖者のこと~

     

   阿弥陀如来(鎌倉大仏)/ 畜生道(六道絵)


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こうした定義の妥当性については、筆者に判断できるところではありませんが、
実はいささか気にかかるところもあるのです。
えぇ、ここには数多の仏サマが登場しておられますが、たとえば耳慣れた「如来」サマ
のお名前が入っていないことです。
つまり「如来」サマって、いったいどの階層に属されているかという疑問です。


そこで、またまたそれを探りにいくと、
~如来(にょらい)とは、仏教用語で、真理を理解して悟りの境地に入り、
 衆生を救済する仏陀を指します~

どうやら第1階層の「仏陀」のお仲間になるようです。


しかしそういうことなら「仏陀」と「如来」は同じ存在なの、という疑問が新たに
生まれます。
これまであまり意識したことはなかったのですが、信仰の世界って結構複雑
なんですねぇ。


ぼやいていても始まりません。 追跡続行です。
そこで、しばらくご無沙汰していたAIにもお尋ねしてみました。
― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―
A:仏教における「仏陀」と「如来」とどのように違うのでしょうか? 
  また、いずれが格上になるのでしょうか?

― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―
すると、例によってたちまちのうちに親切な回答が返ってきました。
ところが、あまりにも丁寧過ぎてボリュームも半端ではありません。
そこで、ここではその抜粋のみに留めておくことにします。


A:仏教における「仏陀」と「如来」はどちらも悟りを開いた存在を指しますが、
  そのニュアンスや用いられる文脈には違いがあります。
  また、「格上・格下」という考え方はあまり当てはまらないものの、

  文脈によって重要視される側面が異なります。


「如来」の語源にも触れていました。
~「如来」はサンスクリット語に由来し、「真理に来た者」または「真理に行った者」
 という意味です。 「如(ごとく)来たる」という漢訳から、宇宙の真理を具現化し、
 この世に現れた存在を指します~


ですから、仏陀・如来ともに~悟りの最高位「仏の悟り」を開いた人を指す~
とされていますが、筆者的にはこれまたWikipediaにあるように、
~仏陀は、仏(ぶつ)や、ほとけとも称され、悟りの最高位「仏の悟り」を
 開いた人を指す。 歴史的には実在した釈迦を意味する~
この説明が分かりやすいように感じた次第です。


今回は神サマから始まり仏サマへと、なにやら取り止めのない展開になってしましたが、
そこはそれ、昔の昔からの「神仏習合」の伝統に免じてご容赦くださいな。


それにしてもです。
~仏教において、衆生がその業の結果として輪廻転生する6種の世界~
とされる「六道」(地獄道/餓鬼道/畜生道/修羅道/人間道/天上道)
最高の世界とされる、いわゆる「天上道」でさえ、もっとマクロな視野で眺めると、
なんと「第4階層」に属しているのですから、これはちょっとビックリです。


ということで、皆様もくれぐれも(六道の最下位である)「地獄道」なぞへ堕ちる
ことの無きよう、日々を清く正しく生きてくださいませね。


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