あまり楽しい話題ではないので、好みに合わないと感じた場合は、迷わず ちゃっちゃとスルーしちゃってください。 かく申す筆者自身もまた、そうした箇所ははハナからスルーすることにしています から、気兼ねはとんと無用に願います。 さて、今回取り上げる話題は「極刑」ということで、こんな説明になっています。 ... 続きをみる
2024年8月のブログ記事
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これまでまったく無頓着だったのですが、ひょんなことから「戦国時代の三大梟雄」 なんて見方があることを知りました。 でもなんですか? その聞き慣れない「梟雄」(きょうゆう)って? 文字通りに「梟」(ふくろう)の「雄」(オス)のことかと思いきや、実はこんな 説明になっていました。 ~残忍で強く荒々しい... 続きをみる
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日本史的にはあまり有名ではなさそうですが、江戸期にこんな人物が登場しています。 志摩国・鳥羽藩の第二代藩主・内藤忠政(1615-1673年)。 子供たち数多く儲けたようで、諸情報を整理してみるとこのくらいになっています。 〇長男・忠次(1645-1704年) 後に病気により廃嫡。 〇次男・忠勝(1... 続きをみる
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鎌倉幕府初代将軍・源頼朝(1147-1199年)が開催した富士の巻狩り(1193年)の際に、 工藤祐経(1147?1154?-1193年)を父親の仇として討ったのは、曾我十郎・五郎の 兄弟でした。 「ちなみに」を補足をするなら、そこで催された「巻狩り」とはこんなことでした。 ~鹿や猪などが生息する... 続きをみる
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ネットであちらこちらを徘徊していたところ、たまたまのこと、いわゆる 「三種の神器」についての案内に出くわしました。 ~天皇の践祚に際し、この神器のうち、八尺瓊勾玉ならびに鏡と剣の形代を所持する ことが皇室の正統たる帝の証しであるとされ、皇位継承と同時に継承される~ この「践祚」(せんそ)という言... 続きをみる
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合戦頻発という乱世の最中ということもあって、こんな身体つきになっていたようです。 ~片目の上に、顔には多数のキズ痕、片足や手指も創傷によって欠損していた~ 度重なる参戦による「名誉の負傷」ということでしょうが、ちょっとばかり迫力を 感じさせる容姿・風貌です。 その持ち主は、名を本多重次(通称・作左... 続きをみる