信仰編21/異神はその昔にも来ていた
異国の宗教である「キリスト教」が初めて日本に伝わったのは戦国時代のことと
されています。
~1549年にカトリック教会の修道会であるイエズス会のフランシスコ・ザビエルに
よる布教~
これが最初だとされ、教科書などもこの内容をもって定説としているようです。
これを逆に言うなら、こうなります。
~(公式には)1549年以前の日本民族は異教「キリスト教」に遭遇していない~
そこで、その「キリスト教」の始まりについてもちょっと覗いてみると、
~紀元1世紀中頃、イエスの死後に起こった弟子の運動(初期キリスト教運動)が、
キリスト教の直接的な起源である~
つまり、キリスト教はその誕生から1、500年ほど経って初めて日本医上陸したことに
なるわけです。
ちなみに、そのキリスト教とは?
一般的には、~イエスを救い主(キリスト、メシア)として信仰する宗教~と説明され、
さらに突っ込んでいくなら、それを創始したのがナザレのイエス(前4年頃?- 後30年頃)
という人物とのことです。
そして、そのイエス誕生の様子についてはこのように説明されています。
~(聖母)マリアはベツレヘムの馬小屋に一夜の宿を借り、12月25日の早朝イエスを
産み布に包んで飼葉桶に寝かせた~
早い話が、~イエスは馬小屋で生まれた~と言っているわけです。
さて、お話はコロッと変わって、それから570年ほど後の日本。
実はこんなお話もあるにはあるのです。
~聖徳太子(574-622年)の本名は厩戸王・厩戸皇子ともいわれ、それは宮中の
馬小屋の前で生まれたことに由来している~
その場所が「ズバリ馬小屋」なのかか、あるいは「馬小屋の前」なのかの微妙な違いは
あるものの、イエスも聖徳太子もどちらも誕生の様子はよく似たお話になっています。
こうしたことを踏まえるなら、こんな遠慮のない疑念?妄想?を持つことも
許されそうな気がするのです。
イエス・キリスト
~聖徳太子の時代の日本には、既にキリスト教(の片鱗程度)は伝わっていた~
実際、そのような説を唱える向きも少なからずあるようです。
ただ当然ですが、これらはいずれも「トンデモ説」扱いに留まり、定説や通説という
レベルには到達してはいません。
なにせ、教科書で~ザビエルによる布教こそが始まり~しているのですから無理も
ありません。
しかし、それらをメッチャ都合よく無視する形でそうした「トンデモ説」に挑んだのが、
今回の筆者です。
ええ、聖徳太子の時期に活動していた人物たちの名前から、その謎解きに挑戦した
いささか無謀とも言えそうな試みということになります。
で、救い主・イエスの他に、「キリスト教」のお話に登場する人物の名前を整理して
おきましょう。
最初に挙げるのは『新約聖書』に登場する古代ユダヤの宗教家・預言者である
洗礼者ヨハネ(前6年から前2年頃-後36年頃)という御仁です。
ちなみにこの「預言者」とは、神から啓示を受け(預かって)、その言葉を人々に
伝える宗教的指導者を指しています。
似た言葉に「予言者」がありますが、こちらは予言をする人とか予言をする能力の
ある者を指す全く意味合いが異なる存在ですから要注意です。
お次に、マルコ(生没年不詳)。
新約聖書「マルコによる福音書」の著者とされるエルサレム生まれの人物で、
ペテロやパウロに従い宣教活動した人物だとされています。
さらには、ルカ。 日本語表記なら「路加」とも書かれるようです。
新約聖書の『ルカによる福音書』および『使徒言行録』の著者とされる人物であり、
また西方世界においては医者および画家の守護聖人とされているとのことです。
異常のように、イエス、ヨハネ、マルコ、ルカ、ここまでが「キリスト教」側の人名
です。
続いて今度は「聖徳太子」側の人物の名前を並べてみましょう。
こちらは、分かりやすく世代順に並んでいただくことにしました。
乙巳の変(蘇我入鹿暗殺)/ キリスト教宣教師」
まずは蘇我稲目(506?-570年)から。
~蘇我馬子ら3男3女の父であり、娘3人全員を天皇に嫁がせた~
娘全員を天皇に嫁がせたというのですから、パンパな存在ではありません。
しかも聖徳太子にとっては、実は「曽祖父」に当たる人物でもあるのです。
続いては、その息子の蘇我馬子(551?-636年)です。
崇峻天皇のある発言を知った馬子は天皇が自分を嫌っていると考え、天皇を殺害する
決意をします。
しかもなんとそれを実行させたばかりか、こともあろうに後には、自分が指示した
その実行犯までをも見事に消したとされているのですから、なんともキナ臭くて
物凄い人物です。
そして、その次の世代には蘇我蝦夷(586?-645年)が控えています。
こんな人物紹介になっています。
~第33代・推古天皇(女帝)末年から第35代・皇極天皇(女帝)の御代にかけて
大臣として権勢をふるった。
推古天皇の崩御後、皇位継承者の選定に当たり、(日本書紀では)そのような
発言はなかったものの「推古天皇の遺勅」であるとして田村皇子を
第34代・舒明天皇として即位させた~
いわば、当時のキングメーカー的な存在だったと言っているわけです。
そして最後が蘇我入鹿(生年不詳-645年)になります。
入鹿自身は、天皇家を凌駕するほどの権勢を誇っていましたが、しかし、そうした状況は
永遠ではありませんでした。
なんで? 理由は「乙巳の変」(645年)です。
~(蘇我入鹿は)対立関係にあった中大兄皇子(後の天智天皇)・中臣鎌足らにより、
飛鳥板蓋宮の大極殿において皇極天皇の御前で殺害された~
さらには、~後日、父・蝦夷も自害し、蝦夷と入鹿の一族も皆殺しとなった~
ということで前説がやたら長くなってしまいましたが、筆者が指摘したかったのは、
この時代に権力を握っていた蘇我一族の人名には、妙にキリスト教の匂いが感じられる
ということなのです。
たとえば、「マルコの福音書」に冠されている使徒・マルコ、これって馬子に
似ていないでしょうか?
いえね、顔を見比べたことがないとか、カタカナと漢字では全然似たところはない、
とかいうようなデリカシーに欠けた答を期待しているのではありません。
発音のことを言っているのです、発音!
並べてみましょう。
~馬子(うまこ)/(まるこ)マルコ~ ナント、瓜二つ!
とまでは言えないかもしれませんが、発音にはなんとなく近いモノが感じられる
のではないでしょうか。
お次はどうですか? ~入鹿(いるか)/(るか)ルカ~
同様に、やはり発音にはなんとなく近いモノが感じられる気がするのですが、どうやら
アナタ自身はまだまだ得心していないようですね。
それなら筆者も意地になって続けますが、これはどうですか?
~稲目(いなめ)/(よはね)ヨハネ~
あなたも結構強情ですねぇ、いやぁ驚きました。
ではダメ押しに、これは如何でしょうか?
~蝦夷(えみし)/(いえす)イエス~
ここまでくると、さすがのアナタでも、蘇我一族の名前がかなりの確率でイエスや
そのお弟子さんたちの名前とオーバーラップしていることに気が付くでしょうに!
で、もしもこれらの「命名」が敢えてイエスの逸話と重ねたものだったら、
「キリスト教伝来」?と言うほど仰々しいモノではなかったにせよ、そんな空気感
ほどのものは既にこの時代に伝わっていたのでは?
イエス・キリストから聖徳太子の時代までは、570年ほどの歳月の隔たりがあるワケ
ですから、一概に全面否定してしまうことはいささか乱暴な気もするのです。
いやひょっとしたら、少なくとも蘇我一族やその周辺の人々はそれなりの手応えを
もってこの時代の「キリスト教伝来」?を受け入れていたのかもしれません。
そして、その証拠になる一切合切がきれいさっぱり消されてしまったということ
だって考えられそうです。
なぜなら先の通り、この時期の蘇我宗家はこんな按配に陥ったからです。
~後日、父・蝦夷も自害し、蝦夷と入鹿の一族(蘇我宗家)も皆殺しとなった~
仮にそれなりの「キリスト教」の浸透があったとしても、こうした光景を目の当たりに
させられたなら、日本人の場合、おそらくは多くの人達が「棄教」に走ったこと
でしょうね。
それは、明治時代の「廃仏毀釈」の過熱ぶりに思いをやれば容易に想像できようと
いうものです。
かくして、この時代すでに「キリスト教伝来」はあったという歴史の真相?には
重いフタをして、
~1549年、ザビエルによる布教~をもって「キリスト教伝来」としているワケです。
念のためですが、これはあくまでも筆者の個人的でナイショ的な見解ですよ。
えぇ、残念ながら筆者には、定説に反旗を翻せるほどの学識も度胸も備わって
いないということです。
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