ヤジ馬の日本史

日本の常識は世界の非常識?この国が体験してきたユニークな歴史《日本史》の不思議をヤジ馬しよう!

事始め編29/ 天体観測家?国友一貫斎

たまたま観た某TV番組で「国友一貫斎」なる人物を知りました。
まったく知らない名でしたが、多様な才能を備えていたとされ、その番組では
「江戸のダ・ヴィンチ」という副題まで用意されていました。


その「ダ・ヴィンチ」とは、あの「レオナルド・ダ・ヴィンチ」(1452-1519年)を
指していることは明々白々ですが、念のためにそのプロフィールを覗いてみました。
すると、
~イタリアの画家、彫刻家、建築家、科学者、技術者、哲学者で 典型的な
 「万能の人」と目されている~


さらに、もう少し突っ込んでみると、
~1482年、30歳のとき、ミラノの支配者のもとに自薦状を提出してミラノに移る。
 その自薦状には、あらゆる種類の土木工事、築城、兵器の設計ならびに製造に関し、
 自らの多方面の才能を数えたてたあとに、平和な時勢にあっては、絵画ならびに
 石造彫刻、鋳造彫刻の技にたけていることを付け加えている~


こんな案内になっていますから、つまり自身はこの頃すでに「万能の人」である
ことに自信を持っていたことになりそうです。


では、一方の番組の「江戸のダ・ヴィンチ」は?
ざっと、こんな案内になっています。
~国友一貫斎(1778-1840年)/幕府の御用鉄砲鍛冶職の家に生まれた。
 鉄砲鍛冶師、発明家であり、日本で最初の実用空気銃や反射望遠鏡を製作し、
 さらには、その自作の望遠鏡を用いて天体観測を行った~

  

    国友一貫斎


鍛冶師で発明家で、さらには天体観測だってか。
確かに多岐に渡っていますが、実はそればかりではないようで、
~オランダから伝わった「風砲」(玩具の空気銃)を元に、実用の威力を持つ
 強力な空気銃である「気砲」を製作(1819年)。
 その解説書として「気砲記」を著し、後には20連発の早打ち気砲を完成させた~


ちなみに、その空気銃とは、こんな按配の物だと説明されています。
~空気の圧力を利用して、金属性の弾丸を発射する銃~
ですから、本場のダ・ヴィンチと同様に一貫斎もまた、「平時用」「戦時用」の
区別なく、それこそ社会に役立つと思ったもの、自分の関心が向いたものは、
それこそなんでも研究対象にしたのでしょう。


さて、文政年間といいますから、多分先の「気砲製作」から少し経ってのことと
思われますが、一貫斎は江戸で「反射望遠鏡」を見る機会に恵まれました。
鎖国中ですから、おそらくはオランダ経由で、この日本に伝わった物でしょう。
ところが、その望遠鏡を実際に覗いてみて一貫斎はビックリこいてしまったのです。


「なんじゃあ、これは!」
覗いた像は実際の風景より遥かに大きくて、しかもメッチャ鮮明だったからです。


この体験に大きな感銘を受けた一貫斎は1832年頃から反射式望遠鏡の製作に
取り組むようになります。
筆者の見た番組は、一貫斎が手掛けたその望遠鏡の性能に高い評価を寄せて
いましたが、筆者の知識レベルでは、その望遠鏡の技術的な詳細までは到底理解が
及びません。


しかしざっとなら、こういうことになりそうです。
~(一貫斎が政策した)口径60mmで60倍の倍率の望遠鏡は、当時の日本で
 作られていたものよりも優れた性能であり、鏡の精度は2000年代に
市販されて
 いる望遠鏡に匹敵するレベルで、100年以上が経過した現代でも劣化が
 少ないという~


ゲッ、200年近く前に作った製品が現代でも十分に通用するってか!
番組では、その反射鏡の研磨に油を用いたなどの手法も紹介し、またそのことに
よって現代の望遠鏡に引けを取らない性能を有することができた経緯も紹介して
いました。


そして、その「高性能望遠鏡」の製作を成功させた一貫斎の関心は「天体観測」
向けられていきます。
~また、彼は自作の望遠鏡で天保6年(1835年)に太陽黒点観測を、当時としては
 かなり長期に亘って行い、他にも月や土星、一説にはその衛星のスケッチなども
 残しており、日本の天文学者のさきがけの一人でもある~


そうした天体観測は長期間しかもかなり熱心に続けられたようで、番組では
その「黒点観測図」や、上の説明で「一説には」と紹介されている「土星の衛星」の
スケッチも紹介していました。


ちなみに、直接の関係はありませんが、ちょいと道草をするなら、有名な盗賊・
鼠小僧(1797-1832年)が処刑(獄門)されたのがこの数年前のことで、のちに、
明治時代の啓蒙)思想家、慶応義塾の創立者となる福澤諭吉(1835-1901年)が
誕生したのが、この年のことになります。


 

 反射式望遠鏡 / 「阿鼻機流」(飛行機)の設計図


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ただ後に、一貫斎はこの望遠鏡を手放すことになります。
こんな事情があってのことでした。
~後に、天保の大飢饉等の天災で疲弊した住人のために(この望遠鏡は)大名家等に
 売却されたと言われる~
売却してしまったでは天体観測を続けることは叶いません。


番組では、この望遠鏡を売った金で米を入手し、それを飢餓に苦しむ村民達に
分配する一貫斎の姿も描かれていました。
ついでと言ってはなんですが、ついでにその「天保の大飢饉」にも触れておきましょう。


こう説明されています。
~1833~1837年(天保4~8)に起こった大飢饉。
 享保の飢饉(1732-1733年)、天明の飢饉(特に1783・1786年)と並ぶ
 江戸時代三大飢饉の一つで、幕藩の政策を批判する武士も出た~

要するに、幕藩体制に揺らぎを生じさせるほどの大飢饉だったわけです。


それはともかく、一貫斎はこんなものも発明したようです。
たとえば照明器具の「玉燈」(ランプの一種)、これは油の節約と火災防止を
目的とした製品だったようです。
さらには、「御懐中筆」との名の万年筆または毛筆ペンもどきの製品も発明したと
されています。


この他にも、人が翼を羽ばたかせて飛ぶ飛行機「阿鼻機流」を作ろうとしていた
ようです。
西欧ではドイツのオットー・リリエンタール(1848-1896年)が同様の研究に
取り組みましたが、そのリリエンタールが生まれたのは一貫斎の死後のことです。
つまり、時期的には一貫斎の方がうんと早かったことになります。


その一貫斎に関するこんなネット記事を見つけたので、それも。
~滋賀県長浜市は、地元ゆかりの江戸時代の科学者で技術者、国友一貫斎が
 描いた飛行機の設計図「阿鼻機流(あびきる)/大鳥秘術(おおとりひじゅつ)」

 について、各部位の詳細を記した冊子が見つかったと発表した(2020・03・27)~


そして、
~木馬に乗った人間が翼を羽ばたかせて飛ぶ構造で、「阿鼻機流」の語源はラテン語で
 「小鳥」を意味する「avicula(アビクラ)」と推測されるという~

番組では、その冊子に基づいて「機」を製作し、さらにはそれを実際に飛ばす
実験様子も流されました。


しかし、残念なことに現在の「飛行機」のようには上手く飛びませんでした。
番組では、飛行機に欠かせない「尾翼」の概念が欠落していたことが原因だったと
説明していましたが、それは無理もないことです。


だって、アメリカのライト兄弟が「人類初の動力飛行」を成功させたのが1903年。
つまり、この一貫斎の死の63年後のことで、その後に人間が初めて月面に
立ったのが、その66年後の1969年のことなのですから、60余年という期間は
日進月歩の科学技術の世界では、まさに異次元レベルの世界なのです。


最後に、筆者が観たその某TV番組にも触れておきます。
つい先日再放送(2022・11・24)されたNHK『コズミック フロント』
ただ、テレビ慣れしていない筆者は、長い間このタイトルを『コミック フロント』
とばかり思い込んで、~コミックではあんまし興味が湧かないなぁ~ということで、
敬遠し続けていたのです。


ところが、たまたまのこと、今回の再放送の「江戸のダ・ヴィンチ 国友一貫斎」の回に
遭遇し、正しいタイトルが『コズミック フロント』(Cosmic Front/宇宙研究の最前線)
であることを発見した次第です。


タイトル命名に親切心が不足していたのか、はたまた筆者自身がカタカナ言葉に
疎かったせいなのかは存じませぬが、ともかく「コズミック/コミック」は、
語感は似ているものの、その概念はまったく別物であることにようやくのこと
気が付いたというお粗末な一幕でもありました。
えろうすんまへん。


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