事始め編35/時代の気分転換は元号で
現在の「令和」とか、さらにその前の「平成」や「昭和」など、年を示すのに用いる
名前を「元号」(げんごう)と称しています。
他にも、「和暦」(われき)とか「年号」(ねんごう)との言い方もあるようですが、
では、最初の「元号」はいつ始まったものでしょうか?
この事件が起こったことが、そのキッカケだと説明されていました。
~第34代・舒明天皇の皇子であった中大兄皇子は、中臣鎌足らと謀って、
大和王朝で最大の権勢を誇っていた蘇我氏に宗家継承者・入鹿を暗殺した~
いわゆる「乙巳の変」(645年)です。
そして肝心なのは、ここに続く部分で、
~この事実上のクーデターによって、天皇(当時は大王)による中央集権体制を
目指す新政府が樹立された~
言い換えれば、後に「天皇家」と称されることになる一族を含め、それまでの
権力者たちは、いわば「どんぐりの背比べ」もどきの状況にあって、特別に
「図抜けた存在」はなかったということなのかもしれません。
ですから、この「乙巳の変」は、曲がりなりにも権力者の一本化を成し遂げた
出来事だったと言えそうです。
言葉を換えるなら、この出来事によって「社会構造」が一変したということです。
それほどの大改革なら、それを祝福して、なにかしらのハレの「記念事業」を催したい
という運びになるのは、ある意味当然です。
そこで選ばれたのが、中国古来の制度を模倣した「元号」を採用することだったのです。
なにしろそれまでは、その年を表すのに天皇の代を基準にしていました。
たとえば、「用明天皇の二年」とか「推古天皇の二十九年」とか、こうした表現でした
から、これは何かにつけ不便です。
たとえば、自分の年齢を数えるにも、こんな具合になるのです。
~「用明天皇の二年」に生まれたボクは、「推古天皇の二十九年」の今年、一体
何歳なのだろう?~
乙巳の変
折角ですから、上の「ボク」の年齢を実際に計算してみましょう。
天皇の治世を基準にした年代からそれを知ろうとするわけですから、少なくとも
以下の情報をしっかり把握することが必要になります。
〇第31代・用明天皇の治世/敏達天皇14年~用明天皇2年
〇第32代・崇峻天皇の治世/用明天皇 2年~崇峻天皇5年
〇第33代・推古天皇の治世/崇峻天皇 5年~推古天皇36年
そして、それに基づいた計算はこうなるのでしょう。
~用明天皇の治世で1年、崇峻天皇で5年、そして推古天皇で29年ということになる
わけだから、1+5+29で合計35年?~
念のために、これを西暦変換して引算計算をしてみると、「621年-587年」となり、
当然ですが、やはり同じく、ざっと35歳ということになります。
このような複雑さを避ける意味もあったのでしょうか、通年でも示せるよう飛鳥時代の
頃からは中国から伝わった「干支」(えと)も使われるようになっていました。
~干支(えと)は暦の柱であり、構成は以下「十干」と「十二支」を
組み合わせた60通り(の言い表し方が)ある。
「十干」=甲/乙/丙/丁/戊/己/庚/辛/壬/癸/
「十二支」=子/丑/寅/卯/辰/巳/午/未/申/酉/戌/亥/~
~エッ、一周りがたった60年なのか、短いなぁ~
現代人はこんな印象を持つかもしれません。
しかし、齢百歳を超える人が十万人近くもいる現代と違って、昔の人の寿命は、
現代人より短かったこともあって、「一周り60年」の物差しがあれば、まあそこそこに、
事は足りていたということなのかもしれません。
それはさておき、お話を「元号」に戻して、念のためにWikipediaにある「元号一覧」も
覗いておくと、初の元号「大化」以後については、以下のように推移したとの
説明になっています。
〇大化= 6年/ 〇白雉= 5年/<空白期間=32年>
〇朱鳥= 1年/ <空白期間=15年>/ 〇大宝= 4年
あれあれ、中断空白の期間もそこそこあって、要するに当初においては、必ずしも
順調に継続されたわけでもないようです。
当時としてはまったく新しい制度だったのですから、あれやこれやの試行錯誤が
あったとしても無理もありません。
しかし、こうした中断空白期間を経験したにせよ、「大宝律令」(701年)によって、
このように定められたとされています。
~およそ公文に年を記すべくは、皆、元号を用いよ~
ということで、法律に定められて、元号はこれ以降「令和」の現在まで中断すること
なく継続されているわけですが、実を言えば、昔と今では、その運用ルールに
いささかの違いがあります。
何が?
元号「明治」以降は、天皇が代替わりすると元号が変わる「一世一元」の制度と
されましたが、昔の改元はそうではなかったということです。
折角ですから、そこいらあたりにも首を突っ込んでみると、「明治」以前の
改元の理由には以下のものがあったと説明されています。
〇代始改元/天皇の交代による
〇祥瑞改元/吉事を理由
〇災異改元/凶事を理由
〇革年改元/以下の「三革」を区切りとして
革令(甲子の年)/革運(戊辰の年)/革命(辛酉の年)
要するに、何かと理由をつけて、割合に頻繁に改元が行われていたということです。
そして、そこらあたりについては、こんな計算も。
~一世一元制以前の「大化元年」(645年)から、「明治元年」(1868年)までの
1223年間で、用いられた元号の種類は243種類。
よって、その平均寿命?は「約5年で1元号」(1223年/243元号)~
改元(平成→令和) / (令和元年)2019年5月1日
ところが、
~一世一元制以後の、明治元年(1868年)から「平成31年」(2019年)まで
152年間4元号の場合になると「約38年で1元号」(152年/4元号)~
ですから、一世一元制以前の改元の頻繁さが一目瞭然です。
ということで、その頻繁な改元を状況も覗いてみることにしました。
但し、世の中の「善きこと/悪しき事」の判断基準は、多くの場合、権力者の立場から
のものになるものです。
ということは、昔の場合なら大抵は「朝廷にとっての良き事悪しき事」が基準になった
はずです。
もっとも江戸時代(1603-1867年)の江戸幕府は、朝廷を凌駕する権力を備えた
一時期もありましたから、その折には幕府にとっての「良き事悪しき事」も基準の
ひとつになったのかもしれません。
そうしたことを踏まえながら、チャットGPTにも御意見を伺ってみたのです。
すると、こんな回答が寄せられました。
折角ですから、これもご披露しておくことにしましょう。
1. 代始改元(天皇の交代による改元)の例
天平商法→天平宝字(757年):/ 聖武天皇が譲位して孝謙天皇が即位。
昭和→平成(1989年): 昭和天皇の崩御を受けて明仁天皇(現上皇)が即位。
2. 祥瑞改元(吉事を理由とした改元)の例
霊亀→養老(717年): 皇太子(後の聖武天皇)の誕生や豊作を祝して。
承平→天慶(938年): 藤原純友の乱などを鎮圧したことなどを祝して。
3. 災異改元(凶事を理由とした改元)
宝亀→天応(781年): 天災や疫病が流行したことを理由に。
正徳→享保(1716年): 飢饉や大火災が続いたことを理由に。
4. 革年改元(革令・革運・革命を区切りとした改元)
昌泰→延喜( 901年): 革令の甲子の年に。
天安→貞観( 859年): 革運の戊辰の年に。
承徳→康和(1099年): 革年の辛酉の年に。
ただし、これらは、チャットGPTの回答を丸写ししたものですので、内容の妥当性に
ついては、各位様ご自身でお確かめくださるようお願いしておきます。
えぇ、チャットGPTの回答の正確さについては、「保証書付き」とまでは必ずしも
言えないようですからねぇ。
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