ヤジ馬の日本史

日本の常識は世界の非常識?この国が体験してきたユニークな歴史《日本史》の不思議をヤジ馬しよう!

信仰編19/神器の界隈を散策する

ネットであちらこちらを徘徊していたところ、たまたまのこと、いわゆる
「三種の神器」についての案内に出くわしました。
~天皇の践祚に際し、この神器のうち、八尺瓊勾玉ならびに鏡と剣の形代を所持する
 ことが皇室の正統たる帝の証しであるとされ、皇位継承と同時に継承される~


この「践祚」(せんそ)という言葉を確認しておくとこんな説明になっていました。
~践祚は皇位の象徴である三種の神器を受継ぐこと。
 即位は皇位につくことを天下に布告すること。~

「三種の神器」は特種しかも特別視されたものであることが分かります。


そして、その「八尺瓊勾玉ならびに鏡と剣」のそのそれぞれについても追ってみると、
登場の順序は異なるものの、この程度の説明になっていました。
八咫鏡(やたのかがみ)/実物は伊勢神宮内宮、形代は宮中三殿賢所
草薙剣(くさなぎのつるぎ)/実物は熱田神宮、形代は皇居「剣璽の間」
八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)/実物は皇居「剣璽の間」、形代は無し


どうやら神器のうちの鏡と剣には「実物」の他に「形代」なる物もあるようです。
そこでその点にも突っ込んでみると、
~形代(かたしろ)とは、神霊が依り憑く(よりつく)依り代の一種~
うわっ、こういう説明なら今度はその「神霊」と「依り代」も確かめなくてはなりません。


   三種の神器


堂々巡りをしていますが、しかしここで引き返すのも癪です。
そこでさらに一歩踏み込んでみると、まず「神霊」についてはこんな説明です。
~神/神の御霊/神の徳/神の霊験/人が死んで神となったもの~
ということなら、すごくシンプルに「神霊=神」ほどに捉えてもそれほどに
間違いではなさそうです。


では、いささかマニアックな雰囲気も感じられる、もう一方の「依り代」って? 
~神霊が依り憑く対象物のことで、神体などを指すほか、神域を指すこともある~
「神霊」に比べたら、やはり少しばかりややこしい説明になっています。


そこで、ひつこくさらに突っ込んでみると、
~神霊は「物」に寄りついて示現されるという考えから、憑依物としての
 樹木・岩石・動物・御幣など~
こんな説明になっていましたが、実を言えば筆者なぞは多少の違和感を覚えました。


なぜなら、少し以前のことになりますが、「形代=レプリカ(模造品)」という
説明が記憶に残っていたからです。
しかし、今回の説明によれば、両者はまったく違うものということになりそうです。


その理由は、形代には「神霊が依り憑く」必要があるがレプリカにはその必要が無い。
言い換えるなら、形だけの場合はレプリカ、そこに神霊まで備わって初めて形代。
こういうことになるからです。


そこで振り返ってみると、三種の神器に対する先の説明も、確かに
~天皇の践祚に際し、皇位継承と同時に(三種の神器も)継承される~
ところが、その大原則を示した続きの段ではこんなことも言っているのです。


~だが即位の必須条件とはされなかった場合もあり、(第82代)後鳥羽天皇などは
 神器継承なしに即位している~

実際の歴史には例外があったことを告白しています。


そこで、今度はその後鳥羽天皇のケースを覗いてみたのですが、こんな顛末だったと
されています。
~「壇ノ浦の戦い」(1185年)で平家が滅亡した際、三種の神器のうち宝剣だけは
 海中に沈んだままついに回収できなくて、いわゆる「神器なき即位」になった~


このケースのように「神器なき即位」でもセーフということなら、
~皇位継承と同時に(神器も)継承される~ことが「絶対の条件」だったとも
言い切れ無くなりそうです。 
そういうことなら、天皇の践祚・即位は「三種の神器」の有無に縛られないのでは?
ところがどっこい、現実はそれほど甘いものではなかったようです。


~(この際には)伊勢神宮から後白河法皇に献上されていた剣を形代の剣として
 当面の間宝剣の代用とすることになり、(第83代)土御門天皇への譲位(1198年)
 もこれで乗り切った~
つまり、「本物」が無かったために「形代」を用いることでなんとか事なきを得た、
と言っているわけです。


行ったり来たりの流れで、お話がいささか茶ノ木畑に入りかけている印象ですが、
さて、こんな質問をぶつけられたとしたら、アナタはバッチリ答えることができますか?
~「三種の神器」のそれぞれって、そもそもどこぞのどなたが作ったの?~


筆者なぞはこれまで考えたこともなかった疑問です。
しかしながら、三種の神器の実物そのものは拝見したことはないものの、伝承の
内容からしても、それはおそらく「自然物」ではなくて人による「製造物」でしょう。
そういうことであるならば、いつかの時点でどこぞのどなたかが作ったに違いない
ことになります。


そこで、その神器それぞれの登場場面を少し追いかけてみることにしたのですが、
すると、面白いことにこんな具合になっていたのです。
~八咫鏡は、記紀神話で、アマテラス(天照大神、天照大御神)が天岩戸に隠れた
 岩戸隠れの際、イシコリドメ(石凝姥命)が作ったという鏡~


そして、その石凝姥命(あるいは伊斯許理度売命)とは、
~日本神話に登場する女神で作鏡連(かがみづくりのむらじ)らの祖先~
とされています。
皇祖神・天照大神と同様に女神とされていますが、男女の別はともかく、
まあ技術屋全般の神様というほどの位置付けになるのかもしれません。


ところが、草薙剣の場合は少し趣が違っています。
~スサノオ(須佐之男命、素戔嗚尊)が出雲で倒したヤマタノオロチ(八岐大蛇)の
 尾から出てきた剣~

とされており、このエピソードに剣の製作者(神様)などのお名前はないのです。


それじゃあということで、最後の八尺瓊勾玉を覗いてみると実はこれもこんな説明に
なっています。
~大きな玉(ぎょく)で作った勾玉であり、一説に八尺の緒に繋いだ勾玉ともされる。
 岩戸隠れの際に玉祖命が作り、八咫鏡とともに榊の木に掛けられた~


では、製作者とされるその「玉祖命」ってどなたのことですか?
~玉祖命(たまのおやのみこと)は、日本神話に登場する神である。
 玉造部(たまつくりべ)の祖神とされ、別名に玉屋命(たまのやのみこと)、
 豊玉者(とよたまのみこと)などがある~

ちなみに、この神様が男神または女神かについては、筆者が調べた範囲ではよく
分かりませんでした。


さて、八咫鏡の製作者が石凝姥命、八尺瓊勾玉の製作者は玉祖命という神様という
ことなら、草薙剣の場合は、たとえばツルギ・ナントカノ・ミコトほどの名前を
持つ神様になるのかしらん? 当然の推理です。
そこで執念深く今度は「剣の神様」という言葉で探りを入れてみたのですが、ドッコイ
そこで「建御雷之男神」という名前の神様に遭遇です。


   

    鯰(まなず)絵 / 安政大地震(1855年)


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ただし、この「建御雷之男神」なる神様が三種の神器の草薙剣を製作したわけでも
ないようでこんな説明になっていました。
~「建御雷之男神」(たけみかづちのおのかみ)は雷神、かつ剣の神とされる~


ところが、そこには併せてこんな案内も。
~(この「建御雷之男神」は)また鯰絵では、要石に住まう日本に地震を引き起こす
 大鯰を御するはずの存在として多くの例で描かれている~


剣からいきなり鯰(なまず)へ。 お話はすっかりワープしている印象です。
そこでまたまた登場した単語についてイチイチを確認を取るハメに。
~鯰絵(なまずえ)とは、地下に棲む大鯰(地震鯰)が動くと地震が起きるという
 民間信仰をモチーフとし、震災直後に版行された戯画の総称~


こう説明されていて、その震災とは、最近までは一般的に「安政大地震」(1855年)
のことを指していたようです。
また、~要石とは、地震を鎮めているとされる、大部分が地中に埋まった霊石~
と説明されています。


それはともかくとしても、はて、この「建御雷之男神」が、剣(つるぎ)の神様であり、
また鯰(なまず)の神様でもあるとは、いったいなんのことやら?
日本の神々のこうした守備範囲の広さについては、ひょっとしたらこんな説明が
あてはまるのでしょうか。


~神道の神々は、海の神、山の神、風の神のような自然物や自然現象を司る神々、
 (それだけに留まらず)衣食住や生業を司る神々、(さらには)国土開拓の神々

 などさまざまで、その数の多さから八百万の神々といわれます~


それこそ森羅万象・有象無象・ 天地万物、どこにでもまた何にでも神様は存在して
いるということですから、八百万柱もの神々様がいても、実際にはあれこれ
兼業せざるを得ないということなのかもしれません。
えぇ、現にこの「建御雷之男神」も「雷神/剣の神/鯰の神」などを兼業される
ほどに御多忙ってことですものねぇ。


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