忘れ物編39/おぞましや極刑の御作法
あまり楽しい話題ではないので、好みに合わないと感じた場合は、迷わず
ちゃっちゃとスルーしちゃってください。
かく申す筆者自身もまた、そうした箇所ははハナからスルーすることにしています
から、気兼ねはとんと無用に願います。
さて、今回取り上げる話題は「極刑」ということで、こんな説明になっています。
~(極刑とは)最も重い刑罰。 死刑~
遊び半分の軽い気持ちも湧いたために、そこで、こんな質問をチャットGPTに
ぶつけてみたのです。
~日本における「極刑」つまり「死刑」には、歴史的にどんな種類があった
のでしょうか?~ 我ながら、ヒマ人ならではの所業と感じます。
ところが、こんな他愛のない質問にもかかわらず、チャットGPTは律義にこんな答えを
返してきたのです。
~日本における「極刑」、すなわち死刑には、歴史的にさまざまな種類が存在しました。
以下に、代表的なものをいくつか挙げます。~
折角ですからその解答もご披露しておきますが、先ほどの通り、問題ありと判断された
場合は、躊躇なく退場されるよう繰り返しお願いしておきます。
その具体例は、以下の№1~№7のように整理されていました。
№1. 斬首(ざんしゅ)
〇内容 → 刀で首を切り落とす方法です。
江戸時代には最も一般的な死刑の方法とされていました。
〇使用例→ 刀での斬首は、特に武士階級や重大な犯罪を犯した者に対して
行われました。
№2. 磔(はりつけ)
〇内容 → 罪人を十字架状の木に縛り付け、矢で射るか、槍で突き刺して
処刑する方法です。
〇使用例:→ 磔刑は特に重罪者や反逆者に対して行われることが多かったです。
斬首刑(打ち首)
なるほど、これらの刑は古い時代劇にも登場していた記憶があるゾ。
ところがこれだけではなく、まだまだ続いています。
№3. 火刑(かけい)
〇内容 :→ 罪人を火あぶりにする処刑方法です。
〇使用例:→ 特にキリシタンや反逆者に対して使用されました。
№4. 鋸引き(のこびき)
〇内容 :→ 罪人の首を鋸で引き裂く方法です。
〇使用例→: これは非常に残酷な方法で、特に重大な犯罪を犯した者に対して
行われました。
筆者なぞは、この「鋸引き」の光景を想像しただけでも鳥肌でしたが、ご丁寧なことに
さらに説明は続きます。
№5. 釜茹で(かまゆで)
〇内容 : → 罪人を大きな釜で茹でる処刑方法です。
〇使用例:→ これも極めて残酷な処刑方法で、特に重罪者に対して使用されました。
そう言えば、Wikipediaの怪盗・石川五右衛門(1558?-1594年)の項には、
~捕えられ、京都三条河原で煎り殺された~との説明がありましたが、
そこの「煎り殺す」というのが、大きな釜で熱せられた湯や油を用いて、罪人を茹でる
ことで死に至らしめる、この「釜茹で」のことだそうです。
いささか腰が抜ける気分に襲われますが、死刑方法はさらに続いています。
気合を入れ直して、さらに追ってみると、
№6 磔獄門(はりつけごくもん)
〇内容 →: 罪人を磔にした後、頭部を切り落とし、首を晒す処刑方法です。
〇使用例:→ 獄門は特に社会に対する見せしめとして使用されました。
№7. 絞首刑(こうしゅけい)
〇内容: → 首を縄で絞めて命を奪う方法です。
明治時代以降、現代の日本でも唯一の死刑執行方法となっています。
〇使用例→: 明治政府が西洋の法制度を取り入れる過程で導入されました。
そして、一連の案内の締めくくりとして、こんな一節が加えられていました。
~これらの死刑方法は、時代や地域、罪の重さによって異なり、日本の歴史の中で
さまざまな形で行われてきました。 明治維新後は、西洋の影響を受け、死刑方法も
簡略化され、現在では絞首刑が唯一の方法として残っています~
そして、最初の「斬首」という言葉から、思わず思い浮かんだのが「首切り浅右衛門」
こと「山田浅右衛門」の名です。
折角ですから、ついでに、その「山田浅右衛門」のことをちょっとばかり知って
おこうと首を突っ込んでみることにした次第です。
すると、
~江戸時代に御様御用(おためしごよう/御試御用)という刀剣の試し斬り役を
務めていた山田家の当主代々の名乗りで、死刑執行人も兼ねていた~
ただ、中には字が異なる「朝右衛門」を名乗った当主もいたということです。
この「死刑執行人も兼ねていた」との説明を、筆者はこんな風に受け止めたのです。
~この「首切り浅右衛門」みたいな人物を、いわゆる「不浄役人」と言うに
違いあるめぇ~
ところが、これがまったくの大間違いでした。
まず第一に、こんな説明になっています。
~(不浄役人とは)罪人の捕縛・断罪などに当たる役人~
要するに、現代なら「警察官/裁判官」もどきの存在ということになるのでしょうが、
それを「不浄」(けがれている)と言い切っているわけです。
これは、武器をけがれたものとして、それに関わる自衛官を差別視する現代の感情に
似たものなのかもしれません。
それはともかく、そこへ追い打ちをかけているのがこの説明。
~御様御用の役目自体は、腰物奉行の支配下にあったれっきとした幕府の役目で
あったが、山田浅右衛門家は旗本や御家人ではない、浪人の立場であった~
つまり、「首切り浅右衛門」の身分は「役人」ではなく、「浪人」だと言っている
わけです。
ええっ! では、どんな方のことを「浪人」(牢人とも)ってお呼びするわけ?
~仕官していない武士/主人持ちでない武士/浪士~
逆に言うなら、こうなりそうです。
~「首切り浅右衛門」には主人に該当する者は(幕府どころか)誰もいなかった~
つまり、言葉を換えるなら、
~江戸時代の「斬首刑」の執行は、役人(公務員)が行うのではなく、外部
(この場合は浪人・山田浅右衛門)へ外注されていた~
七代・山田浅右衛門吉利(斬首)/(断頭)ギロチン台
これを現代感覚に直して眺めてみるなら、こういうことになりそうです。
~死刑執行行うのは正式な「刑務官」ではなく、それを申し受けた「出入りの者」~
こんな説明に触れたら、なにかしら釈然としないものを感じるのは、おそらく
筆者だけではありますまい。
しかしまあ、だからと言って大幅に見直されたという説明も見つかりませんから、
当時はそうした方法でさほどの不都合はなかったということなのでしょう。
それが証拠に、代々の「山田浅右衛門」はその後もずっと続きました。
~山田浅右衛門による斬首が最後に行われたのは、1881年(明治14年)の
死刑囚2人に対する執行である~
ちなみに、こんな補足もありました。
~日本法制史上最後の斬首刑の判決が下されたのは、1881年(明治14)である~
さらには、
~事実であるか定かではないが、1886年(明治19)に行われた公開斬首刑が最後で
あるともいわれている~
整理してみると、
〇1881年(明治14) 山田浅右衛門による最後の斬首刑
〇1886年(明治19) 最後の斬首刑
そういうことなら、「斬首執行者」は「山田浅右衛門」以外にも存在したことに
なりそうです。
余談になりますが、「斬首刑」はなにも日本の専売でもなく、もちろん他の国にも
ありました。
そんな中でも特に有名なのが、フランス国王・ルイ16世(1754-1793年)とその王妃・
マリー・アントワネット(1755-1793年)も処した斬首装置「ギロチン」です。
ただ、筆者的には日本刀の場合とギロチンの場合では受ける印象も幾分異なる
印象になります。
日本刀の場合は確かに「斬首」でいいとしても、ギロチンの場合は、もう少し
パワーアップした「断頭」という表現の方が似合っているように感じられるという
ことです。
しかしまあ、こうした残酷な所業について冷静に評論しているのですから、考えてみれば
筆者自身も結構におぞましい奴ということになるのかもしれませんねぇ。
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