落胆編16/プチ避暑地で見つけた昔日
真夏日当日のことでしたが、何気にTVを見ていたら、筆者には聞き慣れないこんな
言葉が耳に入ってきました。 「クールシェアスポット」・・・
筆者がピンと来ていないことを察知したものか、TV側も補足説明のオマケです。
そのオマケを整理し直すと、
~夏の暑さを忘れられるような、身近で涼しく(クール)過ごせる空間・場所
(スポット)をみんなで共用(シェア)すること~
ほどの意味合いになるようで、具体的には、水辺、森林、公園、また休憩が可能な
建物などがこれに当たるとのことです。
ですから、日本語なら「共用涼空間」、イメージ的には「安く・近く・短時間」の
「プチ避暑地」といった感じの場所のことでしょうか。
なるほど、家族数が少ない場合など部屋で空調をガンガン効かして暑さを凌ぐという
方法では、さすがに無駄が多すぎて、また今忠告されているSDG’sの観点からしても、
確かに芳しいこととは思えません。
その意味でも、こうした「クールシェアスポット」の仕組みがより上手く運営される
ことは、社会全体からして意義があり有益な方法だと言えそうです。
ここまでが今回の長いマクラになります。
要は、その「クールシェアスポット」に筆者もチャレンジしてみたお話をしたかった
わけです。 では、その場所選びは?
筆者の生息地からは一番近い森林地帯で、ええ、言い換えるなら「熱田神宮」にして
みました。
さて、鬱蒼とした樹木だらけにエリアの前に到着したならば、まずはその正門(南門)を
くぐり、南北に通る参道を北へ100Mほど進みます。
すると、右手(東)側に小ぶりな鳥居があることに気が付きます。
ただ目には入っているのでしょうが、それを意識しないまま通過する人も少なくは
ありません。
というより、そのほうが断然に多いと言ってよさそうなくらいに地味な鳥居なのです。
しかし、筆者はその小ぶりな鳥居をしっかり意識し、そしてくぐり、今度は向きを
右手(東)方向に変え、またへ100Mほど進みます。
鬱蒼とした樹木に包まれてはいるものの、参拝者のための道はしっかり整備されて
いますから、迷子になる心配は無用です。
すると、そこに西向きに御鎮座されている朱塗りの社殿が目に留まります。
それが、今回の目的地とした摂社「南新宮社」です。
そして、その社の脇には、お約束のように立札がひとつ建てられています。
~南新宮社(みなみしんぐうしゃ)/祭神 素戔嗚尊(すさのおのみこと)
社殿は当神宮唯一の朱塗りである。
当社の例祭は古来大山祭・天王祭・祇園祭等と称していた。
その起源は平安時代中期に疫病が流行して、近隣の人々が旗鉾を捧げて当社に
疫神を祀ったのを始めとする。
その後、この旗鉾を活用して大山や車楽の運行を始めたが、明治に入り電線が
架けられるようになり廃止された。~
この内容で分かる人には分かるのでしょうか、そうでない人も少なくないはずです。
なぜなら筆者自身がその一味に他なりませんからハッキリそう断言できます。
そうした不明点もあったことから、結局はあれやこれやと探ってみるハメに陥ったの
ですが、これが意外に面白い作業になりました。
さて、以下の事項には、熱田神宮宮庁発行「熱田神宮・宮記(きゅうき)」を参考に
した内容も少なからず含まれていることを最初にお断りしておきます。
さて、枝葉末節の点は後回しとして、まずは「熱田神宮」そのものの情報から
探ってみることにしましょう。
すると、
~境内は約十九万平方米(約五万七千五百坪)境外を合わせると約三十万平方米
(約九万坪)に広さがある。~ その続きには、
~この境内には、本宮のほか、別宮一社、摂社八社、末社十九社が奉祀されている~
ちなみに、本宮・別宮の区別はこんな説明になるようです。
~(別宮とは)本宮に付属して別の場所に立てられた神社で、宮号を有するもの~
この熱田神宮の場合には、その「別宮」は「八剣宮」との名称になっています。
では、「摂社」と「末社」って?
摂社→「本社」に付属し、その御祭神と縁故の付会神を祀った神社。
末社→「本社」に付属し、その支配を受ける小社。(摂社に次ぐ格式)
この摂社「南新宮社」の御祭神は、立札にあるように素戔嗚尊とされていますが、
では「本社」(熱田神宮)の御祭神は?
その名は「熱田大神」とされ、「相殿」(同じ社殿に2柱以上の神を合わせて祭ること)として、
〇天照大神 〇素戔嗚尊 〇日本武尊 〇宮簾媛命 〇建稲種命
の五柱の神様の名があります。
この際ですから、その相関関係まで深入りしてみると、
「熱田大神」とは「天照大神」のこととされていて、「素戔嗚尊」はその「天照大神」の
御弟神であり、続く「日本武尊」は第12代・景行天皇の息子で、その妃が「宮簾媛命」
(みやずひめ)、さらにその兄にあたるのが「建稲種命」(たけいなだねのみこと)と
されています。
さてその立札の説明によれば、この「南新宮社」は熱田神宮で「唯一の朱塗り」と
されています。
しかし、その理由・事情については触れられていません。
こんな特異な点について何も触れていないなんて、いささか不自然な思いもしますが、
ただあまりにも昔のことなので、ひょっとしたら「実はよく分からなくなってしまい
ました」ということなのかもしれません。
そして、「古来大山祭・天王祭・祇園祭等と称していた」とされる例祭は、現在は
六月五日の「熱田祭」として継承されています。
本年も花火が打ち上がりました。
また「旗鉾」とは、両刃の剣に柄を付けた武器である鉾の先に旗を付けた物で、
「疫神」(やくじん)とは、病気を流行らせるという神のことらしい。
なにしろ「八百万神」もいらっしゃるのですから、そういう変わり種の神様がいたと
しても、別に不思議なことにも思えません。
それに続く「大山や車楽」の部分は、文字はともかく「読み方」には一瞬の躊躇と
一抹の不安を覚えます。
ただし、「大山」の方は、どうやらまんま「おおやま」との読み方でよさそうで、
長老に尋ねたところ、これは「山車」(だし)や「山車」(やま)のことを指している
とこことです。
「山と車」・・・同じ漢字の組み合わせですが、文字の後・先によって読み方は
変わるものの、意味するところは同じというユニークな用語ですが、ちなみに
「だし/やま」の表現方法は地方々々によっての独自性があるということです。
また、それに続く「車楽」は・・・なんと「だんじり」と読むのだそうです。
ええ、囃子物をしながら引き回す、あの屋根付き車輪付きの屋台のことで、
西日本特有の呼称とのことです。 そして、
~「楽車/壇尻/台尻/段尻/山車/地車」とも表記される~
折角なら、知識欲旺盛な参拝客のためにも、こうした読みにくい漢字にも「ふりがな」
を付けて欲しいと思うところです。
そして最後の部分では、
~明治に入り電線が架けられるとうになり廃止された~
このような案内になっているところからすれば、筆者に限らず少なからずの人が、
こんな受け止めになるものです。
~(大山や車楽の運行は)明治に入って早いうちに終焉を迎えた~
山車の高さと電線位置 / クールシェアスポット
ところがギッチョン! これがまったくの早とちりで実際はそうではなかったのです。
実は筆者はネット徘徊によって、熱田神宮のすぐ足元の地域、当時の田中村
(現:熱田区田中町)の祭りの様子を撮った写真を見つけたのです。
それが上の写真で、その撮影日はなんと「昭和10年」(1935年)となっているのです。
「明治元年」は1868年ですから、つまり明治に改元してから66年も後の写真という
ことになります。
しかもここには、問題とされた「電線」もその大山と一緒に写っているのです。
つまり、こういうことになりそうです。
~電線の架設と大山の廃止は相互に影響し合ったのは事実だが、決して同時瞬間の
出来事ではなかった~
ということは、当時の住民の意識は多分こんなものだったのではないでしょうか。
~電線が架けられたくらいで、祭りの大山を諦めるわけにはいかんがや~
しかし、その電線がどんどんと増殖してくると、さすがに練り歩くコースも制約が
出るようになったのでしょう。 こんな記録も残されています。
~昭和10年の御遷座際には(廃車の大瀬子地区、市場地区以外の)6輛が飾られた。
(しかし)その後は飾られることは無かった~
何しろ、そうした大山のサイズときたらハンパではありませんでした。 全部が全部
このサイズというわけではなかったのでしょうが、こんな記録も残されています。
~本体高さ十二間(約21.8m)余り、その上に五間(約9M)余の大松を立て、
車輪直径四尺五寸(約(1.35m)、車輪厚み一尺一寸(約33cm)~
大山のこの大きさに比べ、電線の架線高さがいかに低いものだったのかは、
上の写真でも一目瞭然です。
押し寄せるそうした逆境にもめげず、「昭和10年」まで大山を続けた地元の
先人達の心意気には圧倒される思いです。
ともあれ、ちょいと聞きかじった「クールシェアスポット」という言葉から、
地元の先人たちに思いをさせることになった次第です。
このような体験ができたことからすれば「クールシェアスポット」って、
筆者個人的にもまた社会全体からしても、意義があり有益な考え方だと言えるのかも
しれませんねぇ・・・
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